第37話 高遠先生。

「――今回は急に動かしたことが原因だろうね。しばらくは固定した生活をした方がいい。前回――治りきる前に動かしたから……普通に生活する分には問題ないだろうけど、長い付き合いになるから気長に考えないと」

 俺は養護ようご教諭――保健室の先生高遠たかとう先生の車で千波と病院に来ていた。

 以前も診てもらったことがある初老の先生の診察。予想通り古傷の再発。出来る事は安静にすること。とはいえ、部活なんてとっくの昔に辞めている。気まぐれにする筋トレを控えるくらいで、鞄を持つ手を逆にすればいい。

 そうすれば先生が言う「普通の生活」が送れる。俺は先生にお礼を言い診察室を出ようとした時、初老の先生が付け加えた。


「素人判断はよくないよ『あの時』もそうだった。親御さんが言うなら逆らえないだろうけど、自分の体なんだから大事にして欲しいです」

「はい。その……ありがとうございます」

 本当にどうかしてる。この世界線はどうして家族以外の大人は優しいんだろう……同行してくれた高遠先生も事情を知っている。俺の古傷の事情とその経緯を。


「どうだった、朝稀あさき、やっぱりすじ?」

 学校ではクール女子で通ってる千波の声に焦りが。

 普段学校で別に猫を被ってるとかじゃないがクールに思われてる。理由は意外に佐々木に似てるかも。佐々木は嫌なこと興味はないことはその意思を示す。そのひとつひとつに対し。

 千波はもっと極端で正直興味を自分に持たれることも、わずらわしいと感じるタイプ。要は個別対処が面倒。だから、自分を見せない。代わりに壁を出す。この話は男子限定で同性の女子にはそうではない。

 そうではない分、逆にがある女子に千波の優しさは多大な誤解と被害者を生み出す。近い将来被害者の会かファンクラブのどちらかが結成されるだろう。

 ただ、例外的に俺のツレの大野や船田には、割かし素で接しているようだ。幸いふたり共好きな娘がいるので男女のめんどくさい事にはならなそうだ。


「今回は私の方から親御さんに伝えます」

 30歳半ばくらいの養護ようご教諭――保健室の先生高遠先生が、比較的空いてる待合室で俺たちに告げた。宣言と言ってもいい。普段はどちらかというと、ほんわりした印象の保健室の先生だが――今回に関しては言い切った。

「帰ってくるの、遅いですから――」

 悪いです、申し訳ないです――そう言いかけた俺の制服の袖を千波が引っぱり首を振る。

「朝稀。大人に頼る時は頼ろうよ、あの時もそうすれば、今だって――」


『今だって』なんだ? 

 幼馴染への甘えから反発しそうになるが、目にした千波の顔にぎょっとした。千波の切れ長な眼の淵には、こぼれ落ちそうなほど涙が溜まっていた。俺は悔しさや痛みは自分持ちとばかり思ってきた。


 自分が我慢し、耐え、やり過ごしさえすれば痛みは、くやしさはやがて少しづつだけど、やわらぐ気がしていた。でももし俺だけの悔しさじゃないとしたら? もし俺だけの痛みじゃなく、千波の心まで痛めつけていたとしたら。

 千波が使った『今だって』と言う言葉が、特別に毒や呪いを及ぼすのは俺だけじゃないとしたら。気付けなかったのか、見ない振りをしていたのか、どちらにしても俺は俺の痛みや苦しさを共有しようとしてくれていた、幼馴染の感情に対して無関心でいようとしていた。


 あの時の後悔があの時を知る高遠先生にもあるなら、あの時と同じように俺が表面だけつくろってなんでもない振りして、やり過ごすべきじゃない。

「先生にもリベンジさせて」

 そう言い、高遠先生は俺たちを自宅まで送り学校に戻った。夜、親が帰ってくる時間にもう一度来ると言い残し。


「どうする? ウチ来る?」

 俺と千波の家はほんの数軒挟んだ場所にある。千波のおばさんは今どうしてるのだろう。パートに行ってる時間帯だろうか。最近はあいさつとほんの少し立ち話をするくらいだが、それこそ小学校の頃は毎日顔を合わせていた。

 会いたい気もするし、どこかでこんな痛々しい格好で行ったら心配掛けないだろうか。そんなこと考えてると千波は躊躇ためらいがちに言った。


「いまなら、誰もいないの。チビ達もお母さんも」

 赤く染める千波の頬見て、なぜか俺はあの日のこと。夏になるほんの少し前の日のことを思い出していた。俺たちがまだ高1で俺はまだ剣道部の部員だった。

 見上げ坂高校剣道部は男女共に弱小だった。団体戦出場が何とか出来る程度の部員数。俺はともかく千波が所属する部としては、いささか物足りなさを感じないではなかったが、いい先輩、いい同級生ばかりで楽しい部活だった。


