第5話:氷の騎士、来訪

 セドナ村に流れる穏やかな時間は、一人の来訪者によって静かな波紋を広げることになる。

 幸せを呼ぶ錬金術師の噂は、小さな村の垣根を越え、風に乗って遠くの国境まで届いていた。そして、隣国で「氷の騎士」と畏れられる騎士団長、ヴィクター・フォン・クラウゼンの耳にも、その噂は届けられた。

 ヴィクターは呪われていた。

 一切の感情を失うという、呪いに。

 喜びも、悲しみも、怒りも、愛しさも。人間が当たり前に持つはずの心の動きを、彼は何一つ感じることができなかった。ただ、頭で理解し、騎士団長としての義務を機械のようにこなすだけの日々。彼の心は、凍てついた湖面のように静まり返っていた。

 どんな名医も、どんな高名な神官も、彼の呪いを解くことはできなかった。もう諦めるしかないのか。そう思っていた矢先に耳にしたのが、辺境の村にいるという奇跡の錬金術師の噂だった。

 藁にもすがる思いで、彼は多忙な公務の合間を縫い、たった一人でセドナ村を訪れた。

 村人に場所を尋ね、エリアスの住む小さな家の前に立つ。粗末、と言っていいほどの簡素なたたずまいだ。本当にこんな場所に、奇跡を起こす術師がいるのだろうか。半信半疑のまま、ヴィクターは重厚な手甲に覆われた手で、木の扉を叩いた。

 コン、コン。

 静かで、重いノックの音。

「はい、どうぞ」

 中から聞こえたのは、穏やかで優しい声だった。

 扉がゆっくりと開かれ、一人の青年が顔を出す。質素な服を着た、どこにでもいそうな線の細い青年。彼が、あの錬金術師なのだろうか。

「……あなたが、ポーションを作るという錬金術師か」

 ヴィクターが低く尋ねると、青年――エリアスは少し驚いたように目を見開いた。

 無理もない。ヴィクターの出で立ちは、こんな辺境の村にはあまりに不釣り合いだった。精緻な彫刻が施された白銀の鎧、腰に提げた見事な長剣、そして何より、人間離れした美しい顔立ち。しかし、そのサファイアのような瞳には、感情という光が一切宿っていなかった。

 現れたのが、感情というものが完全に欠落した、氷のように美しく、そしてどこか儚い青年騎士であることに、エリアスは思わず息をのんだ。全身から放たれる圧倒的な威圧感と、精巧な人形のような無表情さに、彼は一瞬、言葉を失ってしまった。

「あの……僕がエリアスですが、何かご用でしょうか?」

「おかしなポーションを作ると聞いた。人を幸せな気分にさせる、と」

 ヴィクターの言葉には、抑揚というものがなかった。ただ事実を述べているだけ。それでも、その声には切実な響きがかすかににじんでいた。

「噂は本当か。私の呪いを、お前のポーションで解くことはできるか」

 呪い。その言葉に、エリアスはごくりと唾を飲み込んだ。目の前に立つ美しい騎士が、どれほど重いものを背負って生きてきたのか。その凍てついた瞳の奥にある深い孤独を、エリアスは垣間見た気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る