第19話 想定外。

 第9会議室。

 先生と居た国語科準備室より少し広い。

 会議室のすみには折り畳みの長机、そしてパイプ椅子が使用用途に合わせて、自由に使っていいらしい。

 とりあえず俺と海野さんは協力して、長机をひとつ組み立て荷物を置いた。荷物といっても俺はいつもの黒いリュック。

 海野さんは小ぶりなボストンバックをなぜかふたつ持っていた。俺のリュックは地べたに置いてもいいのだけど、女子のかばんはそうはいかない。


 白いカーテンを開き、窓を開け空気を入れ換える。特に気にならなかったから事前に空気を入れかえてくれてたのかも知れない。

 青いパイプ椅子をひとつ引きずり出し座って一息ついてるところ、海野さんは挙動不審で周りを見回している。さっきまでの諏訪感がゼロだ。


「どうした、海野さん?」

 あまりのきょどり振りにたまらず声を掛けた。

「あ、あ…あのですね、その、そろそろ…あの、準備したいのですが」

「準備? どうぞ、何か手伝おうか?」

「なななな、ないか手伝うも、なにも…い、今から、その……き、着替えます! お、お気持ちだけいただいておきます……」

 着替えか。なら、流石に窓全開はダメか。俺は窓を閉め、ついでに白いカーテンも閉めた。


「あ、あの……ななな、なんで、また…座るのですか? 意味不明です、はい」

「いや、気にしないで。見てようかと。わおっ⁉」

 素知らぬ顔で着替えを見学しようとしたのだが、海野さんは俺をパイプ椅子ごと押し倒そうとした。中々大胆なヤツだ。

 まぁ、この場合の押し倒すは物理的攻撃に近いけど。俺は渋々、廊下で待つことにした。まぁ、本気で着替えを見ようとしたわけじゃない。

 海野さんにどれくらい冗談が通用するか試したかっただけだ。結論から言うと、ほぼ冗談が通じないヤツだった。なにかリアクションのひとつも欲しい物だ。

 例えるなら先生みたいに、赤面しながらジト目で「どエッチ!」と言って欲しかった。

 実際こういうのは、先生には悪いが高校生からしか得られない栄養素がある。おっさんみたいなこと言うけど。それだけに海野さんのリアクションはやまれる。


「ど…どうぞ…」

 結構待たされた。どこまでの着替えをしたんだ? まさか、真っ裸マッパまで? そんなありえない高校男子が高校男子であるが故の妄想を抱えながら、俺は第9会議室に戻った。

 すると、室内は薄暗い。カーテンが閉められたままで、蛍光灯まで消されていた。外から着替えが見えないように灯りを消したのだろうか。

 海野さんは背を向けたまま、何も言わない。海野さんは少し背中の開いたドレスなのか、ワンピースなのかよくわからない服を着ていた。その僅かに開いた背中がとても白く、灯りの消えた薄暗い室内でも瑞々みずみずしく感じた。

 声を掛けようとしたが、俺はその声を飲み込んだ。気付かなかったがどうやら海野さんの演技はすでに始まっているようだ。


 細くしなやかな腕を宙に伸ばし、悲嘆ひたんの声をらす。気が違ってしまった、思いを寄せる恋人に妄想の中で話しかける場面だ。

 普段おどおどしてる海野さんでも、諏訪すわを完コピした時でもない、苦し気な表情。眉をゆがめ視線は虚空こくうにらむ。伸ばした手は虚空から何かをつかみ取ろうとしてるかのようだ。


 髪を振り乱し、父親の死を嘆く。

 俺はハムレットを恥ずかしながら名前くらいしか知らない。知らないが、海野さんの演技、セリフでどうやら父の死因は恋人であるハムレットに剣でつらぬかれたため。

 そして、海野さんが演じる女性もまた精神に異常を来たし、やがては――


 そんな場面だった。

 演技を終えた海野さんはうずくまり、時の流れに身を任せているかのようだった。やがて海野さんは立ち上がり、スカートの両端を掴みお辞儀した。

 海野さんが今しがた演じた女性が、そのまま頭を下げているような錯覚さえ感じた。


 圧巻。

 この言葉以外言葉が探せない。本人の口では聞いていた、海野さんの演劇に対する思いは本気らしい。

 それは少し分野こそ違うが、俺の物を書きたいという気持ちに似ている。いや、段違いで海野さんの夢に対しての思いを感じた。俺は先生に褒められたいから、そんな不純な気持ちが含まれている。

 だから気になった。海野さんがどういう気持ちで演技に向き合ってるか。


「え、演技に対する、き…気持ちですか⁉ えっと、あの…言っていいですか?」

「聞きたい」

「わ、私の演技に愚民どもを、ひ、ひれ伏す姿を、み、見たいからです、ぐへへっ」

 あっ、案外不純な気持ち含まれていた。

 とはいえ、演技のことなんてまるで知らない俺ですらきつける、圧倒的な何かを感じた。

 才能と努力、そして思いが彼女の演技を際立たせている。確かに、この圧倒的存在感ではウチの演劇部の学芸会レベルでは満足出来ないだろう。


「あ、あの…スミマセン、山県君、私…げ、限界を迎えつつあります、あのお花畑とか、渡ってはダメな匂いがする川が、そ、その――見え始めて…エ、エナドリ…買ってきます…子羊には翼が必要、です。はい…」

 こんな短時間にエナドリ2本も大丈夫か? 

 健康問題が気になるが、海野さんの額にはたまの様な汗が。待ってよ演技してる時は汗かいてなかった。もしかしたら、俺と話してるからか? 

 いや、待て待て、諏訪初佳の完コピしてる時は平気だぞ。と、いう事は演技してる時はコミュ障気味ではなくなるのでは。


「海野さん、いま演じた――オフィーリアでエナドリ買いに行って来て」

 彼女は一瞬ぽかんとした顔で猫背になっていたが、スイッチが入るのは一瞬だった。


「わかりました、お兄さま。岬はエナジードリンクを買い求めてきます。それまで、ごゆるりとお過ごしくださいな、お兄さま」

 誰がお兄さまだ。

 しかし、さっきまで額に浮かんだ汗はひき、猫背だった背中はしゃんとし貴族のようなたたずまいで第9会議室を出た。

 まぁ、貴族みたいな上品な足取りで行った先はエナドリなんだけど。俺はスマホの時計に目をやった。予約でこの会議室を押さえている時間の残りはあと15分ほど。


「着替えて出て行くのはギリギリかぁ……」

 仕方ない。

 長机には化粧ポーチやらドライヤー、それに手書きの台本と筆記用具が散乱していた。延長料金払うのももったいないし、誰かすぐに使うかも。

 海野さんは小ぶりなボストンバックをふたつ持ってきていた。ひとつには着ていた服がかぶせられていたから、きっとこっちは服関係だろう。

 もうひとつは小物関係か。俺は時短のために化粧ポーチやらドライヤーを、そのもうひとつのボストンバックに詰め込んでおこうとした。

 ボストンバックの中には、俺の想定していなかったものが詰め込まれていた。





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