第34話 山県、ちょっと来て。

 教室の手前の廊下。ツレの大野が小走りでやってきた。

「やーさん、てーへんだ! 嫁の大ピンチ‼」

 嫁? 大野や船田が言う嫁とはこの場合、佐々木ささき美玖みくに他ならない。俺は一瞬、幼馴染の香坂こうさか千波ちなみの顔と先生の顔、そしてなぜか海野さんの顔が浮かんだが、この場合佐々木で間違いない。

 大野が小走りで俺を探すくらいだから、まさか佐々木のイカ臭い問題じゃないだろうな。それなら100パー責任は俺にある。


 教室に入ると珍しく騒然としていた。

 3年なので受験勉強する者や夜遅くまで勉強して仮眠したい生徒も多く、単語帳片手に雑談する者たちも多少の配慮をして、小声にするか離れた場所で会話することが増えた。

 そんな教室が騒然とした空気になるのは、実は珍しい。見上げ坂高校は進学校に数えられる。しかもここは進学クラスだ。その辺りの配慮はあってしかるべきなのだが。


「やーさん!」

 騒然とした輪の中心に佐々木が居て、彼女の手首は見知らぬメガネ男に握られていた。その姿に俺の中の何かがカチンと来た。佐々木に対する独占欲みたいなのが、昨晩の行為で芽生えたのかもな。

 そして、その独占欲を満たすかのように、佐々木は手を振り払い俺のトコに駆け寄り俺の背中に隠れた。


 その一連の行動を、視界の隅で香坂こうさか千波ちなみが目で追っているのが確認できた。こういうトコか。千波に言われた「最近一緒にいる女子は佐々木美玖でしょ」という指摘。

 そしてクラスの反応も変わらない、ようやく俺が現れたか――みたいな空気を感じた。


「誰?」

 背中の佐々木にたずねる。佐々木はいきなりのことと、昨晩ふたりの関係に変化が生じたせいで、背中にしがみつくという、今までにない距離感をみせた。

「吹奏楽部部長の小笠原…前からしつこくて」

 声の感じから恋愛的な意味でしつこく吐き出された言葉から、佐々木の冷めた温度を感じた。どうやら好意の一方通行。背は高く、がっちりめの体形。きっちりとした髪型。言うまでもなく真面目代表って感じだ。


「――佐々木に何か用か」

 これ以外の言葉が浮かばない。そもそも教室で嫌がる女子の手首を握るなんて普通じゃない。見た感じ真面目そうなので思い余ってのことか。もしかしたら昨夜、俺が佐々木の家に泊まったことを知ってるのか? 

 千波の視線が少し気になる。勘のいい千波は何か勘付くかも。

「き、君は部外者だ。部外者には関係ない」

「やーさんは部外者じゃない」

 小笠原の発言を佐々木は瞬発的に否定した。クラスの女子はこの「部外者じゃない」という発言を目ざとく拾い小声で頷きあった。女子って今ので何かわかるんだ、怖い。


「悪いな、部外者じゃないらしい」

 開き直って肩をすくめた。その反応が気に入らなかったのか、完全スルーで吹奏楽部部長小笠原は佐々木に話を続ける。


「今回、メンバーから外れたことは僕の方から先生に話してみるよ」

「――面倒くさい…そういうの本当にやめて」

 佐々木からの前情報があったからこの会話の意図がわかった。昨日佐々木がコンクールのメンバー外になったこと。それが原因で佐々木は今朝の朝練不参加だったことを言っている。

 不参加だったのは俺と駅前のドーナツショップに行ったから。メンバー外は元々自主練と聞いてる。しかもメンバー外になった多くの3年生は引退する。なにも佐々木が朝練に参加しなかったことは目立つ行動ではない。総合すると、俺の屁理屈魂に火が点いた。


「佐々木がコンクールメンバー外になったのは聞いた。本人は自分の中でどう向き合うか考えてるトコだ。それこそ部外者が口出す事か」


 質問でもない。佐々木との会話で俺なりに感じたことを口にした。確かに部外者の俺に口を挟まれるのは気に入らないだろう。ある意味、苦楽を共にしてきたのだから、その気持ちはあるだろう。だからこそ思う、今なのかと。この行動が佐々木の胸の傷に痛みに触れる行為だと思えないのか。


