(下)
ガクン、と大きな衝撃が走って、航太はハッと目を覚ましました。
カプセルベッドをはい出した瞬間、警報が耳をつんざきました。しかも、一目見て異常なことに、壁がぐるぐると回転しています。
慌てて作業室に飛び込むと、コンピュータの画面は赤く染まっていました。そこに表示された「重大インシデント発生」の文字に、一気に血の気が引きます。
「テポラ、いったい何があった?」
もどかしく思いながら端末にテキストを打ち込むと、電光掲示板に文字が流れました。
《スペースデブリが衝突しました》
「何だって?」
《機体が正常な姿勢にありません》
航太は急いで展望室に向かいました。窓の外を見て、あっと叫びます。
窓枠の中に、地球の水平線がめまぐるしく現れたり消えたりしていました。テポラがでんぐり返しを打つように、くるくると回っているのです。スペースデブリに追突されて、バランスを崩したせいに違いありません。
「まずは地上に連絡しないと!」
《落ち着いてください, コウタ。センサがエラーを感知した時点で, 地上の指令センタにすでに通知が行っています》
「そうか。機体の損傷はどれくらいひどいんだろう」
航太が苦労して作業室の計器類を確認したところでは(なにせ壁が高速で回転しているので)、さいわい居住空間に穴が空いたりはしていないようでした。
「とにかくこの回転を止めるのが先決だな」
最悪の場合、周回軌道を外れて、引力に吸い寄せられるまま大気圏に突入するというシナリオもありえます。
航太の頬を冷や汗が流れたそのとき、電光掲示板上をテポラのメッセージが流れました。
《うっぷ。酔って吐きそうです。まるで遊園地のコーヒーカップに乗せられているみたいです》
「お前、コーヒーカップにどうやって乗るつもりだよ」
テポラの軽口のおかげで、パニックになりかけていた心が少し落ち着きを取り戻しました。
「頼むから、宇宙空間におれを吐き出すことだけはやめてくれよ」
航太も軽口で応じたとき、コンピュータに地上からの指令が届きました。
その命じる通りに、航太はリアクションホイールの操作を手動に切り替え、機体の姿勢制御を試みました。
テポラが、正常位置まであと何度、と細かく指示を出します。
永遠に思えるような緊迫の時間が過ぎたあとで、やっとテポラの回転は止まりました。
航太は操作卓から震える指を引き剥がして、大きく息を吐き出しました。
「止まった……」
《コウタ, 望遠鏡部分に異常がないか, 計器を確認してください》
航太は慌てて計器類の針を確認しに行きました。
その後、ロボットアームの先端のカメラを使って外側から点検を行い、外壁の損傷箇所がいずれも修復可能であることが確かめられました。
唯一問題だったのは、デブリ衝突時に衝撃で光軸がずれてしまっていたことでしたが、それも主鏡と斜鏡の傾きをそれぞれ調整し直しさえすれば、解決することができそうでした。
「一時はどうなることかと肝が冷えたよ」
航太はラッコのような仰向けの姿勢で作業室を漂いながら、テポラに話しかけました。
すでに光軸調整の作業も完了しています。テポラは正常運行に戻っていました。
「お前のおかげで助かった。おれたち、いい相棒になれるかもな」
航太が言うと、テポラからはこんな答えが返ってきました。
《何を言っているんですか, コウタ。私のほうはとっくに相棒のつもりでしたよ(^_−)−☆》
テポラの言葉に、航太は思わずグッときたりなんかして……。
電光掲示板には、続いてこんな文字が流れます。
《報告書は早めにお願いしますね, 相棒(^_−)−☆》
「その顔文字やめろ」
航太は、端末を電光掲示板に向かって投げつける振りをしました。
地表から約600kmの周回軌道上では重大な危機が回避されましたが、同じころ地球上には暗雲が迫りつつありました。
やがてその真っ黒な雲は、航太とテポラの運命にも影を落とすことになるのです。
許された自由時間に、オリジナルのゲームを制作することが、航太は好きでした。
架空の世界を構築するために、ちまちまとプログラム・コードを書いていきます。
航太の2年の任期が終わったあと、次にテポラに着任してくるオペレーターや、またその次の人が、遊んでくれたらいいなと思いました。
ゲーム作りに没頭していると、それまで生活の役に立つ雑学やちょっとした豆知識を流していた電光掲示板が、地上のニュースに切り替わりました。
キーボードを叩きながらふっと顔を上げた航太は、ニュースの内容に愕然としました。
地上のとある大国が、海の向こうの国に、ミサイル攻撃を仕掛けたというのです。
航太は、円の形に掲げられた8つの国旗に視線を注ぎました。手を取り合ってテポラを建設した8ヵ国です。
攻撃を仕掛けたほうも、仕掛けられたほうも、その8枚の国旗の中にありました。
テポラ・プロジェクトに参加する8ヵ国は、敵味方まっぷたつに分かれました。テポラは、ミサイル攻撃を仕掛けた大国の指揮下に入ることとなりました。幸いにしてと言うべきか、航太の母国はその大国と同じ陣営に属していました。
テポラはもう、宇宙の観測を行わなくなりました。人類の未来のためにはるか遠くの銀河を眼差していたその目は、今では代わりに地上を見下ろして、敵陣営の軍事行動を監視するために使われているのです。
「お前はさ、こんなことのために造られたわけじゃないのにな」
当局の命令によって、展望室から小型望遠鏡で地上を監視しながら、航太はつぶやきました。航太もまた、研究の中断を余儀なくされていました。
「この宇宙がどうやって生まれたのか解明するとか、数千個の銀河を写した1枚の 写真で人々を驚かせるとか、そういうことのために造られたのに……」
