第3話 再会
「ようやく、呼んでくれたね」
背後から聞こえた声に驚き、澄音は振り返る。
そこには、あの日と何も変わらないお兄さんがいた。
砂の上を歩く音も何も無かった。
突然、夜の砂浜に現れたお兄さんに、澄音は口をはくはくとさせるだけで声が出ない。
「すまない、驚かせたかな。僕のことは覚えている?波に攫われた君を引き上げた者だ」
お兄さんは優しい微笑みを口の端に浮かべて、澄音の隣に腰を下ろす。
澄音は無言で何度も頷く。
「ずっと待っていたよ。――澄音」
お兄さんに名前を教えたことがあっただろうか。
会ったのはあの時の一度きりだけのはず。
もしかしたら、美凪が呼ぶのを聞いていただけかもしれない。
十年も前なのに?
でも、不思議なこのお兄さんに、澄音はずっと言いたいことがあった。
「あの……あの時、助けてくれて、ありがとうございました」
お兄さんは嬉しそうに目を細めて、「うん」とだけ言う。
やわらかな服の袖で、涙で濡れた澄音の顔を優しく拭ってくれる。
森の中のような匂いがした。
せっかく拭いてもらったのに、澄音の目はまたぶわっと涙を出す。
「ごめ、っごめんなさ、」
「いいよ、大丈夫」
距離を取ろうとした澄音の腕を引き、胸にもたれさせる。
あたたかな、なつかしい体温に抱かれて、澄音はとうとうしゃくり上げ始めた。
あの時、祖母に見捨てられたこと。
母から要らない子だと、産まなきゃよかったと言われること。
あの家の中で、自分だけが浮いた存在であること。
今日、半分出来損ないだと言われたこと。
心に押し込めていた、見ないふりをしていた感情を、つらい気持ちを、大泣きしながらのぐちゃぐちゃの言葉で吐き出していく。
実の父は不倫をした屑で、自分は半分屑の血が流れていることも
母は自分を妊娠したせいで屑と結婚する羽目になったことも
再婚の時も自分が邪魔だったことも
自分のせいで自分の周りを不幸にする、こんなことならあの時そのまま、まで口にしたとき、お兄さんの腕がきつく、きつくなった。
澄音の息が止まるくらいの強さに。
澄音は、やらかした、と思った。
助けてくれたお兄さんに言ってはいけなかった、と発言を後悔した。
澄音の喉が、かひゅ、と情けない音を出すと、お兄さんは腕を緩めた。
「僕は、どうあっても澄音に生きていてほしかった。でも、つらい思いをさせてしまったね」
「ご、ごめんなさい、あの」
「あ、怒っていないよ、大丈夫。ただ、そうだね、君の家族には少し怒っているかな。
澄音。自分で言ったことを覚えているかな。全て、全て、きみは なにも わるくない」
「いいかい、親は子供を持つまでに何度か選択ができる。例えば、子供ができるような行為をするかしないか、堕胎するかしないか、産んだ後に自分たちで育てるか、他所にやるか。
しかし、子供は何も選べない。
親の勝手で胎に宿らされ、親の勝手でこの世に産み落とされる。全て親の勝手な選択で、そこに子供の意思は一切関与しないね。
澄音、君に向けられた言葉と悪意は、お門違いの文句だ。
無茶苦茶な論理で、自分の勝手で作り出したものに、作らなきゃよかった、なんて、ちゃんちゃらおかしい。
それは作り出した側の責任でしかないよ。己の判断の間違いを認めたくなくて、自分よりも弱い立場の子供に当たり散らしているだけ、幼児の癇癪と何ら変わらない。
子供が子供のままに、親になってしまったんじゃないかな。傍から見れば、親の立場で、子供に甘えているようにしか見えないよ」
頭がふわふわして、さっきまでのつらい悲しい気持ちが無くなっていた。
ゆっくり、ゆっくりと語りかけてくるお兄さんの言葉は、澄音の中にすっと入ってきて、生まれてから今まで溜め込んできたドロドロした気持ちが溶かされていく。
自分は悪くない。親が不幸なのは親のせいだから、私が生きててダメなんてことは無いんだ。
「落ち着いたかな」
「はい、ありがとうございます……すみません私重たいですよね」
「いや?羽根のように軽いから、気にしなくていいよ」
澄音はずっとお兄さんに抱かれたままで、膝の上に載せられている。
ずっとうつむいていた澄音が顔をあげると、至近距離にお兄さんの顔があって、急に恥ずかしさを覚えた。
顔を背けて、聞きたかったことをぶつける。
「あの、お兄さんは、だれですか……?」
クスクスと笑う息が、澄音の耳にかかる。
鈴鳴る海辺で、待っている 巳明 狐白 @shiroro_666
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