第25話 冗談を言える余力。
「やーさん、進路希望書いたー?」
教室に辿り着く前に
彼女はその界隈で異常な人気がある、その界隈とは――女子にだ。クールで目元涼しげ、言葉使いも少し男っぽいかも知れないが、幼馴染だから知り得る情報を打ち明けると千波は普通に女子っぽい。
料理もするし、かわいいもの好きだし、どんくさくもある。俺が知る女子限定だが、1番女子っぽい。まぁ、彼女たちにとってはそんなのどうでもいいのだろう。女子剣道部部長であり、少し低めな声に幻想を抱いても責められない。
そして俺に脱力系の声を掛けてきたのがツレの船田だ。船田はコンピューターの専門学校に進学予定。とはいえパソコンに興味あるなんて聞いたことない。
「理系大学を受験しろってさ」
「マジか、予想の限界超えて来るな、やーさんの親父さん」
「しかも、学力底辺の妹を誇りある我が見上げ坂高校に入学させるミッションが追加された」
「はっ⁉ 発想が斬新すぎて、むしろ神だな」
「あぁ、神さまなんだから、天界に帰って欲しいと切に願うばかりなり、と。ところで、いい感じの理系大学しんねぇ? 出来たら天国に一番近い理系大学を希望」
「なに、やーさん。月曜の朝から
「佐々木、相変わらず――ちょっと小ぎれいな死体だな」
「知ってんでしょ、吹奏楽部名物、始発ダッシュからのー校門大渋滞。なんで校門開くの待つみたいな青春送ってんのー⁉ あと、朝練の濃度じゃないよ? いつから吹奏楽部って運動部になった⁉」
教室に入るや否や、自席に突っ伏し自虐の数々。
吹奏楽部所属の
「そういや、そろそろメンバー発表だろ?」
「ぐはっ、流石未来のダーリン。私の弱いとこ突いて来るわねぇ……ヤダ……感じちゃうじゃない、もう…」
なぜかコイツとは気が合う。たわいない会話の中に、結構ギリギリワードをぶち込んでくる。けっこう壁を作るヤツで、同じ吹奏楽部のヤツがいたら、借りてきた猫状態になる。
佐々木が担当するフルートは吹奏楽の中でも花形の花形。
フルートだけでも10人以上いるらしい。フルートでメンバーに選ばれるのは3人。しかし、強敵ひしめく中、圧倒的な実力を示すのが俗にいうフルート三姉妹こと三村姉妹。姉ふたりは双子で息ぴったりで俺たちと同じ3年生。
そして三村姉妹が満を持して今年入学させたのは末の妹。姉たちの実力を遥かに
彼女たちの母親も現役のフルート奏者で父親は作曲家という音楽家族。いやもう音楽華族と言ってもいいだろ。
泣き言を垂れ流し、机の恋人と化してる佐々木の力なく垂れた指先は無数のテーピング。このテーピングひとつひとつが佐々木の努力のあと。
「ねぇ、やーさん。わたし達ってさ、親友だよね」
「えっ、悪い――夫婦だと思ってた」
「もう…再来月には成人だから待ってって言ったじゃない。
遠い目をするが、もちろんチャペルには行ってない。
俺たちの会話は基本妄想で実現しなさそうなことを、さも計画してるように語る。乾いた遊びだ。
「教室で悪いんだけどさぁ、愛があるなら、いつもみたく頭ぽんぽんして。もう、私ったら心、かっさかさの角質女子なの。それでね」
「うん」
「優しく、カロリーメイトの袋破って食べさせてケロッ」
クラスではこの一連の行動を、山県による献身的な介護と呼ばれていた。
進路希望を出した俺はもれなく昼休み担任の
見上げ坂高校も3年ともなると、教師間で俺の家の特殊な環境は共有されているらしい。きっかけは1年の時副担任だった先生――
「ん……正直、今の成績なら本来の第一希望の文学部は手に届く範囲だと言える。こんなことお前に言わなくてもわかると思うが、理系の余分な勉強に時間割いてて、本末転倒にならないかってとこだ。見上げ坂はお前の第一希望の文学部に指定校1名枠がある。本来なら――お前で決定と行きたいんだが――知っての通り、指定校決めたら、他校は受験出来ん。つまりは理系大学は受けれん。問題は親御さんだよなぁ……わかった、三者懇談で先生から話してみるわ」
俺は頭を下げ、職員室を出た。
なんなんだろう、この親以外の大人が優しい世界線って。本当なら校内選考で指定校の枠をもらって、バイトしてお金貯めて大学進学と同時に家を出る。
その為にコツコツ評定を上げてきたんだ。その計画が第三者の『理工学部出てないと社会で通用しない』なんて戯言を真に受ける父親は。
そんなつまんねぇ情報耳に入れんじゃねえよ、お前の人生じゃねぇだろ。
からっからに乾いた感情のまま午後の授業を受け、心ここにあらずで放課後を迎えた。心配気な視線を香坂千波が送ってくる。俺は小さくため息を吐き、肩を
幼馴染にこんな顔させるのって、どうよ。俺は甘いのだろうか、甘えてるのだろうか。口ではどうこう言うものの、どこかで親の理解を願ってる。
ここまで頑張ったんだから、次こそきっとわかってくれるのではと思う自分がいる。そんなのはファンタジー世界よりファンタジーだ。奇跡なんて我が家では起きない。
俺の方に足を向けようとする千波を指先で止めた。千波を拒絶してるんじゃない。ただ、家が近所で千波の家族とも交流がある。なまじ、近所なので深入りさせて俺の親の実害が及ばないか不安なんだ。
だけど、今のはダメだった。心配してくれる幼馴染に取っていい態度ではない。俺はスマホのメッセージで『ごめん』ではなく『ありがとう』と送った。
かわいいもの好きの千波からは、ウサギのキャラで『うんうん!』みたいに頷いたスタンプが送られてきた。
今日確か千回目の溜息をつきかけてたところ、視界の端に廊下で待つ海野さんを捕えた。目が合うと体の前で小さく手を振る。確かに先生が言うことは当たるかも知れない。
――私、きっと岬に君を取られるわ。
俺と海野さんは似ている。
劣悪な家庭環境。逃げ場もなければ出口も見えない。どちらかがあと、ほんの少し追い込まれたら精神的に苦しくて溺死する。そうなったら、追い込まれたふたりは、体を求め合うしか残ってない気がする。
電車に揺られながら俺は口を開く。
「海野さんて、下の毛ないんだよなぁ、今度見せてよ」
「はぅ⁉ お、お兄さまったら、ご冗談ですよね? ね? ね……?」
大丈夫、俺はまだ冗談を言える余力がある。
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