テポラは相変わらず楽しげに豆知識を披露していましたが、しばしばその文字の流れは断ち切られて、ミサイルが敵国の核施設の破壊に成功しただとか、同盟国の軍が敵国の主要都市を陥落させただとかというニュースが、電光掲示板の上を占めるようになりました。
ある日、航太が展望室で地上を監視する任務に就いていると、晴れた海の上をジリジリと進む黒い物体が見えました。
電光掲示板に速報が流れ、敵陣営のミサイルが発射されたことが警告されました。
いったいどこへ向かうというのでしょう。
ミサイルの落下予定地点は、航太の母国、航太の生まれ育った都市の真ん中でした。
航太は大きく目を見開いて、醜い芋虫のようにのろのろ進むミサイルを見つめました。速報によれば、発射から着弾まで12分かかるそうです。
ここから手を伸ばせば、ひょいとつまんで止められそうでした。
当局によって通信を制限されて、もうずっと長いこと見ていない家族の顔が浮かびました。どうか逃げてくれ、と祈る間に、展望室の窓は母国の上空から遠ざかっていきます。
テポラが地球を一周して再び戻ってきたとき、航太の家族の住む都市は黒煙と炎とに包まれていました。
航太は展望室の窓を拳で何度も叩きました。その目からは止めどなく涙があふれていました。
やがて一通の指令書が、テポラのコンピュータに届きました。
テポラ宇宙望遠鏡を、敵国の首都へ落下させることとする。これは、戦況を一気に打開し、我が陣営を勝利に導く栄光の作戦である。
「いやだ。いやだ。そんなのはいやだ……」
航太は両手で顔を覆いました。ここが地上であれば、ずるずると床に座り込むところでしたが、無重力空間だったので、逆に体はふわふわと浮かび上がりました。
テポラは、国際平和と国際協調の象徴だったはずでした。
航太はかつて、そのことを何より誇らしく思っていました。
しかし今や、作業室に掲げられた国旗の半分は剥がされ、かつて8ヵ国で形作っていた円は見る影もありません。
作戦開始日時は、48時間後と定められていました。コンピュータの画面上では、すでにカウントダウンが始まっていました。
今からぴったり48時間が経てば、航太を乗せたテポラは表面温度1万度の火の玉となって、地上に死と破壊をもたらすことになるのです。
航太は絶望の涙に濡れた両手を顔から外しました。その両目が、誰にも見せたことがないほど強く光りました。
「テポラ、お前はおれが守るから。お前を大量殺戮の道具になんかさせないよ、絶対に」
航太は椅子のベルトをきつく締めて、コンピュータに向き合いました。十本の指が猛烈な勢いでキーボードを叩き始めました。
落下予定時刻まで45分を切ったころ、航太はキーボードの上に腕を投げ出しました。
「終わったよ、テポラ……」
その声は疲れ切っていて、目は虚ろでした。
《作業時間が基準の上限を超えています。無理をしたらだめだと, いつも言っていますよね?》
たちまち電光掲示板上を流れるそんなお小言に、航太は青白い顔で微笑みました。
航太のしたことは、プログラムの書き換えでした。
時間が来れば地上から、落下を命じるシグナルと、落下地点の位置情報がテポラに届きます。航太は、どんな位置情報が送信されてこようとも、テポラが広い海のど真ん中に墜落するよう、コードを書き換えたのでした。
船も寄りつかないような海の真ん中ならほとんど被害は出ないだろう。航太はそう考えました。きっと誰も犠牲にならずに済むでしょう。航太とテポラ、ふたりのほかは。
航太は、痺れてよく動かない指で端末にテキストを打ち込みました。
「テポラ、一緒に地球に帰ろう」
落下予定時刻まで、もう幾ばくもありませんでした。何度こすっても目が霞んで、電光掲示板を流れる文字はよく読めません。
それでも航太は最後に残った力で、テポラに語りかけました。
「こんなふうに互いに殺し合ったりして、確かにろくでもないとこもあるけどさ。でももしもお前が生まれ変わるなら、今度は人間に生まれて来いよ」
航太はふっと笑いました。
「もう一度友達になろうぜ、テポラ」
海面に浮上するように、少年は昼寝の夢から目覚めました。
体を起こした拍子に、目尻に溜まっていた涙がこぼれて、頬に筋を引きました。
手の甲でそれを拭って、少年は首を傾げました。何だかとても長い夢を見ていた気がします。
外から名前を呼ぶ声がして、二階の窓を開けると、友達が家の前に立って足踏みをしていました。
「午後から遊びに行くって約束しただろ!」
友達は、両手をメガホンにして叫びます。どこまでも遠くを見とおせるような、その澄んだ目が、きらきらと光っているのがわかります。
彼とは1学期から同じクラスになったのですが、不思議と初めて会った気がしませんでした。ずっとずっと前から、知っていたような気がします。
「ったく、こんなに待たせて何してたんだよ?」
友達に文句を言われて、少年は頭をかきました。
「わりぃ、昼寝してた」
「いい夢見たか?」
からかうような調子の言葉に少年がうなずくと、友達は歌うように言いました。
「それはよかったカルカッタ!」
「何だよそれー」
少年は噴き出して「いま行く!」と部屋を飛び出しました。
家の前で合流した少年と友達は、互いにふざけあいながら走っていきます。
今日の空は青く晴れて、宇宙の高さまで平和です。
〈了〉
望遠鏡守 わと @hoshinooutosamayoerumizuumi
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