第21話 弱者の戦い3

 パチパチと火の爆ぜる音がした。

 断続的にまだ爆発音が響いている。

 真っ黒な煙が空に昇っていき、あんなに鮮やかに見えていた月を覆い隠している。

 空気はまるで灼熱で、呼吸をするだけで肺が燃えるように痛んだ。


 道隆は、燃え盛るガソリンスタンドから数十メートル離れた地面の上に寝転がっていた。爆発で吹き飛んだのだろう。運が良かったのか、金目が耕したクッションのような地面の上に落下しており、体に異常はなかった。


 ――異常がないわけないだろう。


 なぜ生きているのかは、まったく分からなかった。

 確かにガソリンの貯蔵庫に火を投じた。

 それが爆発した瞬間も見たはずだ。

 その光景を最後に記憶が途切れている。


 轟々と燃え上がる炎を見るに、そう時間は経過していないらしい。

 道隆は体を起こし、自分の体を観察する。


 異常がない、という点で、道隆の体は異常まみれだった。

 火傷どころか、それ以前に服にすらもほんの小さな焦げすらも見当たらない。だが、爆発以前に負ったはずの傷や血の跡ははっきりと残っている。

 火を放ったのは錯覚だったのかとすら思えるような状態だが、ならばどうして目の前に見えるガソリンスタンドは燃えているのか。


 分からないが、考えても仕方がない。生きているのならそれでいいではないか。今はとにかく、白亜の元に急ぎ戻るべきだ。

 路上に置いてきてしまったが、他にも金目がいないとも限らない。道隆は不気味に思いつつ立ち上がる。


 ギチリと、音が鳴った。


 絶句する。

 爆発の瞬間を見たわけでない。

 しかしこの炎上を見れば、生半可な規模ではなかったことは想像に難くない。

 真夜中の街並みを眩しいほどに、大炎上する炎は照らし出している。

 その巨大な炎の背後から、炎に包まれた金目が姿を現した。


「何で生きてるんだ、この化け物――」


 無傷というわけではない。

 丸い体は一部が欠損しており、瞼だった部分は剥がれ落ちている。足も数本しか残っておらず、残った足も大部分が炭化しており、地面を抉る力はほとんど残っていないようだ。背中にあった羽は完全に影も形もなくなっていた。

 それでも、その威圧感は損なわれていない。

 黄金の目に赤みがかかる。

 それは怒りだと、道隆は直感した。


 どこからどう見ても瀕死だ。

 もう一押しで倒せる。

 だが、そのもう一押しの手だてが、道隆にはない。


 金目が近づく。

 その都度肌を焼く熱が強くなる。

 金目は、まるで天を仰ぐように体を傾け、全身を揺する。不愉快な金属音が鳴り響き、そのあまりの音量に道隆は両耳を塞いだ。それはまるで、金目の咆哮のようだった。


「いっちょまえにキレてんじゃねえよ、死に損ないっ!」


 道隆はベルトに挟んでいた武器を引き抜く。

 もうこれ以外に武器はない。

 ここでトドメを刺さなければ、これまでの苦労が全て水の泡だ。


「っ!」


 道隆の体力はとっくに限界を超えている。これ以上は動くなと、節々に激痛が走る。血も流しすぎた。視界も次第に狭まってくる。


 道隆はその場で吐く。

 胃液が喉と鼻腔を焼きながら、口と鼻から溢れてくる。悲しくもないのに目からは大粒の涙が流れ出た。


 金目を睨む。

 残った足をくねらせ、まるで誘うように道隆を見据えている。

 おそらく金目は道隆のことを害虫程度にしか思っていなかった。言うなればゴキブリである。鬱陶しいから殺さないと気が済まない。その程度の存在だ。だから、一度も全力など出していなかった。

 それが今、金目の目には明確な敵意が見て取れる。

 道隆のことを、確実に排除すべき敵として見ている。


 いくら敵が満身創痍とはいえ、こうなってはもう勝ち目などない。逃げる体力は残されていない。道隆に残されたのは、正面から切り込むことだけだ。


 道隆は最後の力を振り絞り、雄叫びを上げて突進する。

 即座に金目の足が反応し、火の粉を撒き散らしながら振り上げる。


 その速度は今までの比ではなかった。


 火の粉と炭化した金目の足が道隆に降り注ぐ。

 足は空を切り、その音は全身の骨という骨をも揺さぶった。


 瞬間、グシャリと、自らが潰れる音を、道隆は聞いた。


 だが、持ち上げられた金目の足の下には、潰れた自分の体などどこにも見当たらなかった。

 道隆は何事もなく立ち上がる。

 その下のアスファルトも無傷だ。

 血の一滴さえも落ちていない。


「――」


 時間が止まる。

 血が少ないせいか、余計な雑念が全て排除され、猛スピードで道隆の頭は結論に向かって突き進んだ。


 体を三等分に切断した猿面の金目。


 ガソリンスタンドの爆発。


 今まさに自分を叩き潰した金目。


 道隆は足元に視線を落とす。

 金目が叩き潰した地面は深く抉られているが、なぜか道隆がいる場所だけが無傷である。


 意味不明だった全ての記憶が、一つの像を結ぶ。


「――僕が死ぬと、僕と僕の周りだけが、死ぬ直前の状態に戻っている」


 切られた体は、服ごと切られる直前に戻った。

 爆死した自分は吹き飛びながら吹き飛ぶ前の状態に戻った。

 叩き潰された体はその下のアスファルトごと、潰される前に戻った。


 理屈は分からない。まったく荒唐無稽な話だが、そうとしか考えられない。


 道隆は――裂けんばかりに唇を歪めた。

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