第二十四章|ふたりの朝
静かな海を背に、ふたりはまだベッドに寄り添っていた。
ふと、冷えたシャンパンの存在を思い出す。
カルミネがグラスに注ぐと、泡が静かに立ちのぼった。
カルミネが小さく笑う。
「乾杯のタイミング、遅れたな」
「何に乾杯する?」
レオはグラスを傾けながら答えた。
「……悪くない夜に」
カルミネが、身を寄せて囁いた。
「悪くない、じゃなくて――最高だろ?」
レオは照れ臭そうに笑い、グラスを合わせた。
「……最高の夜だ」
カーテンの向こうが、少しずつ明るくなっていく。
カルミネはふと、シーツの隙間に目を落とした。
夜は気づかなかった――
褐色の肌の上、腿の付け根に白く残る銃創。
鍛え抜かれた身体のなかで、
そこだけが静かに生の痛みを語っていた。
カルミネは無意識に指先を伸ばした。
レオは、止めようともしなかった。
指が触れる。
ざらついた皮膚の感触。
そこに流れてきた時間のすべてが、
わずかな熱とともに伝わる。
「……これか。ファビアーニに撃たれた」
レオの声は穏やかだった。
カルミネの瞳が細くなる。
「一歩間違えたら命を落とす場所じゃないか。
アイツ、いまも服役中だろ。出てきたら俺が――」
「やめろって。」
そう制しながらも、唇の端がかすかに上がる。
「こんな際どいとこ、裸にならなきゃ見えないだろ?
……お前だけの秘密な。」
カルミネは目を背け、静かに息を吐いた。
そんな軽く言うなよ――そう思いながら、
同時に、生きていてくれてよかったという言葉が
喉の奥で溶けていく。
シャンパンの泡はもう消えていた。
窓の外で、朝の光が静かに広がっていく。
レオはそっと微笑み、カルミネの肩に額を寄せた。
「……少し、寝よう?」
そのまま唇が触れる。
朝の光の中で、夜よりも穏やかなキス。
カルミネは苦笑した。
「お前、こんな甘いやつだったのかよ」
レオは目を閉じたまま、
わずかに口角を上げた。
「俺が甘党なのは、知ってるだろ。」
カルミネは天井を見たまま、続けた。
「お前は……俺を知ったら、離れていくんじゃないか」
「お前が知ってる俺は、ファイルの中の俺だ。
あんなもん、氷山の一角だ。
この先、本当の俺を知ったら――きっと離れていく」
肩を包む腕が、かすかに強くなった。
レオは笑いもせず、真っ直ぐに答えた。
「なぁ、二人、年取ったら……またここで会う約束、しないか?」
レオの腕の中で、カルミネが横を向き、ゆっくりと笑う。
「……そんな約束、守れると思うのか?」
「思ってるから言ってるんだ」
レオの言葉に、カルミネは何も返さず、ただ
そっと頭を寄せて目を閉じた。
窓の外で、波がゆっくりと音を立てた。
海も街も、まだ眠っている。
ただふたりだけが、静かな朝の中にいた。
日が高く登り、部屋に温かな日差しが差し込む頃、
カルミネはゆっくりと目を開けた。
シーツの上を探る。
隣の場所――温もりが、もうほとんど残っていなかった。
上体を起こし、思わず部屋を見回す。
「……レオ?」
返事はない。
カーテンの揺れる音と、遠くの船の汽笛。
胸の奥が、不意にざわつく。
その時、
隣の部屋の扉が開いた。
身支度を整えたレオが姿を現す。
「起こしたか」
低く、いつもの声。
カルミネは一瞬、言葉が出なかった。
それだけで、胸のざわめきがゆっくりと静まっていく。
(なに、焦ってるんだ、俺は)
レオは微笑んで、時計に視線を向けた。
「そろそろ行かないと」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ締まる。
カルミネは何も言わず、シーツを握った。
レオが近づき、
カルミネの頬にそっと唇を触れさせる。
短く、静かなキス。
別れの合図のように。
「……次はディナーでもどうだ?」
その一言を残して、レオはドアへ向かう。
カルミネはその背中を目で追いながら、
小さく息を吐いた。
「……甘過ぎってぇんだよ」
思わず自ら吐いた言葉に、カルミネは頭を抱えた。
ドアの前で、レオが一瞬だけ振り向く。
「ん?」
「……なんでも、ない。」
カルミネは視線を逸らし、手で髪をかき上げた。
レオは小さく笑って、何も言わずに出ていった。
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