第6話:初めて知った温もり

 エリアスはヴィクターを小さな研究室へと招き入れた。騎士団長が座るにはあまりに粗末な木の椅子に、ヴィクターは静かに腰を下ろす。

 彼の事情を聞きながら、エリアスは目の前の美しい騎士から目が離せなかった。感情を失う呪い。それは一体、どれほどの苦しみを彼に与えてきたのだろう。

「……わかりました。僕にできるかどうかは分かりませんが、全力を尽くしてみます」

 エリアスの言葉に、ヴィクターの無表情がほんの少しだけ揺らいだように見えた。

 エリアスは深呼吸をすると、錬金器具の前に立った。作るべきは、彼が作りうる限りで最も純粋で、最も強力な「幸福」のポーション。

 彼は目を閉じ、これまでの人生で感じた幸せな瞬間を一つ一つ、丁寧に心の中で拾い集めた。

 宮廷で難しい錬成に成功した時の達成感。セドナ村に来て、女将に優しくされた時の安堵。リリーが無邪気に笑いかけてくれた時の喜び。村人たちが「ありがとう」と微笑んでくれた時の、胸が温かくなる感覚。

 それら全ての温かい感情を、祈りと共にフラスコの中へと注ぎ込んでいく。エリアスの身体から柔らかな光があふれ出し、液体へと溶け込んでいく。

 やがて完成したのは、まるで陽光そのものを溶かし込んだかのような、温かい黄金色に輝くポーションだった。

「……できました。これを、どうぞ」

 小瓶を手渡されたヴィクターは、一瞬のためらいも見せず、それを一気に飲み干した。彼はエリアスの噂を信じて、ここまで来たのだ。疑うという選択肢は、もはや彼の中にはなかった。

 液体が喉を通り過ぎた、その瞬間。

 ヴィクターの胸の奥深く、ずっと凍てついていた湖の中心に、小さな石が投げ込まれたかのような波紋が広がった。そして、そこから、生まれて初めて感じる感覚が、じんわりと身体中に染み渡っていく。

 それは、まるで温かい陽だまりの中にいるような、穏やかで満ち足りた感覚だった。

 あまりの衝撃に、ヴィクターはサファイアの瞳を大きく見開いた。彼は反射的に、鎧の上から自らの胸を強く押さえる。心臓が、いつもとは違うリズムで鼓動している。冷え切っていた身体の芯から、何かがゆっくりと溶けていくような気がした。

「……これは、なんだ?」

 絞り出すように漏れた声は、かすれていた。何と表現すればいいのか分からない。言葉を知らない。だが、確かに“感じる”。これが、喜び。これが、幸福。これが、“温もり”。

 効果は、長くは続かなかった。数分もすると陽だまりのような感覚は潮が引くように薄れ、彼の心は再び静寂を取り戻し始めた。

 しかし、一度知ってしまった温もりを、忘れることなどできはしなかった。闇の中にいた者が、一瞬だけ見た光のまぶしさを忘れられないように。

 ヴィクターは、ゆっくりと顔を上げた。その凍てついていた瞳の奥に、初めて明確な光が宿っていた。それは、目の前にいる小柄な錬金術師に対する、強い、強い興味の光だった。

 奇跡は、確かに存在した。そしてその源は、この穏やかな表情をした青年にある。

 ヴィクターは、この奇跡の源を、決して手放してはならないと本能的に悟った。

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