第1話 足に皮膚は必須のようです。

 目が覚めた。と言っても、瞼を開くことはできないし、体を動かすこともできない。五感の全てがなくなったかのようだった。


 最初に感じたのは、音だった。

ドドンドン、パラララ、チンチンチン――

 パレードのような太鼓やシンバルの音が、やけに鮮明に聞こえる。それ以外には、何も聞こえなかった。


 少しして眩しい光、カメラのフラッシュのようなものを浴びた気がした。そうしたら徐々に視界がひらけてきた。


 目に飛び込んできたのは、空中にふわふわと浮かぶ白い塊の列。煙のようなそれが何十も一列に並んでいる。視界の端にも同じ列が途切れることなく続いていた。数メートルごとに間隔を空け、整然と整列している。


 列の先には巨大な門のようなものがそびえ、遊園地やディズニーランドの入場ゲートに似ていた。先ほどから響くパレードの音も相まって、そう錯覚させられる。


 周囲を見渡そうとしても、首は動かず、歩こうとしても足は前に出ない。

 それでも列が進むたび、気づけば自分の身体も自然と前へ運ばれていく。


 どれほど並んだだろう。景色も音も変わらず、時間の感覚はなくなっていた。

 だが不思議なことに、どれだけ待っても疲労は訪れなかった。


 やがて門の前にたどり着く。扉があり、数分おきに白い塊が一つずつ吸い込まれるように中へ消えていく。

 そして、ついに自分の番が来た。扉が開き、自分も白い塊同様吸い込まれるように中へ入ると、背後で静かに扉が閉じた。


 中は六畳ほどの殺風景な部屋。ドラマとかでみる警察署の取調室のようだ。中央にはテーブルと椅子があり、そのテーブルの向こう側には中年の男が腰を下ろしていた。男はくたびれたワイシャツにネクタイを締めている。しがないサラリーマンといった印象だ。 


 人間の姿を見たことで、わずかに安堵が芽生える。だが、この状況を考えるとその安堵もすぐに警戒へと変わった。


「どうぞ、おかけください」

 男が口を開いた。なにか話さなくてはと口を動かそうとするがやはり動かない。仕方なく指示に従おうとするが、足もやはり動かなかった。


 もう一度男が口を開く。

「自分の足をそうぞうしてください。太ももからつま先まで、筋肉、骨、血管、爪に至るまで、できるだけ細かく。」


 疑問が湧いたが、口は動かず、指示に従うしかなかった。学校にある人体模型の足を思い描き、骨を中心に筋肉や血管、神経で満たしていく。

 すると、地面の感覚が急に掴めるようになり、先ほどまでなかった足の存在を感じられた。驚きつつ、その足で椅子に椅子に腰を下ろす。


「次に口をそうぞうしてください。同じく骨から全て。」

言われた通りに口を組み立てる。歯一本一本、舌の柔らかさ、唇の形――イメージを重ねるごとに、口の存在感が増していく。


やがて喉から震えがこみ上げ、空気が通る感覚が生まれる。

閉ざされていた声が、ついに――


「……っ!」


思わず漏れた声に、自分自身が驚いた。


「声が出ましたね。ではまず、お名前を教えてください。」

「え、あ、橘 永生です」

混乱していたが、男の質問には素直に答えた。聞きたいことは山ほどあったが、この男が今から説明してくれるのだろう。


「橘 永生さんですか。皮肉ですね。」

「皮肉?」

「おっと、失礼。色々気になることもあるでしょう。順を追ってお話しします。まず、先ほどから『そうぞうしてください』と申し上げていますが、おそらく認識の齟齬がございます。」


男が淡々と話す。


「齟齬、ですか?」


「ええ。あなたの認識ではイメージの『想像』だと思いますが、私の意図では――それは創作する意味での『創造』なのです。」


 男の言葉に首をかしげる。

 しかし、それを理解するより先に、胸の奥にざわりとした違和感が広がった。


 ふと、自分の身体を思い返す。

確かにさっきまで足や瞼は動かなかった。

呼吸も、脈も———何も感じなかった。


「今から鏡をお見せします。少々驚かれるかもしれないので心の準備をしてください。」


 理解がまだ追いつかない。目覚めてから分からないことだらけだった。


 自分は今どんな姿をしているのだろうか。いつもの姿でないことだけは何となく分かる。

 身体の部位が欠損してグロテスクになってるかもしれない。そもそも人間ですらないのかもしれない。様々な想像が頭の中を駆け巡る。


 正直鏡は見たくなかった。鏡を見てしまえば、先ほどから感じていた疑惑が確信に変わってしまう気がした。

 その疑惑の正誤を確かめることを決め、先ほど手に入れた口でゆっくりと呼吸を整える。

 深く息を吸い、吐き出す。胸の奥でざわついていた感覚が、わずかに落ち着きを取り戻す。


 そして、覚悟を決めるように、真っ直ぐ目の前の男と向き合った。

 すると男はテーブルをどけ、彼の後ろの方に裏返されて立てかけてあった姿見を表にした。



鏡に写った姿を見た瞬間、全身に寒気が走った。



「キモツツツツ!!!!!」


 そこに写ったのは白い塊のようなものに口と足だけがついている姿だった。

 しかもその足は、筋肉や血管が露出していた。つまり皮膚がなかったのである。

 グロテスクや怪物のような姿を想像していたのも相まって、そのあまりにブサイク、というかキモキャラ的な姿に別の意味で驚いてしまった。



「驚かれましたか?」

「そりゃ、驚きますよ!キモすぎるでしょ!何ですかこれ?足キモッ!」

「いえ、あなたの創造した通りになっているはずですよ、皮膚を忘れてしまったようですね。もう一度その足を覆う皮膚を創造してみてください。」


 ここでようやく腑に落ちた。先ほどこの男が言っていた『そうぞう』に齟齬があるという言葉の意味を理解した。


 露出した足の皮膚を創造する。露出した足、なんかエロいな。

 足の筋肉を覆う皮膚をイメージする。そうすると鏡に写った足がみるみる皮膚で覆われていった。

自分のイメージ通りに体を作れるのか?


 それから俺は体の様々な部位を創造していった。毎日見ていた自分の体だ。それを思い出すのは容易かった。ものの数分で全身の造形が完成した。

 鏡に写る姿が見慣れたものに変わる。それと同時に先ほどまではなかった感覚も蘇ってきた。


 イメージ通りに作れるならもっとイケメンにしておくべきだったか?


 先ほどまでは感じていた疑惑はもうほぼ確信に変わっていた。男をみすえ、少しの間をおいてから静かに問いかけた。





——俺は死んだんですか?

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