第07話「穏やかな日々と、忍び寄る過去の影」
もどかしい一夜から数ヶ月、アキラの領地は目覚ましい発展を遂げていた。
洞窟の魔石を浄化したことで森は完全に再生し、古代魔法の解読も進んで、痩せた土地が少しずつ豊かな実りをもたらすようになっていた。
市場には活気が戻り、民の顔にも明るい笑顔が見られるようになった。
それに伴い、アキラとカイの関係も、少しずつではあるが、より深いものへと変化していた。
まだ「恋人」という明確な言葉はなかったが、二人が過ごす時間は、誰がどう見ても恋人同士のそれだった。
アキラは、執務の合間にカイを誘って、一緒に畑仕事をするのが日課になっていた。
前世の知識を活かしてアキラが作る珍しい野菜の数々に、カイは目を輝かせた。土に触れ、作物を育てるという行為は、カイの心を穏やかにした。
収穫したてのトマトを丸かじりして、「すっぱい」と言いながらも嬉しそうに顔をほころばせるカイの姿を、アキラは愛おしくてたまらない気持ちで見つめていた。
休日には、二人で森の奥にある湖へ釣りに出かけることもあった。
カイは獣人ならではの勘で魚のいる場所を見つけるのが上手く、いつも大漁だった。
アキラはそんなカイの横顔を見ながら、いつか、この穏やかな日々の中で、自分の想いを伝えられたら、と願っていた。
カイの方も、すっかり明るい表情を取り戻していた。屋敷の使用人たちにも少しずつ心を開き、自分から話しかけることさえある。
特に、料理長には懐いているようで、厨房でアキラの好物についてこっそり尋ねている姿が、何度も目撃されていた。
もどかしい距離感は相変わらずだったが、それでも二人の周りには、いつも温かく、幸せな空気が流れていた。
このまま、こんな穏やかな日々がずっと続けばいい。アキラもカイも、心のどこかでそう願っていた。
しかし、そんな平穏は、ある日突然、終わりを告げる。
影は、彼らが気づかないうちに、すぐそこまで忍び寄っていたのだ。
アキラの領地が、短期間で奇跡的な復興を遂げているという噂。それは風に乗り、国境を越え、隣国にまで届いていた。
そして、その良い噂に混じって、もう一つの噂も流れていた。若き領主アキラのそばには、常に銀色の髪を持つ美しい獣人の側近がいる、と。
その噂は、聞くべきではない男の耳に、最悪の形で届いてしまった。
隣国のとある子爵、名をバルドルという。
彼は、かつてカイを「所有」していた元主人だった。
バルドル子爵は、美しいものを収集し、自分の意のままに支配することに歪んだ喜びを見出す、残忍で悪徳な男だった。
数ある彼の「コレクション」の中でも、カイは特別なお気に入りだった。その気高い瞳、何者にも屈しない魂。それを力で捻じ伏せ、自分だけのものにする過程に、たまらない興奮を覚えていたのだ。
しかしある日、カイは隙を見て彼の屋敷から脱走した。バルドルは躍起になってカイを探したが、その行方は知れなかった。
最高のおもちゃを失ったバルドルは、苛立ちを募らせていた。
そんな時、彼の耳に、例の噂が飛び込んできたのだ。銀色の髪の獣人。その特徴は、彼が失った「所有物」と完全に一致していた。
「見つけたぞ……俺のカイ」
バルドルは、にやりと口の端を吊り上げた。
彼は、カイが自分から逃げ出したこと自体を許していなかった。自分の所有物が、自分の許可なく自由に生きることなど、断じて認められない。
ましてや、他の男のそばで、幸せそうにしているなど、言語道断だった。
「誰にも渡さん。お前は、永遠に俺のものだ」
彼はすぐに手勢を集め、アキラの領地へと向かう準備を始めた。
正当な所有権を主張すれば、カイを合法的に取り戻せると踏んでいたのだ。あの国の法律では、一度結ばれた奴隷契約は、所有者がそれを破棄しない限り有効なはず。
いくら相手が領主とはいえ、他国の貴族の財産を不当に奪うことは許されないだろう。
もし、それで相手が引き渡しを拒むようなら――その時は、力ずくで奪い取ればいい。
バルドルは、アキラの領地が豊かになっているという噂も聞いていた。ちょうど良い。獣人と一緒に、その富も根こそぎ奪ってやろう。
邪悪な笑みを浮かべながら、バルドル子爵は自らの軍勢を率いて、国境を越えた。
穏やかに流れる時間の中で、アキラとカイはまだ、自分たちの幸せを脅かす巨大な悪意が、刻一刻と近づいていることに、気づいていなかった。
空には、不吉な暗雲が立ち込め始めていた。
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