 ふたりは幼稚園の頃から近所の道場に通い、千波は何度も市の大会で優勝していた。俺は、完全に千波の後塵こうじんはいする感じだ。カッコつけて言ったが、まったく歯が立たない。そんな感じだ。

 千波のお父さんは警察官で剣道の腕前も相当なものらしい。らしいというのは、俺くらいだと、強いくらいしかわからない、まさに別次元の存在だった。

 尊敬もしたし素直にスゲーなとも思っていたが、いま思えばこの事がダメだったのかも知れない。


 俺の両親は極めて外面がいい方だが、それは自分たちの職場環境の中でだけで、近所や子供の学校関係の知り合いに対しては、最低限な感じだった。後で気付くことだが、そんなご近所付き合いが嫌いな父親が嫌でもご近所関係を保たないといけない、近所の道場に俺を通わせたかというと答えは簡単、代理戦争のためだ。


 俺の父親も千波の親父さんも大きくくくれば同じ公務員。どういうわけか、そんな事で一方的に千波の親父さんをライバル視していた。しかも俺と千波は同じ学年。一方的な代理戦争の土壌は整っていた。

 ウチの親はことある毎に、俺と千波を比べていたと思う。最近でこそ身長は俺の方が高いが、小さい頃は比較的女子の方が高い。足が長い千波は走るのも速かった。


 そんなつまらないことから、市の大会で何度も優勝する千波と表彰台なんて遥か彼方の俺は、親にとって情けないだけの存在だったのだろう。代理戦争の駒としては弱すぎたのだ。言うまでもないが千波本人も香坂家の方々もそんな競争してる意識なんて全然なかった。

 そして父親にとって決定的だったのは、勉強では俺の方は上だと思っていたのだが、下と思っていた千波が見上げ坂高校に合格したことが、何よりも気に入らなかったのだろう。そしてそれ以上に気に入らなかったのが、俺が勉強が苦手だった千波の勉強を教えたことだ。


 ある時、酔った勢いで「敵に塩を送ってどうする気だ」と怒鳴られた。幼馴染と同じ高校に行きたいという子供たちの思いなどこの家にはない。

 そんな中あの事故が起きた。インターハイ県予選の二回戦。俺たち弱小剣道部は男女共に1回戦を勝ち上がり、二回戦に駒を進めていた。

 優勢で試合を進めていた俺だったが、飛び込もうとする俺に対し、相手の選手はかわそうとしたがうまくいかず、結果相手の竹刀の先が俺の左肩を突くアクシデントが起きた。

 もちろんワザとじゃない。そういう事はやっていたら起こる事故だ。試合続行しようとしたが、まるで肩が上がらない。無理に上げようとしたら激しい痛みが出た。審判は脱臼だと判断し試合続行は無理と結論付けた。

 そんなこともあり見上げ坂高校男子剣道部団体戦は二回戦敗退。女子剣道部は三回戦敗退。ここ数年、初戦敗退が続いていたらしいので顧問も先輩たちも負けはしたが、それなりに収穫のある大会だった。


 そして個人戦。俺は怪我で欠場する中、千波はひとり気を吐き全国行きの切符を手に入れた。見上げ坂高校剣道部始まって以来の快挙に学校関係者は湧いた。千波の全国行きは、通っていた町道場でもだし商店街でも有名だった。何より幼馴染の俺は誰よりもうれしかった。


 しかし、真逆の反応を示したのが俺の父親だった。

 千波の全国行きを聞くや否や、軟弱だと俺の肩を支えていた三角巾を取り上げ、剣道未経験者なのに俺をしごき始めた。朝の4時に叩き起こされ学校に行くまでの間。そして帰宅後、酒を飲んでいても家の前の公園で俺に無理やり竹刀を振らせた。

 見かねた千波の親父さんが苦言をていした。そのことがきっかけで両家の仲と俺の左肩は回復不可能な爪痕を残す。


 そして俺は剣道を辞め、どこかで千波に引け目を感じるようになっていた。一緒に強くなろうって話していた剣道から自分ひとり逃げたように俺のどこかが感じてしまった。

 その顛末てんまつは学校の知る所となり、先生――その時副担任だった望月もちずき花梨かりん先生が進級時の引継ぎ書類に――家庭環境要観察と書き残してくれた。

 そしてその時の養護教諭だったのが、今日連れて行ってくれた高遠たかとう先生だった。先生のことは詳しくは知らないが、肩の痛みで何度もお世話になっていた。

 その都度、心配してくれたのだけど、その頃の俺は誰も巻き込みたくなくて大丈夫ですとだけ答えていた。俺の言葉を信じた高遠先生の中にも、同じような後悔があるのだろうか。











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