第4話 反社組長長女の稀有な不幸体験
千尋は、不思議に思った。
静奈は、クラスメートが洋服を貸してやるという誘いを断ったばかりにそのグループから総スカンをくった。
それじゃあ、返せなかったらどうなるのだろうか?
千尋は、慰めるように静奈に言った。
「まあ、金や物の貸し借りなどトラブルの原因だというわ。
友達に金を貸すということは、金と友達とを両方失うというわね。
いくら友達の方から、実印、返済期日入りの借用証書を差し出されても、そんなものは意味がないとはいうわ」
静奈はひらめいたように言った。
「そういえば、結衣が父親である田代組長に、友達に8万円貸して返してくれないと訴えたの。
そうすれば、田代組長曰く
『もしかして、返してもらうつもりで貸したんとちがうか?
恩というのは相手に着せるものじゃなく、自分が着るものだ』と答えたんだって。まるで聖人君子みたいね。
新聞には悪の親玉、暴力団の総長なんて書いてあることが、信じられないわ」
千尋は思わず、
「金を貸してくれなんていう人は、もともと金がなく、親兄弟にも借りられない人よ。まあ、寄付したとあきらめるしかないわね。
しかし、聖書には
「寄る辺のない民に施すのは、私(神)に貸すこと同じである。神が善行に報いて下さる」(箴言19:17)とあるわ。
意外と神から守られるかもしれないわよ。
ねえ、私は恋愛未経験だけど、結衣は彼氏とかいたのかな?」
静奈は答えた。
「以外や以外。結衣も恋愛はしたけれど、やはり失恋に終わることが多かったらしいわね。
最初は母親の旧姓を名乗ってつきあっていても、田代関係だとわかると、相手は「田代なんて関係ないよ。君には君の生き方があるじゃないか」といい、次の日には会ってくれなくて、待ちぼうけなんてことはあったらしいわ。
結衣が初めて編んだ毛糸のマフラーを抱えて、とぼとぼと帰るなんてこともあったらしいわ。自分は負の世界の人間だって嘆いてたけどね」
千尋は思わずため息をついた。
静奈はそんな千尋に
「知ってたかな? 結衣は今、カウンセラーとしてラジオ番組で活躍しているわ。
なんと十歳年下の恋人もいるみたいね。
結衣は常々、田代の家に生まれたのは私の宿命、しかし運命は変えられると言ってたわ。
小学校のときのいじめも、結衣に言わせれば『楽しかったですね。だって何も考えずに過ごすよりも、いろんなことを考えて過ごした方が』って言ってたわ。
私、それを聞いたとき、結衣は赦すことのできる人だと思った」
千尋は答えるように
「そういえば、先週の報道番組のとき、昔の伝説の組長 田代親分という特集でなんと由岐が出演してたの。
結衣曰く
『父はいつも弱い立場の人の味方でした。親戚すらも相手にされない、いつもそんな人のことを、真っ先に考える人でした』
父に怒られた記憶はあまりないですね。父はあまり怒ったりしない人でした。
人間、怒ったからといって変わるものではない。
昔、父が芸能事務所を経営していたとき、ある大物俳優に挨拶に来いと言ったら、何を思ったのか、マネージャーが札束をもって現れたんですよ。
父がけげんに思って、ワシはただ話がしたかっただけだったにと言ったのが、子分に伝わってしまったんですね。
すると子分が、その大物俳優を襲ったという有名な後日談があったんですよ。
父は、人前ではうっかり腹も立てられないと嘆いていましたがね」
現代は、再犯率が六割だというが、それはあくまでも前科二犯までの人であり、それ以上になると、身内からも友人からも相手にされなくなってしまう。
昔は、そういう人は反社にスカウトされたものだが、今は反社になっても何のメリットもないので、行き場のない人になってしまうという。
まあ、なかには元反社牧師のように、そういう人を受け入れる教会もあるというが、一度罪に染まった人がやり直すのは難しいわね。
盗みやケンカがあったりして、辞めていく人も多いというわ」
静奈は思い出したように
「結衣曰く『父はいつも山口組というのは、行き場のない人のくるところであり、この山口組という組織に縛っておけば、これ以上悪事は働かないという最後のセーフティネットである』というのが口癖でしたって言ってたわね。
私には、どうもピンとこなかったけどね」
千尋は思わず
「まあ、悪党が自由奔放に行動しては、世の中が成り立たないわね。
でも、ああいう反社というのは、フランチャイズ店のように組の代紋をふりかざし、悪党を働くわけだからね。
昔の組員は、水戸黄門の印籠の如く代紋で生活し、代紋さえあれば生きていけてたものね。
今は、全く正反対で代紋をだしただけで警察沙汰になり、反社と関係があるという噂がたった時点で、一か月後倒産だというわ。
また昔は刑務所出の人が反社にスカウトされたものだが、今は反社になっても何のメリットもないからね。
昔は、反社になって逮捕された組員が刑務所を出ると、一躍出世したものだが、今はその反対で、刑務所から出所した時点で、破門だものね」
静奈はうなづき
「全くその通りね。まあなかには、破門された元反社がクリスチャンになり、牧師になって、教会で元反社を更生させているという人もいるわ。
近所からは、元反社や不良のたまり場になってくれたら困るという意見もあるけどね。
しかし、刑務所といっても私たちの税金から支払われているので、犯罪者とくに再犯者を失くすことは税金を減らすという意味でも、必要なことだけどね」
千尋も静奈も無言になった。
静奈は、急に明るい表情をし、
「しかし、私がいちばん意外に思ったことは、田代夫妻の仲のよさね。
反社はストレスを紛らわすために浮気をしまくり、愛人も囲うというわ。
