コイ

 『食品、日用品大安売り! 出血大セール!』


 バイクで10分ほどのところにある、激安スーパーのチラシがポストに入っていた。

 食パンが60円、卵は100円、トイレットペーパーが200円らしい。これは破格である。

 8月中旬で毎日夏の日差しは容赦なかったがちょうど夕立が上がったばかりで少し涼しくなっていたのと、それから食料が家に何もないことが重なって、俺は久しぶりにスーパーへ行った。


「やっぱあち~」


 バイクを駐車場に止めてヘルメットを脱ぎ、レジ袋を持ち上げる。

 食パン、卵、トイレットペーパー、その他諸々を激安価格で購入して、俺はハッピーコーポに戻ってきたところだった。部屋に入ろうとすると、隣の部屋から本願くんが出てきた。


「奇遇だね、こんにちは」

「こんにちは。買い物ですか?」

「そー。久々に買い物してきた。あ、そうだこれあげる。安かったんだ」


 俺はレジ袋をガサガサかき回して、食パンと卵を1つずつ、それからお菓子を本願くんに渡した。


「いいんですか! ありがとうございます!」

「安物なので気にせず」

「お礼に晩御飯ご馳走します! 今から一緒に河原行きませんか」

「お、いいよ。今日の献立はなに?」

「コイです。川のコイを釣って食べます。釣れなかったらカエルに変更です」


 昔の俺ならカエルを食べると聞いただけで断っていたと思うが、カエルは以前食べておいしかったし心に余裕ができていた。


「釣りいいね。楽しそう、行く行く」

「じゃ釣り竿持ってきます!」


 そう言って俺たちは一瞬解散し、俺は荷物を部屋に置き本願くんは釣り竿や調理器具を持ってすぐにもう一度集合して河原へと向かった。

 8月の河原なんて子どもたちがいてもいいものだが、この辺りは子どもが少ないのか俺たち以外誰もいなかった。本願くんが選んだ川辺に荷物を置いて、俺は座りやすい石を見つけて座った。


「竹原さん、釣りしたことあります?」

「いや、ないな~。金魚すくいしかやったことない。本願くんはよく釣りするの?」

「僕はたまに川魚を釣るくらいで。大きさ的にはコイがギリギリですね」


 本願くんは言いながら釣り竿の準備をしていく。

 餌は虫かミミズかなと思っていると、本願くんのバッグから食パンが出てきた。さっき俺があげたものだ。


「おやつに素の食パン食べる気?」

「え? 違いますよ、これはコイの餌です。コイは食パンを使うと一番よく釣れるので、いただけてありがたかったです」


 激安だったとはいえ、食パンには本願くんの空腹を満たしてほしかったのだが、どうやらコイの空腹を満たすらしい。

 ちぎって丸めた食パンを針に刺して、「いざ!」と本願くんは釣り竿を振り上げた。


 ──ちゃぽん……。


 本願くんの勢いに反して、食パンは優しく川に入った。


「そういえばコイってどうやって食べるの? 刺身?」

「こんな川にいるコイを刺身で食べたら病院送りですよ。今日はコイの味噌汁にしようと思ってます」

「え~! うまそう! でっかいコイ釣ろう」

「頑張りましょう。すぐ釣れればいいんですけど」


 それからしばらく、釣り竿は揺れなかった。

 川の流れる音と、夕方の風が夏の暑さを紛らわせる。そんな情緒的なことを考えられるくらい、何も釣れる気配がなかった。さっきまで明るめの夕方だったけど、だんだんと夜が近づいている空になってきて、俺は石から立ち上がった。


「……本願くん」

「いや待ってください、もうちょっとだと思うんです……! さっき魚影も見えたので!」


 食パンを新しいのに変えたり、釣る場所をちょっと移動してみたりしていた本願くんの横に立つと、まだ名前を呼んだだけなのに本願くんは粘りを見せてきた。


「無理しなくてもいいのよ。俺がコンビニで夕飯おごるし」

「いや、竹原さんのお金に頼るわけには……。あっ!? これ、うわ、来ました! 引いてます!」

「えっ!? ホントに!? 待って、えーっと、網か! 網網!」


 俺は荷物のところに走っていき、魚用の網を掴むとまた本願くんのところに走って戻る。

 その間も本願くんは魚を引き上げようと格闘していた。


「おらぁ~!! あ、コイですよ! 見えます! 結構大きい!」

「マジじゃん! よし、俺がすくうから!」


 俺は靴が濡れるのも構わず浅瀬に足を突っ込んで、暴れるコイを網で迎えに行く。


「入れ! 大人しくしなさい! よしっ!!!」

「やったー! 大物ですよ!」


 網に入ったコイを河原に上陸させ、俺と本願くんはハイタッチをした。

 達成感と共にビチビチ暴れるコイをスマホで撮影していると、本願くんが先ほどまで俺が座っていた石を持ってきた。


「じゃ、絞めます」


 ──バゴッ!ゴッ!


