第3話
しかし、楽しい時間の背後には、避けられない影が常につきまとっていた。
彼には日本での滞在期限がある。その事実は、黙して触れられぬまま、ふたりの足元に長い影を落としていた。積み重ねる時間が増えるほど、私たちはその終わりを強く意識せざるを得なかった。
ある日、彼は真剣な眼差しで告げた。
「りつ、一緒にロシアに来てほしい」
胸の奥が震えた。
私は迷わず「行く」と答えた。
けれどその瞬間、心の奥底では、誰にも言えない不安が小さく芽を出していた。
ロシア語の学びは思うように進まず、簡単な挨拶さえ舌の上でぎこちなく転がるばかり。
彼の日本語が日に日に上達していくのに反比例して、私は彼との間に、見えない距離を感じてしまうことがあった。
新しい服を見せたとき、彼がふと口にした言葉――
「自分の妹はそんな贅沢できない」
その一言に、私はなぜか冷たい風が吹き込むような違和感を覚えた。愛情の裏側に潜む、文化や価値観の深い溝。それは小さな棘のように心に刺さり、抜けないまま残った。
さらに電話口の向こうから響くロシア語の抑揚――その言葉の意味は分からなくても、彼の家族が私との未来を快く思っていないのだと、直感で理解できた。
通話を切った後、彼は決まって沈んだ表情を浮かべた。問いかける私に、彼はただ「It’s ok」と短く答える。
その声の響きは、慰めよりも哀しみを帯びていて、私の胸に重く沈んでいった。
未来を夢見たはずの港町の風景は、いつしか少しずつ、終わりへと導く合図のように思えてならなかっ
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