第20話 指先ひとつも。

 カランと乾いた音が第9会議室に鳴り響いた。

 振り向くと、そこには海野さんの姿があり、手に持ったエナドリの空き缶を落とした。ここに戻るまで待ちきれないほど、エネルギー不足だったのだろう。


「お兄さま、どうして――」

 彼女はオフィーリアのまま驚きの声を上げる。俺が解除しない限りもしかしたらこの役のままなのか。


「見ましたか……?」

 悲しそうな目線。

 演技なのか素の海野さんなのかわからない。わからないが、ボストンバックに詰め込まれた物を見られた事がショックだったのはわかった。


「これは……どういう」

 聞くまでもない。

 これがどういう状況なんて聞くまでもない。ボストンバックには色とりどりの下着が詰め込まれていた。これが何を意味するかなんて先生のあの顔を思い出せば簡単に答えが出せる。


「お義父さん、か? そうなんだな」

 当たり前の質問、そして想定できた答え。

「その、でも、お義父さんは悪くなくって、私が全部――ダメで……だから、ごめんなさい」


 全部なんだ? 全部海野さんが悪いのか? 外出時に下着をすべて持ち歩かないといけない状況のどこに彼女の落ち度があるんだ? 

 盗まれるのか、お義父さんに? なぜ俺に謝る? なんで全部海野さんが悪いんだ、冗談じゃない…冗談じゃない、どいつもこいつも、俺の親も家族も、海野さんの親も…どうかしてないか? 

 どうかしてるだろ、どうかしてる、どうかしてる、どうかしてるんだ、冗談じゃない。


 お義父さん――先生の実のお父さん。

 血の繋がりはないかもだけど、彼女のこと、海野さんのこと、生まれた時から知ってるだろ。

 亡くなった奥さんの妹さんが生んだ娘。先生とも遊んだりしてるとこ、見てきたんじゃないか? 再婚した相手の娘が下着全部持ち歩かないと安心できないってなんだ⁉


 誰か、教えてくれ――どうなってんだ、そいつ等は、自分らが狂ってる可能性は感じないのか……


 海野さんは涙を堪え、しきりに謝り、誰かをかばう言葉をまるで呪文のように並べた。

 俺はその言葉が尽きるのを待った。海野さんの心から、頭から、謝罪や誰かを弁護する言葉が無くなるまで、心から頭から空っぽになるまで待った。

 約束された時間はとっくに過ぎていたが、誰もなにも言いに来ない。もしかしたら、自動延長されてるのか、それほど時間に厳しくないのかも。


 どれくらいの時間が過ぎたのかわからない。

 海野さんの口からうつろで意味のない謝罪や自己非難の言葉が尽き、ぼそりと消え入るような声で――なんで……と呟いた。その呟きが呼び水となり、海野さんの感情が溢れ出した。


「――私、なにか悪いことした? どうして毎日怖がらないとなの。トイレの鍵も、寝る時も、何度も何度も鍵ちゃんとしてるか確かめるの、普通じゃないよね。お母さんに――下着がなくなるって言っても信じてくれない。だから、せめて脱いですぐ洗うの、1日着けたの盗られたくないから。でも、お母さんが怒るの、水道代が勿体もったいないって。お母さんは味方じゃない、味方じゃない、味方してくれてた花梨ちゃんを追い出したの、私のお母さんが。おじさんのご機嫌を取るために、私のこと――差し出そうとしてる、花梨ちゃんのお父さん、いいおじさんだと思ってたのに……実は狙ってたんだ、私のこと……私の初めて。私、このまま……私はヤラれちゃうんだよ、私の初めておじさんになるんだ、きっと、きっと、きっと――」


