第17話 vs 奥村白亜
その初太刀をかわすことができたのはまったくの偶然だった。
白亜が踏み込むと、道隆は気圧されて後退り尻餅をついた。その刹那、白亜の武器は道隆の頭のあった場所を突き刺した。
まるで空間が裂かれたかのように、全身がビリビリと振動する。冷たい白亜の目が道隆を捉え、再度、返す刃が振り下ろされる。
道隆は遮二無二地面を転がってそれを避けると、跳ね起きるように立ち上がって全力で駆けた。
「くそ――」
コンビニの前を通り過ぎ、明かりが全て消えていることに気がつく。さっきまでいたはずの若者集団の姿も見えない。虫の音さえも消えている。異質な空気が、全身の肌をザラリと舐める感触があった。
「――なんなんだよ、これは!」
その世界には一度しか入り込んだことがないが、感覚で分かる。ここは、
なるほど、完全犯罪を行うならこれ以上の場所はあるまい。
ちらと後ろを見る。
白亜が追ってきているのが見えた。
道隆はインドアではあるものの、成人男性の平均以上の運動能力は持っているものと自負していた。対して、白亜は運動が苦手だったはずである。なのに、二人の距離はぐんぐん詰められていく。
このまま直線で逃げても勝ち目はないと判断し、適当な脇道に逃げ込む。
土地勘もなく、適当に逃げては袋小路に迷い込む可能性もあったが、そうする以外に道はない。
しばらくそうして乱雑に逃げ回っているとすぐに体力の限界が訪れ、脇腹を押さえて立ち止まる。白亜の姿はなくなっていた。
雑居ビルにもたれ、可能な限り静かに呼吸を整える。
――さっきの声は何だ。
体力の回復に専念しつつ、ようやく道隆はあの謎の声に考えが及んだ。まるで白亜を苛むかのような、恐ろしく冷酷な声。どこから誰が喋っているのかも分からなかった。
一つだけ確かなのは、あの声は白亜をけしかけていたことだけだ。
そのとき、ふと月明かりの下にいた道隆に影がさす。
それはほとんど生存本能による危機察知だった。道隆はろくに考えもせずに前のめりに転がった。
瞬間、上空から現れた白亜は、道隆が立っていた地面に銀の杭を突き立てた。
「――」
深々とアスファルトに突き刺さる杭に道隆は戦慄する。
道隆は乱れた呼吸を噛み殺し、怒声を上げた。
「どうしていきなり僕を殺すだなんてことになるんだ! さっきのあの声に脅されてるのか!?」
白亜は冷たく何も答えない。
代わりに、答える意思はないとその冷たい目が答えていた。
白亜は地面から杭を抜くと、まるで雷光のような突きを放つ。火事場の馬鹿力か、道隆はすんでで顔を傾け、頬を僅かに裂かれるに済んだ。
「っのお!」
道隆は杭を持つ白亜の右手を両手で全力で掴んだ。白亜は一瞬眉を潜めたが、それ以外の変化は見せなかった。
「僕は――話をしに来たんだ! 殺されるためなんかじゃない!」
白亜は道隆の手を一瞥し、ふうと小さく息を吐く。
「この武器は……地球乃が持っていた……凶器だ! どうして君が持ってるんだ……!」
白亜は道隆の問いを、尚も黙殺する。
「せめて、殺される理由くらい、教えろ……!」
白亜は道隆とは目も合わせず、ようやく口を開いた。
「知らない方が幸せなこともあります」
「それを決めるのは僕だ! 君じゃない!」
白亜は微かな声で何かボソボソと呟き、右手を払う。信じられないことに、道隆の体は軽々と地面を離れ、弧を描いて地面を転がった。
道隆は呻き声を上げながらも急いで立ち上がる。すでに体力は限界だったが、よろめきながらも間合いを取る。
痛みと、酸欠と、混乱とで、目眩がする。世界がぐにゃりと捻じれ、真っ直ぐに立つことができているのかもあやふやだ。
白亜は道隆の痕跡をふりはらうかのように右手をふるいながら道隆との距離を詰めていく。
「君は……君が……僕を殺そうとするのは、僕を恨んでいるからなのか?」
白亜はぎくりと足を止める。
しかしすぐに歩みを再開する。
その歩みは少しも淀まない。
「それくらい、答えろよ……!」
道隆はジリジリと後退する。
速力、膂力、先ほどの跳躍力、少しも息が上がっていないところをみると体力もだ。あまりにも性能が違いすぎて勝負にならない。
頬に切り傷、全身に擦り傷と打撲。満身創痍といえばそうなのだが、まだこれだけの軽傷で済んでいるのは奇跡である。
運が良かったところもあるだろう。しかし、それが指し示すのは、もっと別の理由だ。
――彼女はまだ、全然本気ではない。
瞬間、白亜の姿が掻き消えた。
え、と思う間すらなく道隆は胸倉を掴まれ、足は地面を離れる。一瞬の浮遊感の後、背中をビルの壁に叩きつけられた。
「かは――っ!」
衝撃で、押し出されるように肺から全ての空気が吐き出され、意識が混濁する。
目の前には、左手で道隆の襟首を摑んで持ち上げる白亜の姿があった。
肺から失われた空気を取り戻そうと試みるが、首を絞められており満足に取り込むことができない。ただでさえ酸素を欲している肺が、痛みという名の悲鳴を上げた。
間髪入れずに白亜は右手の杭を逆手に持ち替え、その先端を道隆の額に向けて振り上げる。
無意識だった。それで白亜の刃を防ぐことなどできるはずがないのに、道隆は額の前で両腕を交差させる。無意味な抵抗である。次の瞬間には、道隆の両腕を杭が貫く――
「っ!」
なぜか杭は急に軌道を変え、道隆の顔を掠めそのすぐ横の壁を穿った。何が起きたのか分からなかったが、考えるより先に白亜の手の力が緩んでいることに気が付き、力任せに振り解く。
地面に落ちると同時に激しく咳き込みながら全力で地面を蹴って白亜と距離をあけた。
――何が起きた……?
道隆は白亜を一瞥する。
――わざと、強引に軌道を逸らしたように見えた。
不可解だったが、ゆっくりと考えている暇はない。道隆はまた走り出そうと足に力を込める。
だが、その力が解き放たれることはなかった。
またもや、気づいたときには道隆の足は地面を離れていた。
襟首を掴まれて強引に投げられた感触があった。体は仰向けの状態で地面と平行に飛行している。空に浮かぶ月と星空を視認した途端、それを大きな影が覆う。
「――白亜ぁぁっ!」
白亜は空中で道隆に馬乗りになり、彼女自身の体重で道隆の体は地面に落とされた。後頭部が地面に激突し、意識が飛びかける。
両手は白亜の両膝が、太腿は彼女の細い足首が、首を左腕が、ぞれぞれ押さえ込み、不自然なほどにどこも動すことができない。
僅か、一秒の出来事だった。
抵抗どころか、指先一つ動かす間もなく、道隆は完膚なきまでに制圧された。
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