第四章|船上の密会、交差する運命
地中海を進む豪華客船。
その甲板には、世界中から集まった富豪や政治家たちが集い、
優雅なパーティーが催されていた。
表向きは、慈善事業のための国際交流会。
だが、その裏には利権と闇取引が絡み合う影が存在していた。
⸻
レオナルド・フィオーレ――DIA主任捜査官。
上層部からの信頼も厚く、極秘任務としてこの船に潜入していた。
標的は、バルベーラ・ファミリーの幹部たち。
彼らがこの船上で裏取引を行うという情報がもたらされたのだ。
(……奴らがここにいるなら、証拠を掴むチャンスだ)
レオは船内の長い廊下を歩きながら、周囲に注意を払っていた。
豪華なシャンデリアが天井から輝きを放ち、
磨き上げられた大理石の床が足音を吸い込むように静かに響く。
(……この船に、カルミネ・ロッソも乗っているのか?)
警備名簿には「カルロ・ロッセリーニ」の名があった。
慈善財団の若き理事長として知られる人物。
だが、その正体が――
ナポリを拠点にするマフィア組織のボス、カルミネ・ロッソであることを、
レオはすでに知っていた。
(……だが、あいつが本当にここにいるなら……)
レオの脳裏に、ミラノでの視線が蘇る。
あの瞬間、ただの犯罪者とは違う何かを感じた。
それは、今も彼の胸に残る違和感だった。
その時――
レオが曲がり角に差しかかった瞬間、
ほぼ同時に、別の足音が近づいてきた。
そして、次の瞬間、彼は目の前で立ち止まる。
目の前に立っていたのは――カルミネ・ロッソだった。
一瞬、互いに目を見開いた。
レオが息を呑んだのと同時に、カルミネもまたわずかに瞳を揺らす。
あの冷徹な仮面が、ほんの一瞬だけひび割れたように見えた。
(……なぜ、ここに)
(……まさか、お前が)
しかし、その驚きは一瞬で霧散し、
カルミネの表情はすぐに冷静なものへと戻った。
だが、次の瞬間、背後から重く規則的な足音が近づいてくるのに気づいた。
DIAの部下たちだ。
(……まずい)
反射的に、レオは腕を伸ばした。
カルミネの手首を、強く握る。
そのまま近くの柱の陰に引き込み、背中を壁に押しつけた。
自分の身体を盾にして、その前に立ちふさがる。
カルミネがわずかに眉をひそめたが、声は発さない。
その目には、わずかな戸惑いが垣間見えた。
レオはその前に立ちふさがり、あたかも何事もなかったかのように振る舞う。
カルミネが低く息を吐くように囁いた。
「……こんな場所で、お前に会うとはな」
その声に、微かな笑みが混じっている。
一瞬だけ、互いの視線が絡む。
レオもまた、胸の奥で跳ねる鼓動を抑えながら、わずかに口元を歪めた。
「黙ってろ。」
カルミネの瞳がわずかに細まる。
その反応は、驚きにも似た、一瞬の揺らぎ。
だが、次の瞬間、その目には別の光が宿った。
興味、あるいは探るような冷たい視線。
(……こいつ、楽しんでいるのか?)
