第05話「洞窟の奥の、深まる絆」

 洞窟の中は、外から見た以上に広く、そして不気味な静寂に包まれていた。

 アキラが灯した魔石の光が、湿った岩肌と、そこから滴り落ちる不気味な紫色の液体を照らし出す。

 カイが言っていた「澱んだ魔力の匂い」が、今はアキラにもはっきりと感じられた。

 空気が重く、息をするだけで体力を奪われていくようだ。

 繋いだカイの手が、先ほどよりも強く震えていることにアキラは気づいた。


「カイ、大丈夫か?」


 小声で尋ねると、カイはこくりとうなずくだけだった。だが、その顔色は明らかに悪く、呼吸も少し浅くなっている。

 その時、洞窟の奥から、ずるり、と何かを引きずるような不快な音が聞こえてきた。


「……来る」


 カイが短く警告を発したのと、闇の奥から何かが飛び出してきたのは、ほぼ同時だった。

 それは、紫色の瘴気を体中にまとわりつかせた、巨大な芋虫のような魔物だった。複眼が爛々と赤く光り、粘液を滴らせながら大きな顎を開閉させている。


「うわっ!」


 アキラは咄嗟にカイを背後にかばい、魔物の突進を避けた。


「カイ、下がってろ!」


 アキラは右手を前に突き出し、防御魔法の呪文を唱える。


「【聖なる盾(サンクチュアリ)】!」


 アキラの前に、まばゆい光の障壁が出現した。魔物の突進が障壁に激突し、バチバチと激しい火花を散らす。衝撃で洞窟全体がぐらりと揺れた。

 しかし、魔物は一体だけではなかった。左右の壁や天井からも、次々と同種の魔物が現れ、二人を取り囲む。数は、ざっと見て十体以上。


「くそ、こんなにいるのか……!」


 アキラが焦りの声を上げる。防御魔法で正面からの攻撃は防げるが、このままでは全方位から囲まれてしまう。

 その時、アキラの背後から、風のようにカイが飛び出した。


「カイ!?」


 カイはアキラの制止も聞かず、俊敏な動きで魔物の一体に駆け寄ると、洞窟の壁を蹴ってその背後に回り込んだ。猫獣人ならではの驚異的な身体能力だった。

 魔物がカイの動きに対応できず、混乱している。


「アキラ! こいつら、目が良くない!」


 カイの鋭い声が響く。なるほど、とアキラは理解した。

 この魔物は、音と魔力の流れを頼りに行動しているのだ。闇の中での生活に適応した結果だろう。


「よくやった、カイ!」


 アキラは防御魔法を維持しながら、別の攻撃魔法を組み立てる。


「【光よ、彼の道を照らせ(ライトアロー)】!」


 アキラの手のひらから、数条の光の矢が放たれた。それは魔物を直接攻撃するのではなく、洞窟の壁に次々と突き刺さり、周囲を昼間のように明るく照らし出した。

 突然の強い光に、魔物たちが混乱し、苦しげに身悶える。


「今だ、カイ!」


 その隙を、カイは見逃さなかった。彼は身を低くして魔物の群れを駆け抜け、その注意を自分に引きつける。

 その間に、アキラはさらに強力な魔法を発動させた。


「【浄化の炎(ホーリーフレイム)】!」


 アキラが放った白い炎が、瘴気に汚染された魔物たちを包み込む。それは肉体を焼く炎ではなく、邪悪な魔力だけを浄化する聖なる炎だった。

 断末魔の叫びを上げながら、魔物たちは次々と浄化され、塵となって消えていく。

 アキラが強力な魔法で敵の動きを止め、カイがその隙に俊敏な動きで攪乱する。

 言葉を交わさなくとも、二人の間には完璧な連携が生まれていた。互いが何をすべきか、どう動くべきかを、自然と理解している。

 この短い時間で築き上げられた、確かな信頼関係がそこにはあった。

 全ての魔物を浄化し終えた時、洞窟には再び静寂が戻った。

 アキラは息を切らしながら、カイに駆け寄る。


「カイ、怪我はないか?」

「……平気。アキラは?」