「それはそうかもだけど、今まで頑張って来たんだ」

 正論ではあるし、恐らく間違えていない。だけど、佐々木の努力は佐々木だけの物。積み重ねてきた努力、報われない汗や涙。そういうのは苦楽を共にしたからと言って必ずしも共有したいとは思わない。逆に何も知らない俺みたいなヤツと愚痴りながら共有して貰う方が気が楽な場合もある。

 それに気に入らない。


「えっと、部長なんだってな。先生に話すって言ったけど――何を?」

「それは…佐々木さんを――」

「メンバーに選んでくれって? そんなことされて佐々木は喜ぶのか。仮に佐々木が部長さんのおかげでメンバー入りしたとして、外れるメンバーが出るんじゃないか。佐々木は実力でなら押し退けてでも、メンバー入りしたかっただろう。でもそうじゃないだろ。この状況」

 背中でシャツの裾を握る佐々木は小刻みに頷く。佐々木が望むとするなら秋のコンクール目指して、最後のチャンスを手に入れるくらいだ。それに――


「言い方が悪いが――もしその顧問の決定に不服があるなら……どうして今なんだ。その場で言えばいい」

「君は知らないから言える! そんな空気じゃなかったんだ‼」

 口調が感情的だ。

 イラ立ちから机を押し退け俺に迫り、背中に隠れた佐々木と直接話をしようと小笠原はする。この小笠原という部長は本当の佐々木の事を知らない。佐々木は本来、喧嘩上等。誰かに守られたいとか、代わりに言って欲しいなんて思うか弱い女子じゃない。


 小笠原は吹奏楽部の中で――集団に溶け込もうとして従順だった佐々木のある側面を見て来ただけで、事実俺の背中に隠れてたはずの佐々木は「ぶっ飛ばす」などと不穏なつぶやきを俺の背中で零してる。

 だから正確には、佐々木がぶっ飛ばしに行くのを俺が阻止してるに過ぎない。


「まぁ、そういうこともあるだろうな。空気読んで。俺も空気読んで『佐々木、よかったじゃないか!』って言うかと言えば言わない。じゃあ、仮に部長さんがその場で空気を読んで発言を控えたとして、逆にまだ言ってないの? 時間あったよな、昨日メンバー発表後も、今朝の朝練の時も。なんで、佐々木にわざわざ『僕から先生に話すから』になるんだ。もしダメだったら? ぬか喜びだろ。それにホントにそんな気があるなら、俺ならその場で発言する。それか最悪その場で気持ちを抑えたとしても――佐々木にこんな話する前に顧問と向き合うべきだろ」


 大野と船田が「また、やーさんのド正論が出たー」みたいな顔してやがる。確かにその通りなんだけど、この部長の行動してないけど、なんか恩義背がましいって態度が鼻につく。

 それに100パー佐々木のことが好きなんだろ。それは別にいいと思うが、行動するぞアピールが気に入らない。まぁ、俺に気に入ってもらう必要ないだろうけど。

 しかし、ここまで来たら収拾はつかない。

 マンガでよくある「覚えてろよ!」は中々実生活ではない。つかみ合いのケンカかぁ、面倒くさいが仕方ない。俺も男子だったらしく、昨日の今日で佐々木にカッコ悪いとこは見せたくないらしい。しかし、ただでさえ面倒事を抱えて、担任の飯田に迷惑を掛けてる。控え目にしたいのだが……


 ここで幸いにも助け舟が入った。


「あのさ、みんな受験勉強で大変なの。ほかのクラスの人が、関係ない吹奏楽部の揉め事で騒がないでくれない」


 そこには女子剣道部部長の香坂千波が蔑んだ目で、小笠原を睨んでいた。部長会議なんかで顔を合わす機会も多いだろう。いくら全国の頂点を目指す吹奏楽部部長でも、運動部の女部長相手では分が悪いのか、何も言わずに立ち去った。


 付け加えると、千波はおっかない視線のまま「山県、ちょっと来て」と冷めた上にドスの効いた声で廊下に呼ばれた。背中に佐々木は「やーさん、ごめん」と謝った。いまからり行われる千波の公開処刑に対しての謝罪だ。

 なぜだか俺の周りには、怒らせるとおっかねぇ女子ばっかなんだけど。きっと先生もそうだし……海野さんくらいはいつまでも、なんちゃって妹でいて欲しい。










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