第31話 拉致問題とチョーコー その1

2000年6月13日に朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国による南北首脳会談は、日本に住む在日コリアン達にも影響を及ぼし、在日朝鮮人と在日韓国人の間にも雪解けムードが起こっていた。

元々、民間レベル並びに朝鮮総連と韓国民団の間も、そこまで仲が悪いという事はなかったが、国のお墨付きを得られたことで、在日社会の間でも本格的な「朝鮮統一」の機運が高まっていった。

韓国のメディアが大阪チョーコーを取材。

それを快く応じる朝鮮総連という、数十年前では考えられない出来事も起こった。


2002年5月31日から6月30日の間には、サッカー韓日ワールドカップも開催。

韓国がイングランドワールドカップで記録した北朝鮮のベスト8を上回る、ベスト4を記録。世界に衝撃を与えた。

その衝撃は、在日社会にも波及。

最初は、あまりいい顔をしていなかった朝鮮総連側、在日朝鮮人たちも韓国のW杯での大活躍に熱狂し大声援を送ったのである。


2000年前後は、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国、そして在日朝鮮人、在日韓国人たちが未来へ向けて少しずつだが、手を取り合って、前進していた時期であった。

在日たち、そしてチョーコー生たちにとっても、明るい兆しが目の前に広がっている事を感じていた。


だが・・・・・・。


「末端の兵士が愛国心にかられ拉致を行ってしまった。申し訳ない」


2002年9月17日の第1回日朝首脳会談で、金正日が拉致犯の代わりに小泉純一郎ら日本政府に拉致を謝罪。

この一言が、日本社会と在日社会に激震を与えた。


その日以来、日本のマスコミは、北朝鮮と朝鮮学校を連日バッシング。

北朝鮮の話題がない日はないんじゃないかと思うぐらいの過熱報道ぶりであった。

報道内容は、「末端の兵士が勝手にやった」という部分は無視され、あたかも、北朝鮮・金正日が主体的に行ったかのようなプロパガンダ報道であった。


東京チョーコーも拉致問題で揺れていた。

保護者達は、チョーコーの校長たちに説明責任を求め紛糾。

拉致問題発覚後、チョーコーを辞め、日本人学校へ転校するチョーコー生が続出。

3クラス分の生徒が一気にチョーコーから消えたのだった。

また、拉致問題前まではチョーコーOBたちの命がけの戦いのおかげで、鳴りを潜めていた、日本人による通学中を狙った、チョーコー生への襲撃や嫌がらせは、拉致問題発覚とメディアにより朝鮮総連等へのバッシングにより、嫌がらせが増加。

今までチマチョゴリを着て通学していた女子生徒も、嫌がらせから身を守るため、日本人風の制服で通学せざるを得なくなり、ウリハッキョ(私たちの学校)でチマチョゴリに着替えるという対策を行わざるを得なくなった。


今までは、朝鮮を植民地にしたという反省・罪悪感から厳しい取り締まりを行ってこなかった警察・公安も一斉に動いた。

何の犯罪も行っていない朝鮮国籍の在日朝鮮人を警察署に1人ずつ呼びつけ、取り調べを行ったのだ。

完全に違法である。

だが、世間やメディアは誰も取り上げる事はなかった。

また、2000年まで日本中で経済的隆盛を誇っていた在日朝鮮人経済界だったが、拉致問題発覚後、公安による集中的な取り締まりが行われ、在日朝鮮人が経営する会社は軒並み潰されていった。


朝鮮総連は慌てた。

日本メディアによる、連日の北朝鮮・総連バッシングに加えて在日の朝鮮総連・朝鮮学校離れである。

朝鮮総連・朝鮮学校への寄付金も激減した。

そんな苦境の中、朝鮮総連は韓国民団との長年に及ぶ敵対関係の解消・和解を模索し始める。

2006年「総連、民団5.17共同声明」である。

日本にいる在日達から朝鮮統一の第一歩を描こうという名目でこの和解は行われた。

韓国民団も、この時期、在日への逆風が吹いている事を考え、在日同士団結しようという総連の提案に賛同、2006年5月17日、民団側が総連本部を訪れ、共同宣言を発表した。

在日同胞、海外同胞たちもこれを歓迎し喜んだ。

だが、これを日本政府は、快く思わなかった。

この共同宣言後、日本政府は、在日韓国人が経営するパチンコ店への一斉ガサ入れを開始。

これに困ったのは在日韓国経済界であった。

この難癖に近いガサ入れで、パチンコ店を閉店せざるを得なくなる在日韓国人が多発した。

この日本政府の圧力により、韓国民団団長・河丙鈺(ハ・ビョンオク)は責任を取り辞任。

「5.17共同声明」も白紙撤回された。


これらの日本政府・日本メディア、日本国民による集中的な攻撃・嫌がらせ・圧力により、朝鮮国籍を保有する在日朝鮮人たちは、慌てて韓国国籍または日本国籍を取得するようになった。

もちろん、帰化も容易ではない(日本人の中には帰化は簡単にできるかのような言動する人が多い)。

忙しい仕事の合間に、数百ページにわたる書類を用意・記入しなければならず。

それを揃えたといっても、法務省の胸先三寸で帰化できるかできないか決まるのだ。

また、在日が日本名でなく本名で帰化したいと申請しても、法務省職員が「前例がない」「そんな名前は日本人にいない」と言って取り合わない事例も多々起こり、名前一つ決めるのすら重労働なのだ。

保守思想の日本人が、在日は本名を名乗れ!とよく発言しているが、そもそも日本政府自体が在日に本名を名乗らせてくれない。という事実を知っている保守思想の人間はほぼ皆無である。

だが、そんな法務省職員を手玉にとった在日コリアンがいた。

ソフトバンクCEO・孫正義である。

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