第28話 佐々木美玖の部屋で。

「やーさん。ごめん、先に帰ってて」

 涙も枯れ、疲れた笑顔で佐々木ささき美玖みくは俺に告げ、添えるように握っていた俺の腕から手を離す。

 俺は散々、ファミレスやフードコート、ハンバーガーショップに誘った。このまま人通りのない夜の海沿いに佐々木ひとり残せない。公園として整備された緑地だが、夜の海は安全とは思えない。


「家の人、心配するぞ」

 本心から言ったかどうかわからない。本心は俺が心配だからだった。なぜその事を正直に伝えようとしなかったのか、わからない。その方が伝わることはわかってるのに。


「あ……っ、大丈夫、うん。お父さん単身赴任。お母さんは――今日おばあちゃんが退院なの。心配だから今日はおばあちゃんちに泊まるって。音のない家に帰るのって、寂しいじゃない。ここなら波の音してるから――やーさん?」

 俺は佐々木の鞄が置いてあるベンチに座る。


「音のない家も寂しいだろうけど、不自然な音しかしない家は不安でしかない」

 特に意味はない。

 ただ佐々木を説得するのを諦めただけ。長期戦とかのつもりはなくて、ただ何となく座った。すると佐々木は俺の正面に立ち手を伸ばした。


「ねぇ、やーさん。うち来て、そしたら……」

 佐々木は言葉を探せない代わりに小さく息を吐き「いいでしょ?」と俺に言ったのか、それとも自分自身に言ったのかわからない言葉を洩らした。


 海野さんに待ってもらった公園。公園は長方形でややテニスコートより広く外灯は公園の中央付近にしかない。住宅地の中。腰の高さくらいの生垣。わずかな灯りしかないが身の危険を感じるような環境ではない。佐々木は目立ちたくないからか、外灯から離れた場所でしゃがんで待った。


 家に戻り、行きたくないがリビングへ向かう。

 幸い父親はまだ帰ってない。週のうち4日以上は酒を飲んで帰る。こんな時間に戻ること自体がほぼない。妹がいるリビングで母親に外泊することを告げた。外泊先、理由を聞かれることはない。

 日曜日にめたばかりだ。むしろ外泊してくれた方が父親とのいさかいがなくていいと判断したのだろう。俺が居心地が悪くて外泊すると理解したのかも。


 部屋に戻り、明日の制服を教科書と一緒に鞄に詰め込んだ。体育があったんだ。荷物がかさばるけど、体操服も必要。図書館から借りてきたハムレット関係の本を机の上に置く。少し考えてその一冊を鞄に詰めた。


 机の下に干した海野さんの下着は気になるが、扉の隙間の妹の視線を感じる。机の奥に干しているから、頭を突っ込んで見ないと見えない。俺がいま心配に駆られ確認しない限り、看守の妹でも見つけられない。

 軽い咳ばらいをすると、扉の外で動く気配がした。勘がいい妹は俺が部屋を出ると察したようだ。


 家を出て自転車に乗る。公園の向こう側の道路に自転車をつける。視力が悪い妹の目ではここまでは見えない。佐々木と合流する。俺が住む街は市の境目。佐々木と同じ私鉄の駅を使っているが、駅の東側にある佐々木の家は隣の市になる。なので同じ中学ではない。


 住宅地を通る。お互いの家の中間くらいだろうか。佐々木の家の正確な場所は知らない。知らないが普段の会話で、大体の場所はわかる。ウチの近所にはコンビニが2店舗ある。だから、離れたコンビニに寄ることはあまりない。


 それは佐々木も変わらないようで、お互いの家の間にあるコンビニはお互いが利用する機会が少ない。暗がりでぼんやり浮かび上がるコンビニの手前で。佐々木は足を止める。俺も押していた自転車を停めた。


 佐々木は鞄から財布を取り出し千円札を俺に渡した「買ってきて欲しい」とだけ言う。何をと聞き返すほど、残念ながら俺も佐々木も子供ではないらしい。


 コンビニに入り俺は佐々木に頼まれるまま買い物をした。俺の人生で初めて購入したコンドームは女の子にお金を出して貰った事になる。

 佐々木の元に戻りおつりとレシート、そしてコンドームの箱を手渡す。佐々木はコンドームを見ても驚くことはなかった。だから間違った買い物ではない。彼女が求めたのは紛れもなくコンドームだった。


「ここなの」

 灯りのともらないままの家。

 家族の不在を意味していた。遠回りだけど俺たちは駅の駐輪場に自転車を停めていた。理由の説明はいらないだろう。親がいない時に娘が男友達を連れて来てるのを隣人に宣伝する必要はない。


 手慣れた手つきで佐々木は暗い玄関のカギを開けた。佐々木の後ろについて玄関に入ると彼女は後ろ手に施錠し、俺の背中に「ごめん、わがままで」と背中に額を何度かぶつけた。


「やーさんも入って」

 湯気をまといながら佐々木は髪にタオルを巻いて現れた。俺は佐々木が風呂に入っている間、彼女の部屋で彼女のベッドの淵に座って彼女を待った。

 キャミソールに短パン姿で、俺の座っていたベッドの隣で力なく、重力に身をまかせるように崩れた。

 ベッドのスプリングが怪しくきしむ。佐々木は座った勢いのまま俺の身体を巻き込み、ベッドの上でもつれるように、からまり合うようになった。俺はただ彼女の髪に巻かれてあったタオルが、ほどけ落ちるのを目で追っていた。


「やっぱ、ごめん。どこにも行かないで、ひとりにしないで」

 そう言って彼女は柔らかいくちびるを重ねてきた。

 そういえば、先生とあんな事までしておいてキスはしてない。これが初めて……いや3回目か。を1と数えるのかは別として。


 佐々木は震えるくちびるを重ねながら「私、初めてなの。キスもなにもかも」と告げる。くちびるを離し、ほっそりとした形のいい鼻先を俺の鼻先に擦りつけ、俺の言葉を待つ。

 なにもかもが初めてという訳じゃないが、すべてを知ってるのでもない。だから「俺もだ」の声に佐々木は赤く腫らした目で笑った。










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