第2話

親から可愛いなんて言われたことは無かった。

撫でられた記憶もない。


弟は私に無いものを全て持っていた。

撫でられ、褒められ、宝物のように大事に大事にされて、明るい男の子になっていった。

「あんたはどうしてこんなに暗いのかしらね」

お母さんが優しくしてくれた記憶も、褒められたことも無いからだよ。




澄音は、中学も卒業を間近に控えていた。

第一志望の、学費の安い、それでもできるだけ偏差値の高い公立高校への合格も、おそらく確実だろう。

過去、弟が生まれる前の不安は杞憂で、今まで家を追い出されることも無く、生きてくることができた。

が、澄音の家庭内での居場所は、どんどんなくなっていった。

最低限の会話だけとなり、養父も母も澄音にあえて話しかけはしない。

弟の大雅だけが、澄音にくっついて話しかけてくる。

大雅が澄音を気に入っているから、ぎりぎりで家族の体面を保っている状態だった。


針で指を刺す、あの悪癖は直っていない。

少しずつ、深く深く。




最近聞くことが減っていた、母親の文句を、週明けには卒業式という土曜日の夜に偶然聞いてしまった。

「公立とはいえ、ずいぶん高いのね…やっぱり、あんな子産まなきゃよかった」

「…お前、そういうの言うのやめろって言ってるだろ。澄音に直接言わなくても、きっと伝わってるぞ。お前がそう思ってるから、あの子は家じゃずっと遠慮して暗いんだろ。」

「はぁ?澄音が暗いのは元々でしょう」

「友達と一緒にいるときは明るいじゃないか。学校の先生だって、明るい子だって言うだろ。通信表にだってそう書いて」

「外で無理してるだけに決まってるじゃない!家で取り繕う子供なんていないわよ!あの子は、不器用だから、だから無理して、反動で…」

「お前は、大雅と澄音で、態度が違いすぎる。澄音とちゃんと」

「あなたには関係ないでしょ!あの子は半分出来損ないなんだから、厳しくしないとまともに育たないのよ!」



出来損ない。

それは澄音の心に鋭く突き刺さった。


気づけば、もう二十二時を過ぎているのに、家を飛び出していた。

あの場所へと、自然に足が向いていた。


三月の海風は冷たくて、寝間着だけで出てきてしまった澄音はくしゃみを一つ。


十年ぶりのあの浜辺。

つらい記憶を思い出すから、来ることは無かった。

大雅と両親は、家からほど近いこの浜辺によく遊びに来る。

澄音は適当な理由をつけて、毎回断っていた。


悲しい気持ちになるかと思ったその光景は、懐かしくて、どこか優しかった。


砂の上に座り込んで、目を閉じると、波の音が傷を撫でてくれているようで、自然と涙が溢れた。


祖母に見捨てられた事よりも、自分に鈴をくれたひとのことが思い出される。

あのひとは、助けてくれた。優しかった。


――鳴らしてごらん。僕に届くよ


彼のことを考えながら、鈍い銀の鈴を振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る