第十九章|最終日の静寂—国際サミット—

三日目の朝。

ホテルには、緊張と高揚が入り混じった空気が漂っていた。


国際サミットは、成功裏に幕を閉じようとしていた。

各国代表たちの表情も、わずかに安堵の色を帯び始めている。


レオナルド・フィオーレ――DIA特別任務付き主席捜査官。

今回は、国際対策チームの一員として現場の警備計画にも深く関わっていた。


会議期間中、レオは主要ルートの巡回指示と要人の動線確認を任されており、

実質的な現場統括のひとりとして働いていた。

 


(――今日で、終わる)

無線に耳を傾けながら動線を確認する。

表情は冷静そのものだったが、

胸の奥では、昨日の午後の出来事が、まだ微かに燻っていた。


だが、今はプロとして――

誰よりも冷静でいなければならない。


レオは、静かに目を閉じ、一度だけ深く息を吸った。


 


その日の午後、会議は滞りなく閉幕した。

夜。

レセプション会場は、祝賀ムードに包まれていた。



シャンパンの泡。

ドレスのきらめき。

交わされる祝辞と握手。


誰もが、成功の余韻に酔っていた。



そのなかに――

完璧なタキシード姿のカルミネ・ロッソも、いた。


そのなかに――

完璧なタキシード姿のカルミネ・ロッソも、いた。


各国の使節団に笑顔を向け、

シャンパングラスを手に、流暢な英語とイタリア語で談笑している。


その立ち居振る舞いは、かつての“カルロ・ロッセリーニ”と変わらない。

だが今は、その静けさの奥に――迷いのない強さがあった。


今夜、カルミネの傍らにエリオの姿はなかった。

もう、目的は果たしたのだ。

“裏”の顔を、“表”の顔として知らしめる――それが、この舞台での最大の成果だった。


滑らかな微笑みの奥に、今も確かに――刃を忍ばせる男。


誰も、その本性を見抜くことはできない。



レオは、ホールの隅からその姿を見つめた。


(……これが、カルミネ・ロッソ)


国家をも、法律をも、軽やかにすり抜ける存在。


そして――

レオが、誰よりも心を奪われた男。



ほんの一瞬。

カルミネが、グラス越しにレオへ視線を送った。


誰にも気づかれない、刹那の交差。

その瞳は、誰にも気づかれないまま、ただひとりにだけ語りかけていた。


「……俺を見失なうなよ」


レオもまた、微かに頷く。


それは、誰にも読めないほどさりげない、

けれど限りなく深い、応えだった。


その後、

カルミネは、まるで何事もなかったかのように別の外交官たちと談笑を続け、

レオも無線に応答しながら、次の巡回へと歩を進めた。


ふたりは、言葉を交わさなかった。


ただ――



心だけが、確かに触れ合っていた。


世界の喧騒のなかで。


それぞれの立場のままで。


それぞれの孤独のままで。


 


翌朝――

国際サミットを終えたばかりのホテルの一室では、DIAの非公式ブリーフィングが静かに行われていた。


レオ・フィオーレ主席捜査官のもとに集まった数名の精鋭たちは、全員が昨夜の出来事を噛み砕こうとしていた。


「……あれが、“カルミネ・ロッソ”。間違いないんですね?」


若手捜査官の呟きに、場がわずかに沈黙する。


「公式記録には名前すら残っていない。なのに、各国の要人たちは自然に彼を受け入れていた……」


「完璧な偽装と法の抜け道。だが、彼は堂々と、“裏”の匂いを残さず歩いていた」


「我々より一手も二手も先を行っていたってことですか……?」


誰かがそう呟くと、全員が黙った。


カルミネ・ロッソ――

名前だけで震え上がるはずの男が、国際政治の舞台に“合法的”に入り込み、

何事もなかったように主導権すら握っていた。


圧倒されたのは、DIAの方だった。


「……まるで、国家すら“手駒”のように扱っているようだった」


誰かの冷静な分析に、レオは小さく頷いた。


「その通りだ。だが我々は、その存在を認識できた。それだけでも前進だ」


レオの言葉は、いつものように冷静で、揺るぎなかった。


DIAの面々にとって、レオは常に“完璧な職務遂行者”であり、

今もまた的確な判断で場を締めているように見えた。


誰も、彼の表情に違和感など見出さなかった。



それでも、カルミネ・ロッソという名が残した影は、

この場の光さえも覆い隠してしまうのでは――


そんな呟きが、捜査官のひとりから零れた。


レオは答えなかった。

胸の奥で、その“影”がどれほどの熱を帯びているかを知っているのは、自分だけだった。


ただ、淡々と次の指示を出し、報告資料を閉じた。 


「全員、帰国準備に入れ。報告は本部経由で行う」


そう告げて立ち上がるレオの背に、誰も疑いの目を向ける者はいなかった。


ただひとり、若手捜査官ルカだけが――

去っていく背中を、ふと目で追っていた。


ルカはわずかに眉をひそめ、低く呟いた。

(……今、あの人が、誰かの名を背負っているように見えた)

理由もなく胸に残ったざらつきを、ルカはただ飲み込むしかなかった。


だが、

ひとつの影が、この作戦の裏に確かに残されていた。


──カルミネ・ロッソ。

国家でも、法律でも止められない、未知数の男。


そして、彼と“何かを共有していた”主席捜査官。


ただそれだけが、誰にも言語化できないまま、

小さな“違和感”として胸に残っていた。

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