第十五章|特別任務 ― 天と地のあいだで ―

──二年後

某国際経済フォーラム開催地・ローマ。


ローマ中心街。午前の光が石畳を照らし、警戒の無線だけが冷たく響いていた。


警護対象:欧州要人・金融当局関係者

任務責任者:DIA主席捜査官レオナルド・フィオーレ


ヨーロッパ各国の治安・財務当局が集う国際フォーラム。

表向きは華やかな外交の舞台。だが、その裏では麻薬資金や不正送金が静かに行き交う。


その流れを止める――それが、DIAの役割だった。


「DIAローマ本部の主席捜査官、レオナルド・フィオーレです」


会場入り口で身分を示すと、瞬時に数人の視線が集まった。

重厚なスーツに包まれた男たちの眼差しが、わずかに緊張を含む。


一瞬の間――それだけで、彼の名が持つ圧が伝わる。


レオは鋭く辺りを見渡す。表の顔と裏の意図を同時に嗅ぎ取るその眼差しは、常に氷のように冷静だった。


数日前、DIA本部に届いた匿名通報。

「フォーラム期間中、仮想通貨を利用した巨額マネーロンダリングが計画されている」

差出人不明、証拠なし。


しかしレオは即座に動いた。


偽名で登録された送金口座を突き止め、関連の疑いがある企業名をリストアップ。参加ブースの並び順、出入り業者の記録、接触ログ――あらゆる“見えない動線”を洗い出し、現地に独自の監視網を築き上げた。


──それは、もはや「読み」ではなかった。圧倒的な“予見”だった。


その夜。ホテルの作戦本部。

モニターの光が室内を青く染め、誰もが息を詰めていた。


「……フィオーレ、監視班から報告。ノルウェー代表と東欧企業の間に、予定外の動き」


「顔を確認しろ。データベース照合、通話記録も取れ。部屋に戻る導線は全変更だ」


指示は静かに、的確に。レオはモニターの一画を見つめながら、わずかに表情を動かした。


「……やはり来たか」


直感ではない。論理と分析の先にある確信だった。

彼の前では、わずかな綻びすら計画の崩壊へとつながる。捜査官というより、もはや“狩人”だった。


──翌日。会場内。


レオは単独で警護ルートの視察を行っていた。

それはただの警備確認ではない。前夜からの監視ログと出入り記録をすべて脳内に叩き込み、“不自然な気配”を探っていた。


ふと、すれ違った男がいた。ビジネススーツに主催者パス。

だが、レオは歩を止め、背を向けたまま通信を入れる。


「至急、今すれ違った参加者のID“B-7491”を照会。……目線の高さ、歩幅、靴の型。関係者パスにしては情報過多だ。調べ直せ」


数十秒ののち、通信が戻る。


『……そのID、今朝の時点で失効しています。正規の登録者は出国済み』


レオの視線が鋭くなる。


「……裏を回られたか」


即座に追跡班を移動させ、自らも階段を駆ける。会場裏手の非常口へ――


扉を開けた瞬間、逃走を試みていた男が肩越しに振り返った。

次の瞬間、レオの足が跳ねる。男が拳銃に手を伸ばすより早く、片膝で押さえ込み、腕を背後にねじ上げた。


「DIAだ。動くな」


その場で確保された男のバッグには、偽装スマホ数台と仮想通貨ウォレットの鍵情報、そして複数の国外送金スケジュールが記録されていた。


すべてが繋がった。裏金ルート、企業ブース、仮名口座、そして逃走経路までもが。


「……読まれていた、ってことか」


そう呟いた監視班の声に、レオは無言で通信を切った。

事件は、未然に防がれた。


表彰も、称賛も、舞い込んできた。だがレオはただ一言、「任務です」とだけ答えた。


それでも、張り詰めた感覚は簡単には消えなかった。

数日が過ぎても、あの現場の光と音が耳に残っている。


そして今日、報告を終えた彼は局長室に呼び出された。


「……レオナルド・フィオーレ。君を“特別任務付き主席捜査官”として正式に任命する」


レオは敬礼を交わし、静かに頷いた。

拍手が響いたが、音はどこか遠く感じられた。

肩書きが増えるたび、見える景色は変わる。

だが、すべてを手に入れられるわけじゃない。


天に近づくぶん、地上の誰かが遠ざかっていく気がした。

その痛みも、もう受け入れるしかなかった。

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