第十四章|すれ違うひとひら ― 同じ空の下で
DIA本部・ローマ。
朝の会議を終えたレオナルド・フィオーレは、紙カップのエスプレッソを手にフロアを歩いていた。
壁際のモニターには、ニュース映像が流れている。
「次のニュースです。ローマ近郊の難民支援施設に多額の寄付を行ったとして、国際慈善団体“ロッセリーニ財団”の代表、カルロ・ロッセリーニ氏が感謝状を授与されました──」
すれ違った同僚がふとモニターを指差し、呟く。
「この人、何者なんだ? 出自も曖昧で、昔の情報がほとんどないってさ」
「顔だけじゃなくて、腕も立つって話だ。確か元は投資家?」
「いや、資産の出どころが不明なんだよ。それなのに政界や財団との繋がりは強い。“天使か悪魔か”って、記事で書かれてた」
「……でも、綺麗な顔してるよな。あれは男でも見惚れる」
「……あんな顔で見つめられたら、俺、堕ちるかもな」
──その言葉に、レオは思わずエスプレッソをむせかけた。
「……っ」
「おい、大丈夫か?」
「……ああ。ちょっと熱かっただけだ」
咳払いをしながら視線を外す。
──だが頭の奥では、あの夜の記憶が生々しく甦っていた。
背中の傷に触れた温もり。
そのすべてを知っている自分が、今、冷静な顔でそのニュースを聞いている。
(……ふざけんな、ロッソ)
思わず、唇を噛みしめた。
ローマ中心部。サン・ロレンツォ広場。
週末の午後、イベント用のステージが仮設され、人々が行き交う。
小規模な人道支援キャンペーン。そのオープニングセレモニーの壇上に立っていたのは──
カルロ・ロッセリーニ。
まっすぐに群衆を見渡して語る。
滑らかで簡潔、そして感情のこもったスピーチ。
その余韻が残るなか、拍手が広場に広がっていく。
カルロの視線が、ふと遠くの人波を横切った。
──いたかもしれない。
広場の隅、人々の陰に紛れるようにして立つ男。
ブラウンのコートの襟を立て、ステージを見上げていた。
(……来てしまった)
DIA主席捜査官、レオナルド・フィオーレ。
あくまで確認のため、職務のため――
そう自分に言い聞かせながら、視線はただ、あの男を追っていた。
……本当は、その姿をただ見たかったとしても。
数分後。
群衆の中で、いつの間にか隣に並ぶ気配があった。
「……来たのか」
その声に、視線を向けなくても分かった──エリオ。
「お前こそ、こんなところにいていいのか?」
レオが低く問うと、エリオはわずかに口元をゆがめる。
「へぇ……俺の心配までしてくれるようになったのか」
「心配じゃない、警告だ」
レオの声は低く、抑制されていた。
エリオの素性は掴んでいる。
ロッソのNo.2。
カルミネの代わりに“表”を歩く男。
DIAの主席捜査官とマフィアの幹部――
すれ違うだけで、緊張が走るのは当然だった。
エリオは一瞬、何も言わずにレオを見た。
わずかに笑って、低く言う。
「……ローマに来ると、ボス、少し落ち着かねぇんだ。お前の幻ばかり追ってる。」
一拍おいて、言葉を継いだ。
「……お前に知らせたかった。それだけだ。」
そう言い残して、エリオは群衆の中に紛れ、姿を消した。
レオは返事をしないまま、その背を見送る。
振り返ることなく、エリオもまた群衆に溶けていった。
⸻
夕刻。イベント終了後。
人々が散り、仮設ステージの片付けが始まる。
会場前には数台の高級車が停まっていた。
カルミネ──いや、カルロは最後の挨拶を終え、黒塗りの車に乗り込む。
運転席にはロッセリーニ財団の若手。
ドアが閉まる、その前に──カルロは、わずかに広場を振り返った。
あの姿はもうない。
だが──確かに、来ていた。
思わず口元が緩む。
これまで見たことのない表情に、運転席の若手が思わず目を見張る。
そして、なぜか頬がじんわり熱くなった。
「……なんだ?」
カルロが視線を戻すと、若手は慌てて前を向き、
「い、いえ……」と小さく答える。
エンジンが静かにかかり、車は夕暮れの街へ溶けていった。
その数十メートル先。
群衆の去った歩道の陰で、レオは静かに立ち尽くしていた。
ポケットに手を入れたまま、視線だけで車のテールランプを追う。
カルミネは、一度も振り返らなかった。
彼の世界には、もうレオの姿はない。
けれど──レオの視線だけが、確かにその背を見送っていた。
赤いテールランプが角を曲がり、光が消える。
レオはしばらくその場に立ち尽くしたまま、
ふっと息を吐き、コートの襟を立てて歩き出す。
夕陽は傾き、街に夜が降り始めていた。
──すれ違うひとひらの温もりだけを、胸に残して。
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