レオの指がわずかに強張る。
冷たい感触が互いの皮膚を通して伝わるその瞬間、
カルミネはほんのわずかに口元を緩めた。
その表情は、危機の中にあっても、
なお遊び心を忘れない捕食者のようなものだった。
⸻
部下たちの足音がさらに近づく。
一人の捜査官がレオに声をかけた。
「主任、いましたか?」
レオは一瞬、息を止めた。
冷静であれ、と自らに言い聞かせながら、視線をわずかにずらす。
「……いや、いなかった」
言い終えた瞬間、喉の奥が冷えた。
――今の一言で、線を越えた。
咄嗟だった。偶然の鉢合わせに、頭より先に身体が動いた。
どんな時も冷静であるはずが、この瞬間だけは違った。
本能だった。
突き出すでもなく――匿ってしまった。
だが、ここで迷ってはいけない。
レオはすぐに言葉を続けた。
「この船はもうすぐ出航する。お前たちは下船しろ。港をもう一度洗え。」
「しかし、主任……」
「いいから下船しろ。ここは俺が確認する」
強引に命じ、部下たちは戸惑いながらも足音を遠ざけていく。
やがて静けさが戻ると、カルミネはわずかに口元を緩めた。
「……隠すとは、な」
その一言が、レオの胸に突き刺さる。
まるで、自分の迷いを見透かされているかのような瞳。
(なぜ、俺は……)
冷たくあるべきその手が、今もわずかな温もりを残している。
その感覚が、レオの胸をざわつかせた。
なぜこんなことをしているのか、自分でもわかっていなかった。
ただ――あの夜、報告書や噂の中の“怪物”とは違う顔を見た気がする。
それを、もう一度確かめたかった。
⸻
やがて、船が沖へと滑り出す頃。
船体がわずかに震え、桟橋の気配が遠ざかる。
――戻れない。
レオがそう理解した瞬間、カルミネが問いかける。
「で? 部屋はあるのか?」
「……ない」
レオが苦く答えると、カルミネはふっと笑う。
「ついてこい」
⸻
案内された先は――
船の最上階、スイートルームだった。
高級な調度品が並び、広々としたキングサイズのベッド。
その先には夕陽に彩られた広いバルコニー。
波の音が、ガラス越しに響いていた。
カルミネはドアを閉めると、無言のままジャケットを脱いだ。
その動作はあまりにも自然で、どこか隙がない。
だが、その背中には、言葉にならない“孤独”が滲んでいるようにも見えた。
「三泊四日の航海だ。
付き合ってくれて、ありがとう——
拒否されなかったことに、だ」
そう言って、カルミネは窓を開け放ち、海風を浴びた。
緩やかな波を描く長い髪が、風にほどけるように揺れ、
その姿はまるで絵画のようだった。
その一瞬、レオは目を逸らすことができなかった。
(……こいつ、何を考えている)
だが、カルミネは振り返らず、そのままシャワールームへと消えていった。
シャワーの音が響く間、
レオは部屋の片隅で、居場所を持てずに突っ立っていた。
広すぎる空間が、かえって彼の緊張感を煽っているようだった。
やがて、シャワーの音が止んだ。
カルミネが姿を現す。
濡れた髪をタオルで拭きながら、白いシャツのボタンを留めていく。
一つひとつの動作は無駄がなく、完璧に整っている。
それなのに、どこかに疲労と孤独が滲んでいた。
レオは思わず目を逸らした。
(……まずい)
見てはいけないと思った。だが、遅かった。
カルミネが、ふっと微笑む。
「……見られるのは慣れているはずなのに」
わずかに笑う。
「君の目は、厄介だな」
「見てねえよ」
レオが反射的に言い返すと、
カルミネはさらに笑みを深めた。
「ふうん?」
その視線は、まるでレオの内心を探るような、
冷たくも熱を帯びたものだった。
その視線を避けるように、レオは窓際に歩み寄り、
外の景色に目を向けた。
だが、ガラスに映る自分の姿の背後に、
まだカルミネの視線があるように感じた。
「……お前も、疲れるだろうな」
カルミネが突然、低く呟いた。
「……何がだ」
「常に“正義”を貫こうとするのはさ」
レオは振り返り、その言葉の真意を探るようにカルミネを見つめた。
だが、カルミネはすでにバルコニーに歩み寄り、
海風を浴びながら、ただ遠くを見つめていた。
「……それでも——」
レオは、その先を飲み込んだ。
その沈黙が、二人の間に微妙な緊張感を生む。
波の音だけが部屋を満たし、その静けさがかえって心をざわつかせる。
やがて、カルミネはゆっくりと振り返り、
レオに向かって一歩踏み出した。
その視線は、先ほどとは異なる、
どこか試すような冷たい光を帯びていた。
「……君も、今夜は仮面を被る覚悟をしておけ」
「……仮面?」
レオが眉をひそめると、
カルミネは意味ありげに口元を緩めた。
「この船のパーティーは、ただの“慈善事業”じゃない。
今夜、この場所で生き残るためには、
役割を演じ切ることが必要だ。……どんな役でもな」
その言葉に込められた冷たさが、レオの胸に突き刺さる。
だが、その瞳の奥には、どこか儚さも感じられた。
カルミネは電話を手に取り、短く何かを注文し終えると、レオに視線を戻した。
「タキシードとヘアメイクを。
君は持っていないだろうから、最上級のものを用意させる」
その視線は、
まるでレオを“仕立て直す”つもりでいるかのようだった。
「仕立て直される覚悟を、しておけ」
その言葉に、レオの胸がかすかに熱を帯びた。
──その瞬間、
彼は“捜査官”としての立場を、
誰かに預けてしまった。
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