第3話 媚びて媚びて生き延びろ!

 何もしない。


 その言葉通り、ディーさんは何もしてこなかった。もちろんそれを望んでいたわけだけど、それでもかなり身構えていた俺はちょっと拍子抜けしたりして。


 窓から差し込む朝日の眩しさで目を覚ました俺は、首と胴体が繋がっていることにホッと胸を撫で下ろした。人間、こんな精神状態でも眠れるらしい。気を張りまくりで疲れていたし、あとたぶんあのクソまずい酒のせいもあるだろう。


 兎にも角にも――無事! 俺、無事! 生きてる!


 生きて朝日を拝めた喜びに身を震わせ、繋がっている首を擦っていると、こちらに背を向けていたディーさんがごろりと寝返りを打った。それはそれは立派すぎる山羊の角を持つ彼は一体どうやって眠るのだろうと思ったのだが、この寝台はヘッドボードがないため、枕をギリギリまで端に配置すれば、角を寝台の外へ出す事が出来るのだ。成る程、この寝台に高さがあるのはそういうわけなんだな。床に布団ではうつ伏せでしか寝られない。それじゃ寝苦しいだろう。


 そういえば、こんなに間近で彼の顔を見るのは初めてだ。床に就いた時にはすでに灯りも落とされていたし、俺達はお互いに背を向ける形で横になったし。


 夏は灼熱、冬は極寒と、イスタの環境はかなり過酷だ。短い夏は雨が少なく、その分、長い長い冬にどっさりと雪が降る。夏の間は『神の山』と呼ばれているキヌイ山から流れる雪解け水で暮らしているのだとか。


 そんな環境で生きる彼らはなんていうか、皮膚一つとっても俺らとは根本的な何かが違う気がする。何せこの寒さの中でも腰巻一枚だ。いくら半獣人とはいえ、全身が毛皮に覆われているわけではない。だから少なくとも毛皮がない部分は俺らと同じはずなのに。


 ほんの好奇心で、つん、と肩に触れてみる。一年中太陽に焼かれ続けた褐色の肌。俺も夏の間は多少焼けるけど、真っ赤になって終わりだ。ここまでの色にはならない。肌の表面は特に俺達と変わらない。ざらざらしているわけでも、硬いわけでもない。ぱぁん、と筋肉の張りがある以外は俺と変わらない。強いて言うなら、かなり体温が高いくらいだろうか。


 そんなことをふむふむと考えていると。


「珍しいか」

「ヒッッッッ!?」


 起きた。

 いや、起きてた?

 いつから? いつから起きてたんですか?!


 慌てて指を離し、距離を取ろうと、尻をつけたままずりずりと後ずさる。が、ここは寝台の上だ。いくらかなり広いといっても、それは寝台としては、という話であるわけで。


「うわっ!?」


 ずざざざ、と勢いよく後退した俺は、知らず知らずのうちに寝台ぎりぎりまで来ていたことに気が付かなかった。右手がずるりと落ち、バランスを崩す。そういやこの寝台はそれなりの高さがあるんだった。えっと、これ、背中から落ちても大丈夫? そりゃあそれなりの高さってのは、何も腰くらいとかそこまでじゃない。せいぜい俺の膝くらいだ。だけれども、角度的に頸椎から落ちる感じにならんかな? うまく受け身取れるかな?


 よくもまぁこの一瞬の間に色々考えられるものだ。

 よく、事故に遭う瞬間なんか、景色がスローで見えたりするとか聞くけど、えっこれもうそういうレベルのやつ?! もしかして俺、こんな間抜けな事故で死んだりする? 


 と。


「わぁっ!」


 右足首を掴まれたかと思うと、グイっと強く引っ張られる。その勢いで、床との衝突は免れた。成人男性を片手一本で引っ張り上げるなんて、とんでもない馬鹿力である。いやもう、右足、股関節から引っこ抜けたかと思った……。


「あ、ありがとうございます……」


 関節が外れていないことを確認するように、ずきずきと痛む右鼠径部を摩っていると、「すまん。痛かったか」と詫びられる。


「い? い、いえいえいえいえ! 全然! そんなことは!」


 座り直して平伏だ。

 もういまのでわかった。わかりまくった。最初からわかってはいたけど、身をもって思い知らされた。どう考えても俺が勝てる相手じゃない。ちょっとでも機嫌を損ねたら、俺の人生、その時点で終わる。正直に言うと、掴まれた足首もじんじんしてるし、この痛みからしてたぶん指の痕とかくっきり残ってそうだけど、そんなことを訴えられるわけがない。


「た、助けてくださり、ありがとうございます。それと、その、勝手にお身体に触れてしまって、申し訳ありませんでしたぁ!」


 何とか。

 何とか今日も生きたい。

 五体満足でいたい。


 何の反応もないのが恐ろしく、そーっと顔を上げてみると、ちょっとぽかんとした表情のディーさんがいた。


「かまわない、それくらい」

「ふぇ?」

「身体くらい、好きな時に触ってもらってかまわないが」

「いや、あの」

「ウェスパニアにはいないのだろう? 半獣人は。珍しいと思って当然だ」

「それは、まぁ、そうですけど」


 ほら、とさっき触れていた方の肩を差し出される。


 いやいやいや! じゃあ失礼しまーす! とか言えるわけなくない? この状況で! でもせっかくこの俺様が譲歩してやってるのに? みたいなことになったりするかも!


「し、しししし失礼しますっ!」

 

 媚びろ! 常に最善を選び続けるんだ! 生きろ! 生き延びろ、俺!


 ぷるぷると震える手で、肩にちょん、と触れる。まぁさっきも触れたから、『触れた』以上の感想はない。


「どうだ?」


 だから、どうだ? とか聞かれましても!


「ご、極上の弾力でございますっ!」

 

 そう返すほかない。


「せっかくだし、毛皮の方もどうだ」


 そんなことを言われましてもねえええええ!


 あっ……、めっちゃ柔らかくてふわふわですね。

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