第3話 殺人鬼の妹

 その後の試験の出来については神に祈るより仕方がない。もうどうにでもなれと、半ば投げやりな気分である。


 鬱々とした気分で、講堂の一階に設けられたフリースペースに入る。いつもは学生たちで賑わっている場所だが、何故だか今日は侘しく静まり返っている。試験期間だからか、それとも自分の心の問題なのかは分からなかった。

 その部屋の隅の方のテーブル席に、白亜は座っていた。道隆がやってきたことに気が付くと、白亜は小さく手を上げて合図をする。


 道隆は小さく深呼吸をする。先程のようなことにならないよう腹に力を込め、白亜の向かいに座った。


「悪い。待たせた」


「こちらこそ。まさか、来てくれるとは思いませんでした。まるでお化けでも見たようでしたから」


 バツが悪くなり、頭を掻く。


「今でもお化けを見ている気分だよ」


 白亜は不細工なキャラがぶら下がったトートバッグを膝に置き、コンビニで買ってきたらしいサンドイッチをテーブルに広げている。


 彼女の名前は、恐竜好きの父親が白亜紀から名付けたと聞いたことがある。兄と同じ路線を辿らなくて心底良かったと思ったものだ。


 そうだ、と唐突に思い出した。

 道隆はトートバッグのキャラクターを指さした。


「それ、プテラノドンがモチーフのキャラだっけ? まだ好きだったんだ」


 白亜は一瞬困惑したように目を白黒させ、膝の上のバッグを見て「ああ」と漏らした。


「なんだかんだで昔から一緒ですからね。もはや体の一部です」


「相変わらず間抜けな顔だ」


「プテちゃんに失礼です」白亜は少しだけ眉間に皺を寄せる。「味があると言ってください」


 彼女はそう言って、薄く笑った。

 笑ってくれたことに少しだけ安堵した。


 彼女は元々はもっと表情豊かな明るい子だった。それが今や見る影もなく、どこか悲壮な色だけがその顔に貼り付いている。その影には常に、二年前の惨劇がつきまとっているように感じられた。


 血に染まった教室で、血に塗れた、あの男の姿。


「ぅ――」


 思い出すとさらに吐き気が込み上げてきた。汗ばんだ手のひらに視線を落とし、落ち着けと小さく吐息する。


「……それで、僕に何の用なんだ?」


 道隆は単刀直入に尋ねる。


「少し……待ってください」


 白亜はちらと道隆を一瞥し、手元のサンドイッチを口に運んだ。その小さな指先が震えており、彼女の緊張を物語っている。


「私の顔を見るのは、嫌ですか?」


 いきなり核心を突かれ、道隆は目を見開いた。


「私が、人殺しの妹だから」


 畳みかけるその言葉に道隆は言葉を失う。

 否定したかった。だけどできなかった。事実だからだ。

 道隆は項垂れ、消え入りそうな声で「ごめん」と溢した。


「君は何も悪くない、頭では分かっているんだ。だけど、君を見るとどうしても」


「兄を……思い出しますか?」


 道隆はかすかに頷いた。


「謝るのは私の方です」白亜は苦笑交じりに言った。「綾瀬さんが私を見てどう思うのか、全部承知で、それでも話をしたかったのです。だから、悪いのは私。綾瀬さんは何も間違っていません」


「そんなこと――!」


 白亜はもう一度サンドイッチを口に運ぶ。とても小さな一口で、ちっとも減らないパンが、どこか痛々しい。自然と道隆の口が閉じ、続く言葉は空気に散った。

 それにと、白亜は続けた。


「私はもっと酷なことを、綾瀬さんに聞きます。いっそ……罵ってくれた方が気が楽です」


 白亜はそう言いながら、俯いた顔の影にわずかな笑みを浮かべた。

 それが自嘲なのか、それとも別の何かなのか――道隆には判別できなかった。ただ背筋に、ひやりと冷たいものが走った。


「私は、本当の事が知りたいんです」


 白亜は意を決したように言った。


「……それは、あの事件のことを言っているのか?」


「あの事件は、始まりから終わりまで、おかしなことだらけです。そう思いませんか?」


 白亜は膝の上のバッグを抱きしめる。小さな肩が震えている。彼女だって、思い出すのは辛いのだろう。


「おかしなことって、例えば?」


「綾瀬さんが一番分かっているはずです」断定的に白亜は言う。「例えば凶器。被害者は全員鋭利な刃物で殺傷されていたそうですが、その凶器はどこからも見つかっていない。そうですよね?」


 その通りなので道隆は反論できない。

 現場からも、校内のどこからも、更に学校周辺数キロに渡って捜索されたが、凶器は見つからなかった。

 被害者は全員、鋭い刃物で殺傷されている。凶器が見つからないことなどありえないのだ。


「そうだな」それに、覆すことのできない大前提がある。「僕は、確かにあいつが刃物を持っているのを見た。杭のような、銀色の刃物だった」


 実際にその刃物を突きつけられ、殺されかけた。むしろ、本当に刺されたとすら思ったくらいだ。この鮮烈な記憶が間違いだとは思わない。しかし、実際にそれが見つからない以上、その証言には何の力にもならなかった。


 あの事件は、白亜が言う通り何かがおかしかった。

 真相を知りたいという気持ちは道隆の中にも確かにある。


「君は、辛くないのか?」


 だが、それは感情論だ。実際にもう一度、あの事件と向き合うのは恐ろしい。立場は違えども、白亜とてそれは同じではないかと思った。


「――それでも、私は知りたい」


 白亜はテーブルの上で拳を握り、まるで睨むように道隆を見た。


「綾瀬さん」


 瞳が揺れる。今にも泣き出しそうな脆弱な光を湛えながらも、しかしそこには揺るぎない意志を、道隆は見た気がした。

 彼女が言う、酷なこと。

 それを口にしようとしていることが分かり、道隆は無意識に唾を飲み込んだ。


 白亜は言った。


「私は兄が――兄さんがあんな事件を引き起こしたなんて、信じていません」

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