第27話 海洋文化館。

「では、お兄さま。お手数をおかけしますが」

 そう言って、海野さんはぺこりと頭を下げた。お手数とは下着の洗濯を意味した。海野さんから手渡された巾着。この中には同級生が今まで付けてた下着がある。

 これはマズイ。

 海野さんの下着が関係してない状況で、一度自分でしておいた方が精神衛生上良さそうだ。そうじゃないと、俺は寝るまで海野さんの下着のことを考えてしまう。

 あと、あの谷間を。


 そんなこと考えながら帰宅。しかし残念ながら妹も帰宅していた。妹が自室にいることを確認し、素早くシャワーを済ませよう。

 シャワーを浴びる前に俺の洗濯物に紛れさせ、海野さんの下着も入れる。海野さんの下着用の洗濯ネットは100均で購入済み。巾着から取り出した際、当たり前ながら手に触れる。このドキドキは恋なのではと勘違いしそうなほどドキドキだった。

 俺は洗濯の洗いあがりを逆算してシャワーを浴びる。こんな時、兄妹の仲が微妙なのは助かる。例えば歯磨きだったりしないとでも、脱衣所には絶対出入りしない。


 他の兄妹が出会い頭の事故を起こした場合、どうなるかわからないがウチの場合即死確定だ。何を言われるか、言いつけられるかわからない。その逆もそうだ。妹の不注意での事故を起こして、俺に対し引け目を感じる可能性がありそうなことは絶対にしない。

 なので、俺が浴室周辺にいる限り自室から出ない。俺も同じだ。それにしても、この計画は意外にタイトスケジュール。海野さんの家に行き、下着を回収し帰宅。その後シャワーを浴びる。そして親が帰宅するまでに俺は晩飯を終える。


 家族と一緒に食卓を囲むのは、年に1度くらいで十分だ。冷凍ごはんを温め、卵を掛ける。インスタントの味噌汁と、何か焼けそうな肉があれば拝借する。栄養が足りてるかと聞かれると、少し困る。栄養のことを考えて家族と食べると、心の栄養が削り取られる。


 千波ちなみがちゃんと食べてるか、心配してくれる気持ちもわかる。俺が千波なら、同じように心配するだろうから。でも、俺は千波に引け目を感じているから、遠のけてしまう。幼馴染ブーストにいつまでも甘えてられない。一緒に始めた剣道を俺はさっさとやめてしまった。それが俺の引け目。


 食後は使用した食器を洗い、乾燥機へ。その頃には洗濯物が終わり、洗濯物を抱え自室へ向かう。俺と入れ替わりに妹がリビングへ降りてくるのが流れ。

 階段に海野さんの下着を落としてないかの確認も怠らない。下着に関してうっかりスキルを発動させるわけにはいかない。

 考えた結果、フック付きのマグネットを机の下に設置し、ハンガーを引っ掛け下着を干そう。目立たないし机で勉強してる間は安全だ。


 今日は水色の上下か――なんか海野さんのイメージに合う。ハンガーにブラの肩紐を引っ掛けて……パンツの方もハンガーにするか。女子のパンツって想像以上に小さい。海野さんが小柄だからだろうか。

 先生のは……やめとこう。そういう比較はたぶんよくない。ふたりは従姉妹だけど、体格は少し違う。先生は――やめよう。自分で言ったじゃないか。


 忘れるとこだった。

 近所の図書室でハムレット関係の本を予約していたんだ。時間は――17時30分。確か、18時までだから取りに行くだけなら間に合う。俺はいつものリュックを背負い自転車にまたがる。

 この時間に出ると帰りが母親と被る。何かを言われることはないが会話もない。あるのは業務連絡と大差ない情報伝達。

 まぁ、それくらいは同じ屋根の下で暮らしている以上しかたない。大丈夫だ、少しわずらわしいシェアハウスだと思えばいい。1年後には退居している。


 海沿いにある施設。海洋文化館。その中に学校の図書室程度のミニ図書館がある。探せばそれなりに本はある。ない物は他の図書館から取り寄せてもらえる。数日掛かるが、そこまで急ぐ用事はない。


