3.
六年生の夏のことだった。
その年は雨が全然降らず、いつもなら川底の場所にも草が生い茂っているほどだった。Mちゃんがバケツとタモを持って俺んちを訪ねてきた。
「(俺)くん、川エビ採りに行こうや」
なんでも川の水が減って、素手でもエビが採れるポイントがあるそうだ。
「うどんセットにかき揚げつけたいんだって、お母さんが」
メニューは水田しコーヒーのみ、のこだわりオシャレカフェだったMちゃんちの店は、なし崩し的に定食やランチメニューも出すようになってた。Mちゃんちのうどんは旨いし、あとでごちそうしてくれるというから俺は手伝うことにした。
エビはそりゃもうざっくざく獲れた。
川エビ知ってる?スーパーで売ってるボイルエビそのまんまの形で小さくて透き通ってるの。素揚げにして塩振るとうめーんだよ。今だったらビールだな。
それはさておき俺たちは上機嫌だった。気がついたら山のはしっこの方がオレンジになりかけている。
バケツもエビと水でタプタプだし、名残惜しいけどそろそろ帰ろうかってことになった。
川沿いに行くうち、Mちゃんがふと立ち止まった。
「猫が鳴いてる」
え?と思って俺も耳をすましてみるけど、なにも聴こえない。気のせいじゃない?と俺はまた歩き出そうとした。あんまり遅くなると婆ちゃんが心配するし、それよりも香ばしいエビの素揚げが早く食いたかったんだ。
するとMちゃんは俺とは逆の方向に駆け出していってしまった。
一瞬あっけにとられたあと、重たいバケツを持って後を追う。
するとたしかに猫の声がした。
ふつうのニャー、ってんじゃなくて…ええと、たまにローカルニュースとかであるだろ?木の上に取り残されてすっごく必死に鳴き続けてる猫の映像。
まさにあんな感じだ。
さすがに俺もなんかヤバそうだな、ってあたりをキョロキョロした。
「あれ!」
見ると少し離れた草むらにMちゃんが立って、どこか指差している。
あれ、なんていうんだっけ?
大雨なんかのとき川の水を逃すためのプールみたいなやつ。調節池だっけ?
Mちゃんの指すほうには調節池があって、ほとんど溜まってない水の上に雑草が頭を出している。
土が溜まってるのか、ちょっと盛り上がって乾いたところでちっこくて小汚い猫がビャアビャア鳴いていた。
「バケツ見てて」
Mちゃんはそういうとまた駆け出し、背の低い柵を乗り越えて池へ降りていってしまった。
思い切ったことするなあ、と俺は躊躇していた。
だって柵があるんだから入っちゃダメだってことだろ?でもMちゃんはどうしても子猫を助けたかったんだろうな。
Mちゃんの白い靴を水がピタピタ濡らしていたのを、何故かよく覚えている。
降りていったはいいものの、彼女は立ち止まってあたりを見回すばかりだ。
俺はあれ?と思った。依然鳴き声はうるさく聴こえ続けている。
だけどいつのまに見失ったのか、猫の姿はどこにも見えない。
「ねー、上から見えない?」
Mちゃんの問いに俺は首を振った。草の間に隠れてしまったんだろうか?
Mちゃんは口をつぼめ、ちっちっちっと小鳥か鼠のような音を出しながら探している—関係ないけど、あれってほんとに猫を呼ぶ効果あるんかな?
そのときの俺も似たような疑問を抱いたのか、わずかの間池から目を離していた。いつのまにかその音が聞こえなくなってるのに気づいてふたたび目をやると—
Mちゃんの姿が消えていた。
いや、そう思ったのは一瞬だ。Mちゃんは水たまりの上に倒れていた。
何回か名前を呼んだと思う。
でも離れた場所からじゃぜんぜん状態がわからなくて、ぴくりとも動いてみえないから俺はパニックになった。
今思えば急いで大人を呼びに行くべきだったんだろうけど、動転した小学生にはそんなこと思いつかなくて—ていうか、怒られるのが怖かったんだろうな。
早く起こしてあげないと服が泥水で汚れちゃう、とか、変な考えが頭をぐるぐるしてた。
俺はあわてながら柵を乗り越え、Mちゃんのところへ向かおうとした。
池の底は草がぼうぼうに生い茂って、おまけに足元は水浸しで思ったよりずっと歩き辛い。
Mちゃんの小柄な体は草の間に隠れてしまって、俺は泣きそうになって名前を呼び続けた。
ようやくうつぶせの彼女を見つけ駆け寄ろうとしたとき、俺はひどい頭痛に襲われた。
つづいて、でっかい手で鼻と口を押さえられたみたいな苦しさとめまい。
あれ、なんかこの感じ身に覚えが…と考えて、ああそうだ、両親と車に乗ったあの時の——と思い至る。
え、じゃあやべえじゃん。
そう思ったときはもう遅くて、Mちゃんを助けるどころじゃなく俺は気を失ってしまった。
倒れる寸前黒っぽくて背の高い影を見たような気がする。
なんだおっさんいたんじゃん、早く助けてよ、と思った気がするけど、どう考えても大人がいるわけないし、子供二人がそんなことになってるのをぼーっと見てるのもおかしいんだよなあ。
だからたぶんあれは混乱した頭で見てしまった幻覚なんだと思うけど。
……で、どれくらい経ったかわからないけど、俺は病院で目を覚ました。
一瞬、またあの時の病院かと思ったけどそんなわけないよな。
からになった池の底に悪いガスが溜まってたんだって、俺はなんとか死にそうなのを助かったんだって先生が言った。
—「俺は」?
そういえばMちゃんの姿がなかった。
聞いてみたら案の定だった。Mちゃんは助からなかったんだって。
事情を知らない看護師さんや先生は後遺症も残らなかったことをよかったと言ってくれたけど、いや……さすがにキツかったわ。
呪いが本当かどうかなんてもういいんだけど、俺の存在そのものが人を不幸にしちまうんだなって。
わかったわかった、わかったよ、もう友達なんて作らない。
誰のことも好きにならなきゃいいんだろ、俺が末代だよ、これで満足かって、入院中は毎日トイレに隠れて泣いてた。
Mちゃんの両親は君のせいじゃないって言ってくれたけど、いっそムチャクチャに責めてくれたほうが気持ちが楽だったろう。ふたりはじきに店を畳んで越していってしまった。
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