 庇う言葉も自己非難も、そして憤りや恨み、憎しみの言葉もやがてついえた。そしてようやく一筋の涙が頬をつたい、なによりも、なによりをも伝えたい言葉が残った。


「山県君、お願い……私を助けて、ください……なんでもいう事ききますから」


 俺たちはひとまず公民館を出た。

 男女がふたり、行く当てもなく公園にいるには限界がある。

 しかも似たような境遇、ライフラインであるおこずかいを完全に握られていた。俺と海野さんには大差ない。俺は月2千円で昼飯代込み。

 しかしバイトで延命えんめいできている。

 海野さんは月1万円だが、反抗的な態度を取ろうものなら、たちまちゼロ円だそうだ。なので迂闊うかつな態度を家では取れない。

 お金がないふたりが居場所を得るには、お互いの家でバカ話をして過ごすのがいいだろうが、残念ながら各々の家が最も落ち着かない環境だから泣ける。なので海岸線まで移動し、松の木陰で腰を下ろした。


「こういうのをお互い、親ガチャ失敗したっていうのでしょうか」

「だなぁ……親ガチャって追い課金出来んのかね、お金ないけど」

 溜息ためいきも出ない。

 上品な話し方、どうやらまだ俺が指示したオフィーリアの役のままらしい。

 俺はなぐさめる意味と、何だろお互いの情況を共有し共感し孤立感を薄めようとしたのだけど、結果として傷を舐め合うような共依存関係が成立しそうだ。

 俺の家の話に海野さんは「そんなの酷いです」といきどおり、海野さんの家の話に「それは辛いよなぁ」と同情した。


「あのですね、山県君。実はオフィーリアには山県君みたいなお兄さまがいるのです。 レアティーズっていいます」

「そうなんだ、ちょっとエッチなのか?」

「いえ! 山県君はその……ちょっとエッチさんですか?」

 先生の顔が浮かぶ。ちょっとじゃないでしょ、って言ってそうだ。笑って誤魔化したつもりだが、苦笑いしたように見えたかも。


「彼は情熱的なんです、直情的で家族思いで名誉をすっごく重んじます!」

「俺は家族思いじゃないぞ?」

「大丈夫です、私もですよ、お兄さま。家族なんて死んじゃえばいいのにと、何度思ったことかしら」

 凄いことを言うと思いながら、つい今朝俺も同じことを考えていた。そういう意味ではふたりは似ている。

 海野さんはオフィーリアが劇中でそうするのか、俺の腕に手を回してきた。先生と昨晩あんな事をしたものの、俺は女子に腕を組まれたのは初めてだ。


「もしかして俺は海野さんの弱みに付け込んでるのか」

 それを聞いた彼女は「まさか、お兄さまがそのような!」と、まるで本物のオフィーリアのようにおどけて見せた。

 いや、俺はハムレット知らないんだけど、たぶんこんな感じだろう。しかし、今こうしてるのは海野さん流の役作りなのだろうか。


「俺には憎たらしい妹がいるんだ」

「まぁ、わたくしのことですか、憎いお兄さま!」

 若干調子が狂うが不思議と嫌ではない。ふたりだからだろうか。

「こんなにかわいい妹なら大歓迎だ。しかし――」

「不仲なのですね、いいではありませんか。お兄さまにはわたくしがいます。なんて……本当に山県君がお兄さんなら、私どれほどにいてたでしょうね」

 演技と現実の境目はわかってるらしい。いつものきょどり気味な海野さんではなく、自信に満ち溢れた目で俺を見る。


「名誉を重んじるんだよな、その…レアチーズ?」

「おにいさま、です! ほんの少し惜しいですが…それがなにか?」

 俺は想像の中の騎士の様な口調で言った。

「妹であるお前の不名誉は俺が守る。今日より、そのバックの下着は俺が預かろう。不届き者にお前の下着は指先ひとつも触れさせん!」

 即興ではこれが限界だ。俺は物語を書くのが好きなだけで、演技が出来るわけではない。少しばかり大根役者でも勘弁してほしい。

「いいの……? うれしい。心から感謝します」

 海野さんはぽろぽろと涙を流した。







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