第16話 ふんッ!

「演劇の脚本の話は本当だと思う。あの子、演劇は本気なの。だから……」

 手伝ってあげて……蚊のような消え入る声で言った。

 本音は「手伝ってあげて」なんて言いたくないなら、言わなきゃいいのに。そう思うものの、それでも言ってしまうのが先生なんだ。


 こんな複雑な表情は先生には似合わない。こんな顔いつまでさせておくんだ、俺は。だから俺は正直に心の中身を吐露した。


「先生。俺は先生と会えない時間――少しも創作活動する気は起きませんでした。先生と出会ったから、書く楽しみを教えてくれたから、俺は何かを書きたいと思った。でも、先生が見てくれないなら書いてもしょうがないって思ってて。きのう海野さんが先生の話をして、演劇の脚本を書いて欲しいって言われた。俺がまず思ったのは、もしかして彼女に関係したら、従姉妹で義理の妹の海野さんに関係したら、先生に触れてる気持ちになれるかもって思った。先生がもしかしたら、海野さんのひとり芝居を見に来ないだろうかって思った。そしたら先生のことだから、俺が書いたってわかってくれるかもって。だから、興味を持ったって言ったんです。それに――」


「それに?」

「先生の名前を聞いた途端、眠っていた創作意欲が目を覚ましたんです。見たことも読んだこともありません。でもハムレットのオフィーリアの独白というものを通して、先生に何かを伝えたい気持ちが芽生えました」

 先生は拗ねたような顔してそっぽを向いていた。小さく睨み、スウェットのポケットをごそごそ探る。そしても一度上目遣いで睨んで握った手を差し出した。


「ふんッ!」

「えっと……『ふんッ!』ってなんです?『ふんッ!』って」

「『ふんッ!』は『ふんッ!』よ、もういらないならあげないからね」

 握りしめられた手に俺は手を出した。あからさまに唇を尖らせ、怒ってますと言わんばかり。えっと……何に怒ってたんだっけ? そんなこと考えてたら、広げた手のひらにコトリとなにか落とされた。


「先生、鍵ですか? もしかしてここのですか? 俺が貰っていいんですか?」

「じゃあ誰が貰うの? なに、君は私が他の人に鍵あげていいんだね、あっそ!」

 誰もそんなこと言ってない。言ってないけど、自分の家の鍵を預けてくれるくらい信用してくれてるんだ。


「あの、やっぱり部屋戻りませんか?」

 思わず提案してしまった。先生がかわいくて仕方ない。でもこの頃には先生の機嫌も持ち直していた。軽く首を振り伸びをした。先生はパーカーの下に何も着てない、羽織っただけ。なのでジッパーの間から、先生のたわわな谷間がはっきり見えた。


「後でメッセージして。寝てるかもだけど。家に帰ってアリバイ作って今夜は誰の隣で寝るのだろうね、朝稀あさきくんは。もし私の隣ならその鍵で入って来ていいよ」

「それは暗に寝てるとこを襲えと?」

「言ってない。でも、触るぐらいなら……いいよ。あっ、ね?」

「マッハで戻ってきます!」

「いいよ寝不足で危ないし。色々用事済まして来れそうなら来て。無理なら明日も日曜だし」

 先生は今日一番の笑顔で小さく手を振った。


「やーさん、朝帰りか? 下半身お達者だなぁー」

 俺は自宅の最寄り駅近く、駅裏の若干さびれたテナント裏でツレを待っていた。きのうの放課後から朝までのぶっ続けバイト。個人経営のなんちゃってコンビニじゃないとありえないシフトだ。


「確かに下半身はお達者だがな、相手はいねー童貞だもの」

「オレも~なんだ、女関係じゃないの? また家絡みかぁ、お互い苦労が絶えませんなぁ。でもウチと違ってやーさんち、金持ってんどーだろ?」

 ウチの両親は公務員の共働き。

 そりゃそれなりに収入はあるだろ。大野の家はよく知らない。あまり言わないので聞かない。ただ大野曰く親父さんはパチカスらしい。なので収入が多くても出費も多いかも。


「親は持ってるかもだけどなー少なくとも俺の懐には届かん」

「だな、なんてったって昼飯込みの月2千円のこづかいだもんなぁ、昭和でも無理だろ、お互い毒親だなー」

 家庭は裕福かも知れないが、さっきも言ったが両親は俺が困るとかいう発想がない。代わりに自分たちが欲しい物を欲しいだけ買う、物欲夫婦。それに自己じこ顕示欲けんじよくの亡者。他からよく見られたいから、高級品には目がない。

 妹には甘く、こづかいも欲しい物を必要以上に買ってやってる。兄がいるにはいるが、両親に愛想尽かしたのかどうだか知らないが大学で家を出たっきりだ。


 つまり山県家では目に見えて俺だけ著しく困窮こんきゅうしていた。昼飯代だけでもこれでは半月分もない。なので生きていくためにバイトは必須。


「そんなやーさんに弁当をプレゼント」

「いいのか? 最近廃棄物関係うるさくないか?」

 賞味期限の切れた食品関係の廃棄の管理がうるさいとかどうとか聞いたことがある。さして興味もないので詳しくは知らないが。


「大丈夫ギリ賞味期限内だ。あと1時間くらいはセーフ。だから、格安の50円で売ってくれる。賞味期限内で売ってるから、問題ないんだろ」

 俺は大野に貰った弁当を駅近くの公園のベンチでふたりして食べた。食べながら大野は昨晩の外泊理由を聞いてくる。


「今更、理系大学受験しろってさ」

 外泊理由は先生だが直近のバットニュースを披露した。

「まじかー理系大学? やーさんバリバリの文系だろ。俺もだけど、なんでまた?」

「知んねぇ、どうせまたどっかで『理工学部じゃないと社会で通用しない』とか『今時文系出ても仕事ないんじゃないですか?』とか言われたんじゃねぇ、同僚に。 知らんけど」


 父親は公務員。

 昔の職安、今でいうハローワークか? そこで仕事をしていて、上っ面の情報を耳にすることが多い。その度、俺は振り回される。他人の言うことにはホイホイ耳を貸すが俺の言うことは全否定。

 外面モンスターだ。根性論でどうにかなるほど大学受験は甘くない。俺の人生いつんでもおかしくない。


「じゃあさ理系受けるだけ受けてさ、スベったらいいんじゃない? そしたら文系大学でもしょうがないなぁ〜になるしょ!」

 大野は俺を元気付けるために言ってくれてるのだろうが、ウチの親に限ってそんな甘くはない。逆にそれを口実に就職しろとか言ってくるだろ。

 就職がダメなわけじゃないけど、先生に再会した今、俺は前よりも文学部への気持ちが大きくなっていた。それに進学がダメだから就職に変更するなんて就職を舐めてる。進学も就職もそんなに甘くない。


▢作者より▢

本章を読んで頂き心より感謝、ご自愛ください。

アサガキタ。

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