第二章

第13話 ある共犯者の独白

 試験期間が明けてから、早くも一週間が経過した。

 道隆はその間、研究会に顔を出すでもどこかに遊びに行くでもなく、下宿先の狭いアパートに引きこもって夏の日差しをかわしている。


 言うまでもなく、あれから白亜とは会えていなかった。連絡先も知らないし、朦朧としていたせいで彼女の下宿先も部屋番号も曖昧模糊としてはっきりしない。


 それに、もう一度話をしたいと思ってはみても、道隆は行動に移す勇気を持てない。聞きたいことは山程あるのに、足を重くする理由ばかりが底なし沼のように道隆を捉えて離さない。


「くだらない感傷なんだよ」


 道隆は天上の吊り下げ照明をみつめながらぼんやりと呟いた。


 怖いのだ。


 白亜はまだ全てを語るどころか、本当のことも語っていないことは明白である。

 道隆は、既にかさぶたも剥がれた額の傷に軽く触れながら思案した。

 この一週間、道隆も冷静に自分の身に起きたことを客観的に俯瞰することができた。そして一つだけ、白亜が真実を語っていたと断言できる情報があったことに気がついた。


「あいつの――あの事件の真相を暴くため、か」


 白亜に言われるまで道隆は少しも違和感を抱くことができなかったが、彼女の言う通りあの事件の経過はおかしいところだらけだ。


 道隆は、奥村地球乃が血の滴る凶器を持っていたのを、明瞭に覚えている。しかしその凶器はどこからも見つからなかったため、道隆の証言は極限状態の錯乱による見間違いと断じられてしまった。


 しかしそれなら、凶器が見つからないのなら、外部犯の可能性だって捨てることはできないはずだ。学校という閉鎖空間で完璧に凶器を処分するなど、現実的に不可能ではないか。そもそも地球乃は、逮捕されるまで現場となった教室から動いていない。

 状況証拠は確かに奥村地球乃を指し示している。だが、決定的な証拠はない。にも関わらず早々に地球乃は死刑判決を受け、事件から僅か二年という異例の早さで執行された。


 道隆だけではない。

 死刑が実行されれば、死刑を廃止した国からも非難の声があがるのが常である。だが、その声すらも皆無だ。

 ニュースもSNSも同じ。検索窓にどんな言葉を入れようと結果は空虚なものばかり。まるで、地球乃の存在そのものを白紙化するように。


 まるで悪夢だ。

 世界中が結託して、奥村地球乃という存在を排除したような、そんな気配すらも感じる。

 白亜にもう一度会うということは、この異常な事象に面と向かって立つということだ。道隆は、それがたまらなく恐ろしい。


「いや、違うだろ。かっこつけるなよバカ野郎」


 道隆は自分を罵る言葉を吐き捨て、窓の外に目を向けた。ちょうど登校の時間らしい、アパートの前をランドセルを背負った小学生たちがはしゃぎながら駆けていった。

 なんの邪気もないその笑い声が胸に辛く、道隆は窓を閉める。


 道隆はため息をつき、壁にもたれた。

 一人の時間が長いと、無駄に哲学してしまう。

 だから、気付きたくもなかった自分の本心にさえも気がついてしまう。


 奥村地球乃。

 道隆は、彼が無実である可能性があることに、希望を抱いてしまった。

 だが、それを認めたくなかった。

 この二年間、彼を憎悪し続けてきたのは何だったのだ。この憎悪が筋違いのものだったのか考えると、本当は喜ぶべきことのはずなのに、道隆にはそれができない。


 結果的に何の意味もなかったが、道隆は地球乃が凶器を持っていたと証言している。いや、それ以前に、道筋は地球乃の犯行の瞬間を見たとも証言している。犯人は地球乃だと、急先鋒に立って主張した側なのだ。


 世界中が地球乃を排除しようとしている?

 何を他人事のように。


「――僕だって、立派な共犯者じゃないか」


 ――共犯者ならば、では主犯は誰だ。 


 思い出すことも憚られる、気色悪いあの黄金の目がフラッシュバックする。

 なるほど、馬鹿みたいな陰謀論より、常識外れの実在する怪物の方がまだ説得力がある。あれがどんな存在なのかはまだよく分からないが、白亜が金目が事件に関わっていると考えるのは合理的だ。


 地球乃を取り巻く不合理な事象の数々に本当に金目が絡んでいるのなら、相手は世界の法則から外れるどころか、法則そのものを捻じ曲げるほどの力を持った化け物ということになる。

 当事者の一人のくせに、そんなデタラメな化け物を、白亜一人に押し付けるつもりなのか。


 ――僕も動くべきだ。


 そう思うのに、やはり体が動こうとしてくれない。白亜のことを思い出すだけで、体が意思を離れて命令を拒絶する。


 ふとそのとき、部屋の隅に置き去りにしていた黒い布に気が付いた。健太郎に借りた筆箱である。結局試験の間ずっと借りたままで返すタイミングをなくしてしまっていた。

 この程度のことすら億劫になっていたのかと、自嘲を超えて呆れてしまう。


「まずはリハビリだな」


 健太郎の筆箱を拾い上げ、長い間ろくに動かしていなかった体をギシギシ軋ませて道隆は立ち上がった。これなら体は動くらしい。

 夏休み中なので健太郎はどうかは分からないが、総司と香子は高い確率で部室にいるはずと踏み、道隆はアパートを出た。

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