おかゆ

 実家から柿が送られてきた。

 なるほど、まだ暑い日が続いているが暦は9月に入り秋が始まったわけだ。俺はこの実家からの贈り物によって、毎年秋を感じていた。


「でも、いっつも量が多いんだよなぁ」


 それなりの大きさがある段ボールに柿が敷き詰められている。

 毎年届いたら母親にお礼の連絡をしていて、そのたびに「ひとりで食う量じゃないよ」と伝えているのだが、「ふたりで食べるかもしれないじゃない」となんとなく言外の圧力を感じる返答が来るばかりだった。


「柿を食べてくれる相手なんて……」


 と、ぼやきかけて俺は腕を組んだ。


「……いるな、今年は」


 その辺にあったビニール袋にいくつか柿をポイポイと入れると、俺は玄関を出て隣人のチャイムを鳴らした。


「本願くーん。いる? 実家から柿が来てさ──」


 ──ガ、チャ……。


 俺の元気な声かけに反比例した、まったく勢いのない速度でドアが開く。ドアの隙間からは、今までに見たことがないくらい蒼白の本願くんが出てきた。


「だ、だげばらさん……っゲホッエッホ!」

「えっなに、風邪!? 大丈夫!?」

「あい、ぢょっと、ガゼひいちゃっで……ッ」

「ちょっとどころじゃないよその声! 薬は? 飲んだ? ご飯は──」

「ぐずりなくて、買いにいごうッ、かと……」

「いやダメダメ、安静にして! 俺が薬買ってくるから! あとこれは柿! あとで剥くから!」


 本願くんの返事は聞かずに柿の袋を手渡して「寝てなさい!」と彼をドアの中に押し込み、俺は急いで原付にまたがった。

 ドラッグストアは遠いので近場のコンビニまで原付を走らせ、風邪薬と冷えピタ、飲み物などを買って速攻でアパートまで戻り、ベッドでゲホゲホ言ってる本願くんにポカリを飲ませるまで、20分で終わらせた。


「薬飲むために、おかゆを作ります。ちょっと鍋とか借ります。俺は料理がうまくないので不味かったらごめんけど、食ってね」


 なるべく返答の必要ない形で伝えると、本願くんはガサガサの声で何か言っていたけど、声がガサガサすぎて何を言っているのかはわからなかった。頷いていたので俺の発言を肯定してくれたんだと判断して、俺はキッチンに行って鍋に水を入れて火にかける。

 おかゆにレシピなんてないかと思いつつ、一応『おかゆ 作り方』とGoogleで検索すると、『まず米を水洗いする』から始まるびっくりするほど丁寧なレシピが出てきて、俺は5秒くらい読んでからサイトを閉じた。


(ま、米を煮て醤油でもかければ食えるよな)


 レンチンご飯を鍋に入れて煮始める。

 何か入れたらおいしそうなものはないかと冷蔵庫を開けると、先日本願くんが乱獲していたバッタが佃煮のようなものになっていた。見た目は依然バッタなので普通の人なら食欲が失せるだろうが、食べるのは本願くんなので気にせず煮えたおかゆの上に乗せてみる。


「お、それなりに見えるわ。よしよし」


 完成でいいでしょう、と火を止めて、鍋敷きの上に乗せた鍋を運ぶ。


「おかゆできたよ。食べられそう?」

「あい。あ、りがどう、ございまずっ……」


 よぼよぼとご老体のようにベッドから降りた本願くんが、クッションに着席する。

 俺はローテーブルに鍋を置いて、本願くんにスプーンを渡した。おかゆを掬った本願くんは、フーフーと何度か息を吹いてから口に入れる。


「っ……おいじい、です」

「よかった~。食べられるだけ食べて、そのあとに薬ね」


 テーブルに風邪薬の箱を置いて、俺は床に置かれたビニール袋から柿を取り出した。キッチンから包丁を頂戴して、ちゃちゃっと2個ほど柿を剥き皿に並べる。俺の手際の良さに驚いたのか、本願くんが手元をじっと見てきたのでピースをした。


