第4話 憂鬱
「五月って、なんかいやなんですよね」
客入りが少なくて、手持無沙汰な平日の午後、高城さんが言った。
美術館にはもう行ったのだろうか。
私が興味なさそうにしたものだから、あれ以来、絵の話はしてこない。
「いやな思い出でもあるんですか」
尋ねてみたら、彼女は首を振った。
「特には。けど、学生時代は五月病になって保健室登校とかしてたし、社会人になってからも憂鬱になることが多くて。あ、今はそんなことないんですけどね」
いつも明るい高城さんが、過去に保健室登校をしていたなんて意外だ。けれど、五月は、快活な人さえ憂鬱にさせてしまう季節なのだろう。兄が痴漢事件を起こしたのも五月の終わりだった。
「杉崎さんは、憂鬱になること、ありませんか」
「えっ」
急に尋ねられて、私は彼女の顔をじっと見てしまう。マスカラで黒く長く彩られた睫毛や、ディープブラウンのラメ入りアイシャドウの載った目蓋なんかを。
「べつに、ないですね」
私は少し考えて、当たり障りのない返答をした。毎日何となく重苦しい気持ちで生きているけど、具体的に何かあった、というわけではない。
「そうですか。まあ、人それぞれですよね。なんか、同じように生きているのに、起き上がれなくなるきっかけとか、普通の生活に戻れなくなる境界線とかがあるみたいで。私もよく分からないんですよ」
「何かあったんですか」
私は、高城さんの瞳の、明るい部分しか見ていなかったことに気づいた。
「ええ、ちょっと」
彼女が答えかけたとき、チャイムの音が鳴って、団体客が入ってきた。
「いらっしゃいませー」
機械の音に反応して、彼女は人数分のお冷とカトラリーをさっと用意する。
「あとで」
小さな声で言って、高城さんはお客様のところへ向かった。
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