バッタ

 ハッピーコーポの近所にある土手周辺は、河原の他に草原のようなゾーンがある。少子化でこの辺りは子どもが少ないようだが、たまに草原でキャッチボールや虫取りをしている子どもたちを見たことがあった。

 夏といえば虫の季節なので、今も網を持った子どもがセミやチョウチョを追いかけている。俺はそんな様子を、草原に生えた大きな木の下で見ていた。

 なぜ俺が真夏の昼間から草原なんかにいるのかと言えば、俺の部屋に夏の風物詩ことゴキブリが出たからだった。発狂しながら殺虫剤を巻きまくった結果、部屋が毒ガス部屋になってしまったので仕方なく比較的涼しい木陰に逃げてきていた。近所にファミレスかカフェでもあれば涼めたのだが、そんなものはない。


(ここも意外と涼しいし、元気な子どもを見てるとこっちも元気もらえるしいいか……)


 などど、心の余裕を感じさせる感想を抱いていると、ザザザッと走る足音が聞こえた。


「待て! 逃げるな!」

「!?」


 同時に突然声がして、ボスンッと俺の頭に網が被る。

 何が起きたのか理解が遅れて、1秒くらい唖然と網の主を見上げれば、俺を網で捕まえたのは本願くんだった。


「あれ!? 竹原さん!? こんな夏日に外にいるなんて珍しいですね、どうしたんですか?」

「いや、その前に、なにこれ」

「あっごめんなさい! 今バッタがこっちに逃げてきて──いたっ! おら!」


 俺の顔から網が外れて、すぐ隣の草原に網が押し付けられる。網の中にいる獲物を掴んだ本願くんが、「じゃーん」と俺に見せてきた。


「バッタだ。立派なバッタ」

「はい! これは過去一大きいショウリョウバッタです。見てください、こんなに捕まえたんですよ」


 本願くんは肩から下げた虫かごを得意げに見せてくる。中にはバッタたちが詰め込まれていて一種の恐怖映像だったが、俺は小学生の甥っ子に接するように「すごいすごい」と褒めた。

 虫取り少年は小学生ばかりの中、高校の制服を着た本願くんは一番大人気なく誇らしげにかごを掲げている。


「なんでこんなにバッタを乱獲してるの」

「もちろん食べるためです。イナゴってあるじゃないですか、佃煮とかで売られてるやつ。それです」

「イナゴってバッタなんだ」

「厳密には違いますが、ほぼ同じです。これから調理するので、おやつにどうですか」


 以前うな丼と言われてドジョウだったことがあるのでほぼ同じなのかは疑問が残った。あとバッタはなんか虫過ぎてちょっと怖かった。


「うーん、バッタかぁ……バッタ……」

「イナゴですよ! 日本人が長年食べてきた国民食!」

「う~~ん、でもバッタでしょ?」

「竹原さんがなんでわざわざクーラーのない暑い外にいるかわからないですけど、僕の部屋はクーラー効いてて涼しいですよ。涼みませんか」

「涼みます」


 俺は2秒前まで木にもたれてバッタに難癖をつけていたが、一瞬で立ち上がった。

 本当は木陰なんかよりクーラーの効いた部屋にいたい。いくら強がっても、木陰だろうがなんだろうが外は普通に暑い。


「じゃ、涼むついでにバッタ食べていってください」


 にこやかに言う本願くんに、クーラーに負けた俺はニコニコと頷いた。








「っあ~! 涼しい! 天国!」


 土手の草原から帰って本願くんの部屋に入った俺は、開口一番そう叫んだ。

 本願くんが冷蔵庫で冷やしていた水道水をくれて、それを一気飲みする。俺が冷たい水道水に満たされている間に、本願くんはキッチンに虫かごを置いて竹串を何本か出した。


「バッタ、佃煮にするの?」

「あとで残ったのは佃煮にする予定ですけど、今はおやつとして炙って醤油かけて食べようと思います」

「バッタを炙って……なるほど……」


 佃煮は茶色になるまで煮詰められているし味も濃いので元がバッタでもなんとなく平気だが、今この虫かごの中を元気に飛んでいる緑のバッタを炙って食うというのは、あまりにもバッタ過ぎて食欲は出ない。

 本願くんは俺のテンションを気にすることもなく虫かごの蓋を開けて手を突っ込み、トノサマバッタっぽい個体を取り出した。


「羽と足はもぎ取ります。口の中に引っかかって不味いので」

「わお……」


 生きたバッタから羽と足がブチブチともがれていく。子どもの頃に無邪気に虫を殺したことはあったが、大人になると罪悪感を感じてしまった。1時間くらい前にゴキブリ絶対殺すマンになっていたくせに、都合のいい罪悪感である。


「そしたら串に刺していきます。何匹食べたいですか?」

「えっと俺は1匹でいいよ……?」

「遠慮しないで大丈夫ですよ!5匹くらいにしておきますね」


 俺の遠回しな拒否を遠慮だと解釈した本願くんは、手際よくバッタの羽と足をもいで竹串に刺していった。バッタ5連とバッタ10連の串が出来上がり、俺はその様相を見て昔やった食人族のゲームを思い出していた。人間の腕が何本か串刺しになっている場面だ。


「じゃ炙っていきます!」


 コンロを付けて直火でバッタが炙られていく。

 緑だったバッタが、だんだんと茶色っぽくなり、若干食べものらしくなった。


(まぁ、普通にバッタではあるけど……)


「火は通ったのでこれに醤油をかけます」


 醤油の焼ける匂いが立ち上り、俺は日本人であるがゆえにちょっと食欲をそそられてしまった。


「これで完成です! どうぞ」

「えっ、うん。ありがと……」


 焼きたてを渡して、本願くんは俺の顔を見ている。食べ待ちされているのを感じて、俺は恐る恐るバッタの端っこを食べた。ふにゃ、とした触感でこれがバッタの噛み応えかと噛み締める。勝手なイメージだが、青臭そうなので舌の先だけで味を確かめると、知ってる味がし始めた。


「あれ、意外と……なんていうか、エビみたいな味?」

「そうなんです、エビっぽいですよね! 僕は野生のかっぱえびせんと呼んでます」


 本物のかっぱえびせんの方が絶対においしいと思うが、本願くんの言いたいこともわかる。なんだか虫っぽくないし青臭くもない。目を瞑って食べれば全然余裕だった。

 ということであまり見ないようにして食べ進める。本願くんは一気に2匹食べていて、ワイルドだった。


「そういえば、竹原さんなんで外にいたんですか?」

「ああ、部屋にゴキブリが出てさ。殺虫剤撒きすぎて、俺もいられない部屋になっちゃって」

「へえ~ゴキブリ苦手なんですね」

「逆にゴキブリ得意な人いる?」

「でも食べられるゴキブリもあるんですよ。家にいるのはダメですけど森とかにいるのは──」

「ちょ、その話やめて! これでも食事中だから! 俺正直バッタがギリだから! ゴキブリは絶対無理だからね!!」


 TPOを忘れ去った話題提供に俺がぎゃんぎゃん騒ぐと、本願くんは「大袈裟なんですから~」とバッタをまとめて3匹食べながら笑っていた。

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