浴衣

 肝試しを経ていろんな意味でドギマギした俺は、部屋に戻るとすぐに施設案内のファイルを開いた。

 風呂だ。

 とにかく風呂が気になっていた。先輩と廃墟であんな雰囲気になってすぐ、大浴場で裸の付き合いをすることになったらどんな顔で臨めばいいのかわからない。

 どうにか1人ずつ入る流れにできないかと画策しながら『入浴』のページを見ると、そこにはなんと。


「個室露天風呂!? え、ここ1人ずつ個室の露天風呂に入れるみたいですよ!」

「善本、そんなに風呂好きだったのか」


 一目散に施設案内を読み込んで突然デカい声を出した俺に、座卓の水を飲んでいた菩提寺が珍しいものでも見るような目を向けてくる。

 一方静先輩は敷かれた布団に大の字で寝て枕を乱しながら大きくため息を吐いた。


「え~マコトくんと一緒にお風呂入りたかったな~」


 すごい。ものすごく軽い言い方だ。

 さっきキスしそうだった場面で出していた雰囲気を帳消しにして、即刻普段の軽さを出せる先輩の切り替えの早さに関心してしまった。まだ意識がキス未遂に留まっている俺がおこちゃまなのだろうか。

 あのくらい、先輩にとっては取るに足らない出来事ということなのかもしれない。そう思ったら心がモヤッとするのを感じて、慌てて頭を振って曇りを晴らす。

 何にモヤッとしてんだ、俺は。


「お前、ほんとセクハラやめろよ」

「類は逆に別風呂で安心か? イタッ!」


 何やら兄弟がこそこそ言い合って菩提寺が静先輩を肘打ちしているのを横目に、入浴可能時間を確認する。


「うわ、あと1時間で閉まっちゃう。2人とも遊ぶのはあとにしてまず風呂に入ろう!」

「遊んでない」

「遊んでないよ」


 兄弟は仲良く同時に言い返し、同時に風呂の準備を始め、思ったより早く露天風呂へ向かうことができた。







 露天風呂でしかも個室というプレミアムな空間は、俺の疲れを癒し、感情の乱高下も落ち着かせてくれた。

 今ならもう先輩と部屋に2人きりになっても平常心でいられるなと自信を取り戻し、浴衣に着替えて部屋に戻る。

 引き戸を開けると、菩提寺が1人でスマホを見ていた。俺は結構長風呂だったと思うが、先輩はまだ入っているようだ。


「菩提寺、早いね」

「逆上せやすくてな。……胸元、はだけてる」


 顔を上げた菩提寺に指さされる。

 確かに緩い着方だったが、旅館の浴衣を着るといつもこんな感じになるのでこんなもんだと思っていた。


「浴衣ってどうしてもこうならない? 朝起きたらもっと酷くて脚も胸も丸出しに──」


 言いながら菩提寺を見ると全然はだけていなかった。同じ浴衣のはずなのに、襟元はきっちりと重なり、座っていても脚が露出せず着物を着ているかのようだ。


「……なってないね。どうやってそんなきっちり着てるんだ」

「コツを掴めば簡単。ちょっと貸して」


 立ち上がった菩提寺が俺の襟を合わせ直して整えてくれる。帯も結び直されて見てみると、すっかり上品な着こなしになっていた。


「すごい……菩提寺って日本の伝統を守っていける人材だ……」

「どういう褒め方なんだそれは」


 おかしそうに笑う菩提寺を見上げて、改めて背の高さを実感した。静先輩よりも大柄で、逆に内面は几帳面で丁寧だ。性格も顔も似てないけど菩提寺もカッコいいよな~と思っていると、笑みを消した目が俺を見下ろした。


「善本。……さっき、廃墟で静に何かされた?」

「え!? いや、なにも。あっ、悪霊が出て助けてはもらった、けど……?」


 唐突に聞かれて、風呂で気持ちを整えたはずの俺は情けないほど動揺してしまった。

 何もされていないと言えばされていないが、実の弟に「キミのお兄さんとキスしそうだったよ~。あくまで除霊の一貫だけどね?」などと白々しく話せるほど俺は図太くない。

 菩提寺は腑に落ちない様子で「……そうか」とだけ返して気まずい空気が流れそうになった時、部屋の引き戸が元気に開いた。


「お、2人ともなんで立ってるの」


 何も知らない静先輩が脱いだ服を小脇に抱えて入ってくる。

 浴衣を羽織って帯で止めただけのようなスタイルで、胸元も脚も既に出ていた。胸の傷跡が覗いているが先輩に気にする素振りはない。


「親近感のある着こなしですね」

「なにが?」

「肌見せるな。公然わいせつ野郎」

「え、当たり強くない?」


 何を言われても先輩に直す気はないらしく、先輩ははだけた浴衣のまま「あ~眠くなってきた」と寝転んで布団をかぶった。1番引き戸側の布団に寝そべったので、自然と俺が真ん中、菩提寺が窓側に座る。


「先輩。明日は何時に起きます? 午前中は観光するってしおりにありましたけど、どの辺行きますか。近場だと……先輩?」


 返事がない。

 返事どころか、先輩はぴくりとも動かなかった。顔を覗き込むと、瞼を下ろして穏やかな寝息を立てている。


「え……もう寝た?」

「こいつ異常なスピードで寝落ちするから」

「そ、そうなんだ……。俺、寝付き悪いからうらやましいな」

「なら、俺たちは眠くなるまで話すか? 合宿の醍醐味は夜更かしだろ」

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