第25話 氷の心、正義の槌2
幼い頃にテレビで見たヒーローがいる。
弱い人々のために、その身を犠牲にして戦う正義の味方。それが戦う姿を真似てパンチやキックの練習をしたものだ。そんな、どこにでもいる男児だった。
「う……うあ……あ」
結局のところ、大多数がそうであるように、自分はただの一市民でしかないのだ。テレビの中なら守られるだけの存在である。
テレビと違うのは、誰も守ってくれなかったということだけ。
「ああ……あ」
だから自分がヒーローになろう。自分と同じように助けを求める人々を守るのだ。助けを求める人の横に立ち、支えてあげられる人間になるのだ。
尾辻健太郎が弁護士を志したのは、そんな子供じみた、ありふれた理由からだった。
「あ、あ、あ……」
さっきから足元がうるさいなと、健太郎は視線を落とす。
両腕が凍って地面に磔にされた男が呻いている。つい数分前に健太郎を蹴りつけた男だ。その傍らには全身が凍りついた酷く汚らしい氷像が転がっている。
「あ、い、いた……冷た……たすけ……」
「うるさいな」
健太郎は蟻でも踏み潰すように男の顔面を踏みつける。鼻の砕ける音が響き、血が流れる。それが酷く汚らしいものであるかのように足をどかした。
「一人逃がしたな」
体が酷く冷たい。
真夏だというのに吐く息は真っ白だ。
健太郎は感触を確かめるように両手を開閉する。
「た、たすけ……許して……」
男は健太郎を見あげ命乞いをする。ガタガタと歯の根が会わない様子である。恐怖のためか冷気のせいか、おそらくは両方だろう。
その冷気をさらに強くするような冷たい目を、健太郎は足元に向ける。
「お前たちは、俺の言うことに一度でも耳を貸したことがあったっけ?」
男は絶望的な表情になる。
「わ……悪かった。あ、あやまるから……助けて……助けてくれ……」
健太郎は嘲るような薄笑いを浮かべる。
「そうだな。逃げたあのリーダー気取り。あいつの居場所を教えるなら、考えてもいいかな」
「あ、あいつ……井田のこと……か? ……し……しらない」
健太郎は男の右の手を踏み潰した。まるでガラスが砕けるように、男の右手は粉々に砕け散る。男は声にならない悲鳴を上げた。
「ほら、早く答えないと腕がなくなるぞ」
そう言い、さらに手首を踏み潰す。どの道その腕はとうに壊死している。解凍したところでもはや使い物にはなるまい。
それを知らない男は自らの体が粉砕される光景に狂乱し、唾を飛ばしながら叫んだ。
「本当に知らないんだ! お、俺達は本当に、たまたま遊びに来ただけで、この辺のことなんか、何も知らな――」
最後まで聞くことなく、健太郎は前腕を潰す。
「――く、車だ! 俺たちが乗ってきた、車がある! そこに、あいつの荷物があるから、何か分かるか――」
「どこに停めてる?」
「ば、場所は、この辺の、コインパーキングで、白いセダンで、あ、鍵だ! 鍵が俺のポケットに! そこにナンバーが書かれてるから!」
健太郎は上腕を踏み潰す。男の右腕は、これで肩から先がなくなってしまった。
「あ――はは、俺の腕、ひひひひははは、俺の腕が、キラキラして、ひゃははは――!」
地面をのたうち回りながら男は笑う。それを冷めた目で見下ろし、健太郎は男のポケットから車の鍵を抜き取った。レンタカーのようで、男の言った通りナンバーが書かれたシールが貼ってあった。
健太郎はもう用済みと、男の胸を踏みつける。
そこを中心に冷気が集まっていき、バキンと鋭い音が響くと男の全身が一瞬で凍結した。
それを扇ぐように右手を軽く払うと、たちまち傍らの氷像もろとも男の上半身が砕け散った。飛び散る男の断片は、ダイヤモンドダストのように宙に散らばり、キラキラと瞬いた。
――そうだ、井田だ。
怨敵の名前を思い出す。リーダー気取りの、あの男。
自分の人生と、大切な友人を脅かす、明確な敵。
それだけではない。あのような人間は、きっと生きているだけで、善良な他の誰かにも危害を加える。
他者を傷つけ、奪うことしか頭にない、まさしく害虫だ。
――駆除しなくては。みんなのために。
冷え冷えとした思考に、唇が歪む。
過去の屈辱が、快楽に変換される。
ふと、奇妙な、誰かに見られているような感覚を覚える。表通りの方に目を向けたとき、まるで人の気配がないことに気が付いた。
さっきの男もかなり大きな声で喚いていたが、誰もこの路地裏を覗き込もうともしなかったことに気がつく。不思議に思ったが、しかしすぐにまあそういうもあるだろうと納得し、深く考えることをしなかった。
「素晴らしい」
そのとき、路地裏の奥に男――のようなものが立っていることに気が付いた。
目を凝らすが、なぜか輪郭がぼやけてその姿をうまく捉えることができない。妙な話だが、太った青年のようにも見えたし、枯れ果てた老人のようにも見える。
「少し突いただけのつもりだったが、思いの外愉快な結果になったものだ。黒翼を始末した者を見物に来ただけのつもりだったが、良い拾いものをした」
「誰だ?」
影が揺らめく。
人の気配のまるでない静寂の空間で聞こえるその声は、異質だった。しかし、どういうわけか健太郎は少しも恐怖を覚えなかった。本来、彼は臆病な性質だというのに。
「私の名はエイゼンという」影は起伏のない声で言った。「尾辻健太郎。お前を祝福するものだ」
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