「俺も大丈夫だ。……助かったよ、カイ。君がいなかったら、危なかった」


 アキラがそう言って微笑むと、カイは少しだけ照れたように視線を逸らした。

 二人は再び手を取り合い、洞窟のさらに奥へと進んだ。瘴気の源は、もうすぐそこにあるはずだ。

 やがて、道が開け、広大な地下空洞に出た。その中央に、全ての元凶はあった。

 人間ほどの大きさのある、禍々しい紫色の魔石。それが、どくどくと脈打つように、周囲に瘴気をまき散らしていた。

 森の生命力を吸い、魔物を生み出していたのは、間違いなくこの呪われた魔石だ。

 魔石が放つ強烈な瘴気と闇に、カイの体が再び震えだした。


「……暗い、……怖い……」


 その呟きは、ほとんど悲鳴に近かった。カイは過去のトラウマから、閉ざされた暗闇に対して強い恐怖心を抱いてしまうのだ。

 呼吸が荒くなり、その場にうずくまりそうになる。


「カイ!」


 アキラは、そんなカイの手を強く、強く握りしめた。そして、もう片方の手で、彼の頭を優しく抱き寄せる。


「大丈夫だ。俺がそばにいる。もう君は一人じゃない」


 アキラの声は、魔法のようにカイの心を落ち着かせていく。握られた手の温もりが、冷たい恐怖を溶かしていく。


「目を開けて、カイ。俺を見てくれ」


 カイがおそるおそる顔を上げると、すぐ目の前に、心配そうに自分を見つめるアキラの顔があった。その瞳には、揺るぎない優しさと、強さが宿っている。


「君が怖いなら、俺がその闇を全部吹き飛ばしてやる。だから、信じてくれ」


 アキラはカイを自分から離すと、魔石に向かってまっすぐに歩み寄った。

 そして、深く息を吸い込むと、体中の魔力を両手に集中させていく。


「俺の持つ全ての光よ、この邪悪なる闇を祓いたまえ!【大いなる浄化(グランドピュリフィケーション)】!」


 アキラの体から、太陽のようにまばゆい光がほとばしった。

 光は洞窟の闇を完全に消し去り、呪われた魔石を包み込む。魔石は激しく抵抗し、断末魔のような甲高い悲鳴を上げたが、アキラの浄化の光には抗えない。

 やがて、魔石に亀裂が走り、木っ端みじんに砕け散った。

 瘴気の源が消滅し、洞窟には清浄な空気が戻ってくる。岩の隙間からは、森の土の匂いがした。

 森に、光が戻ったのだ。

 全てが終わった瞬間、アキラは極度の魔力消耗で、その場に膝をついた。


「アキラ!」


 恐怖から解放されたカイが、慌ててアキラのそばに駆け寄る。


「……大丈夫。ちょっと、魔力を使いすぎただけだ……」


 アキラはそう言って笑ったが、その顔は真っ青だった。カイはそんなアキラの体を、小さな体で必死に支えようとする。

 帰り道、アキラはもう自力で歩くことができなかった。仕方なく、今度はカイがアキラに肩を貸す形で、ゆっくりと洞窟を抜けた。

 外に出ると、夕日が森を茜色に染めていた。枯れていた木々にも、生命力が戻り始めているのが分かる。

 屋敷までの道のりは、まだ遠い。疲れ果てたカイは、森の入り口で、動けなくなったアキラの背中に、自身を預けるようにして座り込んだ。

 やがて、カイはアキラの温かい背中に安心したのか、すうすうと穏やかな寝息を立て始めた。

 アキラは、背中で眠るカイの気配を感じながら、静かに空を見上げていた。

 自分の胸の中に宿る、この温かい感情。それはもう、ただの同情や庇護欲だけではない。

 カイを守りたい。彼の笑顔が見たい。ずっと、そばにいてほしい。

 その感情の名前を、アキラはもう、はっきりと自覚していた。

 これは、恋だ。

 アキラは、眠るカイを起こさないように、そっと彼の銀色の髪を撫でた。

 その柔らかな感触が、たまらなく愛おしかった。

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