グミ

 暦は12月となり、部屋の中まですっかり冷え込んでいる。日が落ちるのも早いし寒くてどうしようもないが、俺は暖房が苦手なのでヒートテックと電気ストーブで毎年冬を乗り越えていた。


「う~、さむ! こたつ欲しい……」


 ぼやきながら着替えて、ダウンを着てマフラーも巻く。これからデリバリーの仕事なのだ。

 小腹を満たすためにグミを食べながら、まだ夕方と言える時間帯なのにすっかり暗い外に出た。デリバリーに向かう前にもはやルーティンワークと化した交換日記をポストに入れておこうとしたら、ちょうど帰ってきた本願くんとバッタリ会った。俺が先月あげたダッフルコートを着て、鼻を赤くしている。


「あ、本願くん。今ちょうどポストに入れようとしてたとこ」


 俺はそう言って、交換日記を彼に手渡した。ついでにポケットにしまっていたグミも袋ごと渡す。


「グミもあげる。ぶどう味」

「ありがとうございます!ぶどう味好きです」


 すぐに袋を開けてグミを食べ始める本願くんは、リスのようだった。次々にグミを口に入れながら、本願くんは「あっ」と俺を見た。


「そうだ、竹原さん今から時間ありますか? ザリガニと魚釣ったので、一緒にどうですか」

「あ~ごめん、俺今から配達の仕事行くんだ。遅くなっちゃうと思うから俺抜きで食べて」

「わかりました、仕事頑張ってください」


 本願くんは笑顔で頷いた後、一瞬しゅんとした。気づかなければどうということはなかったが、俺は気づいてしまったので思い切り後ろ髪を引かれる。思い返せば最近顔を合わせることはあっても、一緒にご飯を食べてないのは確かだった。


「えと~、2時間後とかでもよければ一緒に食べたいな」

「ほんとですか! 全然大丈夫です! 作っときますね!」


 パッと再び笑顔になった本願くんは、足取り軽く部屋へ入っていった。素直に好かれているのが伝わってきて、むず痒い。いや、俺は正直必要とされて嬉しいのだけど、嬉しいと正直に認めると自分がめっちゃ気持ち悪い気がして、口元をいびつにゆがめた表情でバイクに乗った。








 人の多い区域までバイクを走らせて、俺は配達依頼が来るのを待った。すぐに目ぼしいのが何件か見つかり、1件、2件と手数料を稼いでいく。効率よく依頼を捌けたこともあり1時間経つころには、目標金額に到達しそうだった。


(今日はなんか調子いいな。本願くんとの約束もあるし、あと1件やったら終わりにして帰ろ)


 そう思った時、ちょうど依頼が来た。すぐそばのイタリアンレストランへのオーダーだった。早速引き受けると、依頼者のユーザー名が表示される。名前など普段ならまったく気にしないのだが、俺は画面を二度見して固まった。


「……本願」


 ユーザー名が本願だった。『本願寿』と表示されている。いや、もちろん普通に偽名の可能性はある。しかし、本願なんてあまり聞かない苗字だし、もしかしてという気持ちが勝った。


(もしかしたら、家族だよな)


 そこまで考えて、配達が遅くなってはまずいので俺は一旦切り替えてレストランまでバイクを走らせた。

 注文内容は豪勢なひとり飯といった内容で、前菜、主菜、デザートまで頼んで合計7000円を超えていた。なかなかに金を持っていそうなオーダーであり、配達先も高級住宅街にある戸建てだった。

 表札を確認すると『本願』とあり、ユーザー名が本名であるとわかる。


(でも、蒸発する父親がこんな富裕層なわけないか)


「あ、こんばんは。デリバリーです」

「ああ、はい。今行きます」


 インターフォンを鳴らして出たのは男性の声だった。

 玄関が開いて出てきたのは50歳くらいの男性だった。本願くんの父親としても年齢的にはおかしくない。


「こちらです。どうぞ」

「はい、どうも」


 食べ物を渡して、そのまますぐ帰るのがデリバリーの鉄則だ。

 しかし、俺はどうしても確認したくなってしまった。安いグミを嬉しそうに食べる本願くんがちらついた。もし本当に父親なら、彼の生活を支えるべき大人の筆頭だ。


「あの、つかぬことを聞くんですけど、高校生の息子さんいらっしゃいます?」


 もう家の中に戻ろうとしていた男性にそう声をかけた。不審な顔をされると思ったのだが、想定外に真剣な顔が俺を見た。


「……どうしてですか」

「あ、えっと、いきなりすいません。本願って苗字の男子高校生と知り合いで、つい──」


 言いかけると、男性は俺の方に走って戻ってきた。その勢いに俺は1歩後ずさっていた。


「い、祈ですか!? 本願祈、ほくろが頬に2つある、この、この子ですか……!?」


 男性は慌てた様子でスマホを取り出すと、待ち受け画面を見せた。そこには男性の横に立つ中学生くらいの、少し緊張した面持ちの少年がいた。昔の写真とはいえ、それはどう見ても本願くん本人だった。


「っ、はい、そうです。本願祈くん」


(まさか、本当に父親?)


 自分で言い始めたことなのに、いざ本願くんと男性が知り合いであることが確定してしまうと動揺でうまく言葉が続かない。


「はぁ~っ、祈とお知り合いなんですね……!あ、私は祈の父、本願寿ほんがんひさしと申します」

「あ、はい。なるほど、あの、自分から話振っておいてあれなんですが、本当に本願くんのお父さんですか?」

「はい、本当に祈の父です。いえ、警戒されるのは当然ですよ。ちょっとお待ちください。ええと、これが私の身分証で、この待ち受けで見切れている男は私です」


 本願寿と書かれた免許証が差し出される。免許証の顔、待ち受けで顔半分になっている男性、そして目の前の男性、すべて同じ顔だった。

 どうやら、本当に本願くんのお父さんらしい。


「信じていただけますか」

「え、ええ。いや、ホントにこんな偶然あるんですね。ただちょっと……本当にお父さんなら驚いてしまって。父親は蒸発した、と聞いていたので。こんな立派な家にいらっしゃるとは……」


 俺は目の前の、庭付き塀あり2階建てを見上げた。

 蒸発する人間というのは、多かれ少なかれ金に問題を抱えているパターンが多いはずだ。都内にある綺麗な戸建てに住めるなら十分な収入があるはずだし、都内の高校に通う息子を置いて蒸発した父親が都内に住んでいるとは考えにくかった。

 本願くんのお父さんは、俺の言葉を聞いて深いため息を吐くと、頭を弱く振った。


「祈がそう言ったんですか。でも、私は蒸発などしていません。祈が何か月も前に家出したんです。それからずっと帰ってくるのを待っていて」

「あ、家出……だったんですか」


 想定できそうで、まったく想定していなかった答えが現れて、俺は少し呆然とした。

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