 夕方の海岸線は磯の匂いが漂う。

 時折風が押し寄せては下草を揺らし去っていく。受付で要件と貸し出しカードを出すと、頼んであった本を準備してくれた。返却日がスタンプされた半券ごとリュックに入れる。

 ハムレット関連の本。

 海野さんの文化祭で演じる脚本の資料。わからないこと、イメージしにくいことがあれば先生に相談してみよう。先生の家でもハムレットの本に目を通したが、正直とっつきにくい。

 焦らずに自分なりの解釈で書ければと思う。言葉の意味が分からないと人は飽きてしまう。わかりやすさを心がけないと。そのためには、俺自身がちゃんと理解しないと始まらない。


 海野さん。

 考えてみれば不思議な娘だ。俺と彼女は似ているように感じる。家庭環境に恵まれてないからだろうか。わからない。彼女はあがり症なのか、コミュ障なのか断定は出来ないが、役を与えることでその役を日常に落とし込む。今はハムレットのオフィーリア。決して幸多い登場人物ではない。


 海野さんが役になりきり、俺をお兄さまと呼ぶ。ふたりは似ていて、俺は実の妹とはうまくいってない。なので、どういう訳か彼女が妹のような錯覚を覚える。よく聞く「妹にしか思えない」なんてセリフとは違う。たぶん、俺の中の保護欲と彼女の庇護欲が不思議な周波で共鳴し合っているのだ。


 海洋文化館を出て――自転車にまたがろうとした時、不意に浜風が吹いた。

 その浜風に乗ってどこからか、吹奏楽の音色が運ばれてきた。誰かが海辺に隣接した緑地で練習しているのだろう。

 どこか寂し気な音色。夕暮れ時。薄暗くなりつつある中、音色がこの情景にあまりにも合っていた。

 乗りかけた自転車を停めなおし、音色に導かれるまま海の方に足を運ぶ。音色はまるで船乗りを惑わす人魚の歌声のように、切なく感情を揺さぶる。歩みを進める度に近寄る音色。

 このくらいの距離になると楽器に詳しくない俺でも、この音色がフルートだとわかった。

 ほんの少しの嫌な予感。でも、この時間はまだ部活をやっていて、こんな海岸線にアイツがいるわけない。アイツじゃないのに近づく距離。暗がりのなか近づいたら驚かせてしまわないか。そう思い足を止めようとした矢先、不運にも小石を蹴とばしてしまった。その音で演奏が停止した。


「すみません、邪魔しちゃいました」

 頭を掻きながら暗闇の影に頭を下げたが反応はない。気を悪くさせてしまったのだろうか。俺はもう一度頭を下げその場を去ろうとした瞬間――


「もしかして、やーさん?」

「やっぱ佐々木か。聞いたことある音だと――って、おい⁉」

 暗がりから現れた佐々木ささき美玖みくの影がいきなりぶつかってきた。が、よく見たらぶつかって来たんじゃない、飛び込んできた。佐々木は抱きつきながら泣きじゃくる。なにかあったのか。不安がよぎる。


「佐々木」

 何度目かの呼びかけでようやく佐々木は俺を見上げ告げた。

「ダメだった。最後の最後も。私……1度もメンバー入り出来ないままで終わっちゃった。私、終わっちゃった……」

 疲労で机に突っ伏し力なく垂らした指先には無数のテーピング。それでも疲れた笑顔で話し掛けてくれる佐々木の横顔。モノクロのスローモーションで脳内再生された。


 俺たちはいつもそうだ、いつも突然終わりを突き付けられる。

 努力は報われないとは言わない。ただ、運命は無遠慮で無配慮で時に無粋で無作法だ。











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