「ひっ!」


 本願くんは石でコイの頭を思い切りぶっ叩き、俺は自分を抱きしめるようにして小さく叫んだ。コイは2、3度弱くびくついてから動かなくなった。


「これでOKです」

「……本願くんといると、命をいただくとは何たるかを学べるよね」

「では、捌いていきますよ」


 ポケットからカッターを取り出して、本願くんはまな板に乗せたコイの腹に突き刺した。ちょちょいのちょい、という刃捌きでコイの内臓と鱗を除去し、三枚におろしていく。


「ふう、大きいから体力使いますね。大体捌けたので味噌汁を作っていきます。まず鍋に川の水をくみまして……」

「え、川の水で大丈夫なの? 汚くない?」

「川の水は汚いですが、この後どうせ沸騰させてから食べるので#無問題__モーマンタイ__#」


 急に中国語を言ってから、本願くんは川の水入り鍋にコイの切り身を入れた。


「適当に煮て、味噌を入れたら完成です。出汁がコイから出るのでおいしいと思います」


 ぐつぐつとコイが煮えてきて、片付けをしている本願くんに代わって俺が味噌を入れて混ぜる。味噌の香りが食欲をそそって、唾が出た。


「本願くん、完成した!」


 呼びかけながら、うどん用のような大きさのお椀にコイ汁をよそう。身が大量に入っているので、かなり豪勢な汁物になっていた。


「わ~おいしそうですね!」

「食べよう食べよう。いただきます」


 本願くんにお椀と割り箸を渡して、まず汁を飲んだ。味噌とコイの出汁が出ていて、味噌汁というよりあら汁のような感じだ。


「味噌入れただけで本格的な味になっててうまいわ。コイの臭みはあんまり感じないんだね」

「ここの川は汚いは汚いんですけど、他の川に比べたらマシな方なので意外と魚がおいしいんですよ」

「へえ~結構いい川なんだ、ここ。んん、身も普通にうまい。食べ応えある」

「おかわりもありますよ」

「残りは山分けしよう」


 鍋の残りを俺と本願くんのお椀にそれぞれ盛る。それなりの大きさの鍋で味噌汁を作ったが、本願くんとふたりで程なくして平らげた。







 コイ汁を堪能して帰路につくと、河原からアパートまでの道のりはすっかり暗くなっていた。

 余ったコイの入ったバケツを片手に人通りもない道を歩いていると、前から男女2人が歩いてくるのが見えた。

 特に何も意識せず、本願くんとしゃべりながらすれ違おうとしたら、


「こんばんは。ハッピーコーポの竹原さん」

「へ?」


 男の方が話しかけてきて、隣の女はニコニコと笑っている。なんとなく見覚えがあった。男の手元を見て、そこにある冊子を見て、前に宗教勧誘に来たやつらだと思い出す。


「え、うわ、顔と名前覚えてんの怖っ! やめてくださいよ」

「救済にご興味は出ましたか」

「いや、出てないですよ。この辺縄張りなんすか? 俺は断ったんだから、もう来ないでください」

「ふふ、そうですか。ではまた」


 会話は成立しているようでしていない。全然俺の話を聞いていない返しをして、信者ふたりはお辞儀をして去っていく。


「はぁ、この辺ホント宗教勧誘多いよね。本願くんちも来るでしょ?ってあれ──」


 振り返ったら本願くんはいなかった。キョロキョロしてからスマホを見るとLINEが来ていた。


『すみません、宗教怖いんで先帰ります🥺』


 どうやら俺を囮にして、いつの間にかアパートに逃げたらしい。

 俺は『ひどすぎ🥺🥺🥺てかコイいらないから持ってって🥺🥺🥺🥺』とぴえんを何倍にも返して、余ったコイを渡すためにアパートに向かって走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る