第10話 大学構内にて

 フラフラと、どういう道筋を辿ったものか、道隆はなぜか大学に戻ってきた。

 すれ違う人たちが皆道隆を見てぎょっとして道を開ける。当然である。道隆は自失したように目が虚ろで、顔も服も血塗れだ。


 道隆の頭の中には、同じ景色が無限にループしている。

 金目という名の化け物。

 白亜の姿。

 そして――二年前の大量殺人事件。


「そうだ。僕は――」


 許せなかった。

 親友だと思っていた。

 思っていたのに――あいつは殺そうとした。

 何の説明もなく、何の言葉もなく、まるで死んだような表情で、容赦なく殺そうとした。


 だがら、思い出したくなかった。

 事件の凄惨な光景もそうだが、道隆はかつての友人を思い出すことが、何よりも辛かったからだ。


 ――なのに、あの事件を引き起こしたのは金目だと?


 その情報は救いなのか、それとも地獄なのか、道隆には分からない。


 ――いや、地獄だ。


 なぜならあいつは、すでに逝ってしまった。もう何一つとして、取り返しがつかない。


「おーっす道隆先輩!」


 バンと、急に背中を叩かれ道隆は我に返る。そして初めて、自分が大学の敷地内で棒立ちになっていたことに気が付いた。


「――ってうお! 何スか先輩血塗れじゃないスか! 何かの撮影ッスか。俺、なんも聞いてないんですが!」


「……転んだんだよ」


 道隆は適当にそう言い、後ろの人物に体を向ける。人懐っこい笑みを浮かべた健太郎がそこにいた


「まあ派手にやっちまったもんすねえ。B級ホラーのゾンビかと思いました」


「貶してるのか?」


「まっさか! 褒めてるんスよ! B級ホラー大好き!」


 まったく褒められている気はしなかったが、悪い気分ではなかった。


「にしても先輩、それで歩き回るのはマズイっすよ」


「マズイって何が? 僕は僕の通う大学を歩き回ることもできないのか」


「あー、自分のなりを知らないんスね。いっぺん部室に行きましょう。ちょっと臭うけどタオルも替えの服も腐る程ある……つーか本当に腐ってるし。で、ついでに写真を一枚」


 言うが早いか健太郎はスマートフォンで道隆を連射した。道隆は不愉快そうに目を細める。


「一枚って言わなかった?」


「言ってません」


「お前なあ……」


「そんなことより、行くっスよ。ここにいちゃマジで警察沙汰になりかねないっス」


 どれだけ酷い有様なのかと、そこで初めて道隆は疑問に思った。さっき健太郎が撮った写真を見せてもらい、素直に健太郎の言うことを聞こうと決めた。


「そう言えば先輩、試験の調子はどうスか?」


 部室棟への道すがら、健太郎は尋ねた。


「……あ」


 そして道隆は、試験のことなどすっかり忘れていたことを思い出した。今日はまだ民法総則の試験が残っている。慌てて時間を確認し、まだ少し余裕があることが分かって安堵した。

 まだ試験を受ける気力が残っていたのかと、若干自嘲する。


「まさか、忘れてたんスか? 何しに大学来てんスか?」


「うるさいな。ほっとけよ」


 健太郎は歯を見せて不敵に笑う。


「ちなみに俺はバッチリっス! 何かすげえ調子が良くて、イタリア語は満点間違いなし!」


「そりゃ景気のいいことで羨ましいもんだ。こちとら最低な気分だよ。落第する気しかしない」


「というか何で手ぶらなんスか? 朝は持ってませんでしたっけ?」


 荷物もどこかでなくしていたことにも今更思い至った。おそらく、金目のいる側のフリースペースに置き去りだろう。本当に頭が回っていないらしい。道隆は黙り込んで重たい足を動かした。

 しかし、健太郎に遭遇したことは僥倖だった。この男と話していると、沈んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってしまう。


 映画研究会の部室は学生会館一階の角の部屋である。

 部室の中は過去に撮った映画の台本や衣装、小物などがところ狭しと押し込められており、まさに足の踏み場もないという有様である。壁には事あるごとに撮影した記念写真が貼り付けられている。最も新しいのは、最近撮影が終わった後に撮ったものだった。

 辛うじて人が生存できる区域は、動画編集のために設けられたパソコンのスペースくらいのものである。

 部室に入ると、そのパソコンに向かっていた男性が振り向き、ぎょっと目を丸くした。


「うっわ、何それ誰それ迫真のメイクだソンビ映画でも撮るのか健太郎?」


「違うっスよ会長。これ綾瀬さんス。その辺でスっ転んだそうで」


 会長と呼ばれた男はもじゃもじゃと天然パーマの頭を掻き、たははと笑った。


「何だ、ビックリして損した。大事ないかい綾瀬くん」


「ないと信じたいところです。着替え借りていいです?」


「タオルとかシャツとかはその辺にあるのを適当に使って。あ、でもモリゾーとキッコロのシャツは遠慮してくれ。それは僕の魂だから」


 道隆は足元に視線を落とす。

 2005年の愛知万博のキャラクターがプリントされたシャツがグシャグシャに打ち捨てられていた。


「会長の魂ボロ雑巾みたくなってますが」


「魂とはボロ雑巾のようになってこそ輝きを放つものだよ、綾瀬くん」


 哲学的なのかいい加減なのかよく分からないことを宣うこの人物は、映画研究会の現会長尾辻総司オツジソウジ。健太郎とは従兄弟同士の関係である。

 映画にそこまで詳しくない道隆がこの研究会に所属したのは、たまたま入学式で隣に座っていた健太郎に見学に誘われたからだ。

 行ってみると、開口一番この会長から、人が少なすぎて存続の危機だからどうか入会を、と土下座せんばかりの勢いで請われ、断りきれなかった。つまり、健太郎と総司はグルだった。有り体に言って詐欺の手口である。

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