なのに、京子姐さんは心では嫉妬しながら、それを許してたのよね。
京子姐さん曰く「男が外で流すつらい涙と、女が家で流す切ない涙とは試験管かなにかで計ると、同じ量だと思うのよ」
まあ、田代組長は四六時中といっていいほど、命を狙われているからね。
息抜きと刺激と、そして男のプライド承認が必要だったんじゃないかな?」
千尋は感心して聞いていた。
「京子姐さんは、どこまでも田代組長の味方であり、陰で支えていたのよね。
京子姐さんあっても田代組長だったに違いないわ」
静奈は答えた。
「今から、結衣直伝の田代家の話をするわね。
理解の範疇を遥かに超える話もあるけど、覚悟して聞いてね。
田代劇場始まりまーす ジャジャジャーン」
田代組長にはいろんな女性がいた。
一度、夫婦で芸者遊びをしたとき、芸者さんが『こんな優しい旦那でいいですね』というと、京子姐さんは『それなら、いつでも持っていって。三日もったら私、身を引かせてもらうわ』と笑いながらため息をついた。
ある日、田代組長から、浮気相手のためにうどん屋を経営させたけど、うまくいかない。だから京子、うどん屋に行って仕事の一部始終を教えてやれと言ったという。
自分の正妻を浮気相手のうどん屋に行かせて、仕事の一部始終を教えてやれとは理解の範疇を越えている。
そこで京子姐さんは、浮気相手のうどん屋に行って、出汁のとり方、ネギの切り方まで懇切丁寧に教えてやったが「京子姐さんがいじめた」となどと見当違いのことを言いだし、結局うどん屋もつぶれてしまったらしい。
しかし一度だけ、京子姐さんが堪忍袋の緒が切れたことがあったという。
田代組長の浮気女性が編んだ手編みのセーターの糸を引きちぎってしまったのだ。
もしかして、結婚できない浮気女性からの怨念のようなものを感じたに違いない。
京子姐さんは田代組長の代理だったから、いつも神経をはりめぐし、ガチガチ状態で、アンニュイなどとはおおよそ程遠い世界にいた。
夜中に静かに飲むブランデーだけが、京子姐さんの慰めとなっていた。
京子姐さんは、ときどき、田代組員夫婦仲がうまくいかないという相談を受けるが、そのときはやはり夜の営みをすることに限ると答えていた。
いや、実質的なセックスではできなくても、愛撫と甘い囁きだけで女は満足するものだと、組員に言い聞かせていた。
京子姐さんは、あるときから、カトリック教会に通い始め「マリヤ」という洗礼名までもらっていたという。
家事はプロ級、働き者で我慢強く、段取りよく物事をこなす京子姐さんは、教会の婦人からも「段取りの京子ちゃん」と言われ、慕われていたという。
「京子直伝 プロ級家事教室」でも開けば、きっと繁盛していたに違いない。
結衣が十九歳のとき、静奈を含む友人四人と地元の繁華街のディスコに行き、夜中まで長居をしていると一人のいかついチンピラにからまれたという。
そのチンピラは、結衣に一晩付き合えと言い、断る由岐を連れ出そうとしたという。
結衣の友人一人は「こうなったら仕方がない。田代の名前だせよ。そうしたら、いくらチンピラでも逃げていくに違いない」と耳元で囁いた。
確かにその通りであるが、結衣は悲しさを感じたという。
「私は、田代結衣です。今から家に電話をします」
結衣がディスコの公衆電話を借りて、電話をすると、チンピラは受話器を取り上げ
「ワシは淡路のまさるという極道じゃ。文句があるならかかってこい」
などと最初は威勢よくわめいていたが、たちまち顔色が真っ青になり、退散しようとした所、すごい剣幕で田代組の若い衆5人が走り込んできて、そのチンピラを連れだしたという。
結衣が帰宅後、一部始終を母親京子姐さんに話すと、
「夜中まで長居をするあんたが悪い。
あのチンピラはなにやらえらい目にあって、大阪追放になったらしい」と叱られたという。
結衣はそのとき改めて、田代組長の長女という重い立場を思い知らされたという。
また、結衣が大好きな一人旅をしているとき、カウンターの喫茶コーナーで食事をしていると、カウンター越しにおじさん店員が
「あんた、神戸の出身だって。神戸というと、有名な親分さんがいるよね」
あっ、私のことだ。しかし、結衣は他人事を装って聞いていた。
「親分には長女がいるがね、その長女というのは、近所の八百屋に行くにも子分を5人従え、のっしのっしと大手を振って歩いているらしい」
近所の八百屋?! 結衣は私はこんな遠いところまで、一人旅をしているのになと怪訝に思った。
おじさんは話を続けた。
「なんでもその長女に手を出した男は、昆布みたいにくたくたになって、神戸港に放り込まれているらしい」
ああ昆布、結衣は悲しくなったという。
世間はこんなに誤解していたのか。
しかし、結衣はあくまで他人事を装い、平静な表情で
「ところでその長女というのは、どんなルックスをしているの?
私とどっちが美人なのかな?」
おじさん店員は、急に指を目と口にはさんで、おばけ顔をつくり
「こーんなおばけみたいな顔してるよ。あんたの方がよっぽど美人だよ」
結衣は思わず噴き出した。
まったく世間というものは、想像力たくましいと感心すらしたという。
のちに結衣は、田代とは名乗らず京子姐さんの旧姓を名乗り、DJ大賞を受賞したらしい。
結衣はブラックミュージックに興味があると言っていた。
田代組長の長女という自分の身の上と、アメリカ人(黒人)との間に共通点を見出していたのかもしれない。
残念ながら、どちらも生まれながら重荷を背負って生きている。
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