「俺料理は大してできないけど、柿はずっと実家が送ってくるからキレイに剝けるわけよ」

「っな、るぼど。ガギ、ありがどッゲホ!」

「無理に喋んないで! 柿は冷蔵庫に入れとくから食欲あったらあとで食べてよ」


 うんうんと頷いて本願くんはおかゆを食べ進める。

 本願くんと会うと彼はいつも制服姿だったが、今は紺色のジャージを着ていた。おそらく学校のジャージだと思う。制服かジャージしか着るものないのかな、と思って少々切なくなる。


(いるかわかんないけど、俺の服あげようかな)


「ごちぞ、さまでじたっ……」

「お、完食? 祈くんは偉い子ですね~お薬も飲めるかな~?」


 俺がふざけて子ども扱いをしながら薬を渡すと、本願くんはちょっと俺を見つめてから照れたように頷いて薬を受け取る。やめてくれ的な反応が来ると思っていたので、若干スベッた気がして恥ずかしかった。


「そしたら、後はとにかくベッドで寝て。そうすれば大抵治るから」

「あい。ありがどっ、ございまず」


 大人しくベッドに入った本願くんはすぐにウトウトし始めて、俺が鍋を片付けて戻ってくる頃にはベッドで寝息を立てていた。


(本願くんってゲテモノばっかり食べてるから身体強いのかと思ってた。胃腸が強いだけなのかな)


 そんなことを思いながら、俺は忘れ物はないかと部屋を見渡す。するとベッド横の床に制服のシャツとスラックスが脱ぎ捨てられているのが目に入って、せめて畳んでおこうと思って手に取った。

 スラックスを畳もうとしたら、ポケットから何かが落ちた。拾ってみれば生徒手帳だった。

 表紙には『私立名良高等学校』と書いてある。


(メイリョウ……かな。わからんけど)


 そのまま何の気なしに開くと、本願くんの顔写真のページが出た。醤油を借りに来た時に見せられたページだ。


 氏名 本願祈 Hongan Inori

 生年月日 20××年 9月12日


「あれ、明日じゃん。誕生日」


 今日は9月11日だ。あの具合では明日もたぶん風邪だろう。


(明日は無理でも、元気になったらお祝いしてあげよっと)


 生徒手帳をスラックスに戻して、クローゼットにでも制服は置いておこうと思って、半開きの扉に手をかけた。

 ガラ、と開けるとそこには下着や靴下が小さい山のように積み重なっていた。男子は大抵服を出しっぱなしにしてしまうものだ。

 その山の下に置いてある──というより若干隠してあるかのような封筒に目が行った。

 有名なメガバンクの封筒だった。生活費かなと思ってスルーしようとしたが、封筒から札が見えてしまっているのに気づき、ちゃんとしまっておこうという気持ちだけで俺は封筒を拾った。


「え」


 その封筒の重さに、思わず声が出た。

 見ると封筒には一万円札が大量に入っていた。封筒に入るだけ詰めた、というような量だった。テレビで見たことのある100万円の札束よりも明らかに分厚い。

 俺は人生でこんな量の現金を目にしたことがなくて、しばらく封筒を見つめていた。


(これ、本願くんの金、なんだよな……?)


 蒸発したという父親の遺産か何かかとも思ったが、蒸発するような男がまとまった現金を置いて消えるのだろうか。

 しかし、親が残した金ではない場合、これだけの現金がある理由は。


 ──ギシッ。


「っ!」


 物音に息を飲んで振り返ると、ベッドの本願くんが寝返りを打ったようだった。

 それだけのことだとわかり、俺は深く息を吐いた。自分の心拍数が上がっているのがわかる。すぐに封筒を元の位置に戻した俺は、とにかく本願くんの部屋から出ようと荷物をまとめた。

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