第十六章|再会 ― 光の裏で ―

それは決して間違いではない選択だった。正義の名のもと、職責を全うする――それがレオナルド・フィオーレという男の本分だ。


それでも時折、思ってしまう。

もし、彼がいなければ。もし、出会っていなければ。こんなにも胸が、痛むことはなかった。


誰にも言えない、答えのない思いが胸の奥で沈黙したまま、ただ静かに、深く、沈んでいった。


日差しの柔らかな午後。任務の合間、レオは小さな公園のベンチに腰を下ろしていた。エスプレッソを片手に、淡く差し込む陽射しを眩しそうに見上げる。


数日前のニュースでは、カルロ・ロッセリーニの名がまた流れていた。

難民支援、国際財団、慈善活動――表では、まるで光の化身のように。


だがその裏で、別の名がひっそりと動いていることも、レオは知っていた。

カルミネ・ロッソ。闇を支配し、誰にも姿を見せず、必要とあらば一夜で秩序を塗り替える男。


“生きている”と確認できるだけで、十分だと思っていた。

それでも、胸の奥のどこかがざわめく。


(……俺に、くれたんじゃなかったのか)


思わず、乾いた笑いが漏れる。

あの夜の言葉は、嘘じゃなかった。けれど結局、あいつはその命をまた“世界”のために使っている。


──そんな生き方しか、できない男だ。


──そのときだった。


空気が、ふと冷たくなった。春の日差しの中に、場違いな緊張が走る。肌をかすめた風が、まるで警告のようにざわつく。


レオは反射的に、隣へと視線を向けた。


……いた。


その姿を見た瞬間、肺が一瞬だけ動きを忘れた。

呼吸が戻るころには、胸の奥が熱を帯びていた


そこにいたのは、地獄の番人のはずなのに、まるで天使のような顔をした美しい男、カルミネ・ロッソ。


「……あの“隣の財団”、やけに動きが良かったろ? 偶然って、怖いな」


皮肉めいた笑みを浮かべるカルミネ。


レオは目を細める。


「……まさか、お前が絡んでたって言うのか?」


「いや、言ってない。……だから、その鋭さ、隠してくれ。俺が危なくなる」


乾いた冗談のように響いたが、その奥には――微かな緊張と、にじむ孤独があった。


レオは、わずかに声を落として返した。


「……お前が“今回は”絡んでないなら、問題ないだろ」


カルミネは何も言わず、静かに笑った。

だがレオは、その笑みにほんのわずかな“間”を見た気がして――胸の奥に、冷たいものがひとつ沈んだ。


(……もし、逆だったら? “見逃していた”のは、俺のほうか)


エスプレッソの苦味が、不自然に口の中に残った。


しばらくの沈黙のあと、カルミネがエスプレッソの紙カップを横目で見ながらぽつりと呟いた。


「……また昇進とは。さすがだな」


「誰から聞いた」


「誰でもいいだろ。……俺は知ってる。ただ、それだけだ」


ふたりのあいだに、言葉にならない空気が流れる。ベンチの上に、エスプレッソと、沈黙。風が通り抜け、カルミネの髪が揺れた。


そのとき、カルミネがレオのカップをちらりと見て、ぼそりと呟く。

「……相変わらず、角砂糖は三個なんだな」


レオは、思わず吹き出しそうになった。

「……そんなの、覚えてるのか」


「毎週、見てたんだ。……見逃すわけないだろ」


冗談のような口調。

けれど、その言葉の奥に、長い時間を経ても消えないものが滲んでいた。


レオの指がわずかに止まる。

ほんの一瞬の沈黙――だが、その一拍で、過去の断片を正確に呼び戻していた。


レオは、少しだけ口の端を上げた。

「……火曜と金曜か?」


カルミネがわずかに目を細める。

「……覚えてたのか。俺も、まだまだだな」


レオは何も言わず、カップの縁を指でなぞった。

ただ、それが答えだった。


 

カルミネが視線を落としたまま、低く言った。

「……また、遠くへ行くな」


その声音には、いつになく素直な響きがあった。


レオは少し息を吸った。視線は合わせないまま、まっすぐ前を見て――静かに言葉を落とす。


「……お前の側に、いたいと思っている」  


この二年で、何度も思った。

この距離が“正しさ”なのか、それとも“逃げ”なのか。

答えは、いまだ出ていない。

それでも、嘘でもなく、誓いでもなく、ただ願いだった。


一瞬、カルミネの喉が動いた。小さく息を吐き、苦笑にも似た声が零れる。


「……そんなことを、サラッと言うなよ」


一拍。息を飲む音。


カルミネはそっと立ち上がると、レオにだけ聞こえるように囁いた。


「……手加減は終わりだ。世界も、そしてお前も。

すべて、この手で奪い尽くす」


カルミネが背を向ける。

レオは動かない。

ただその背を見つめながら、

カップを指先で軽く回し、残りのエスプレッソを口に含んだ。


苦いだけ。

けれどその苦味の向こうで――、世界が、静かに蠢き始めていた。

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