第04話「枯れた森の謎と、二人の小さな冒険」

 古代魔法の文献が見つかってから、アキラの領地改革は新たな局面を迎えていた。

 術式の解読にはまだ時間がかかりそうだったが、それでも大きな希望が見えたことで、アキラも民も活気づいていた。

 カイも書庫の整理を続けながら、時折アキラの仕事を手伝うようになり、二人の間には穏やかで静かな信頼関係が育まれつつあった。


 しかし、そんな矢先、領地で新たな問題が発生する。

 領地の西側に広がる広大な森、その一部が急速に枯れ始めているという報告が入ったのだ。

 森は領民にとって、薪や木の実、薬草などを得るための大切な生活の糧だ。その森が枯れるということは、彼らの生活を直接脅かすことに繋がる。

 アキラはすぐに現地へ視察に赴いた。報告は事実だった。

 ほんの数週間前まで青々と茂っていたはずの木々は、まるで生命力を吸い取られたかのように茶色く変色し、葉を落としていた。地面は乾き、下草も枯れ果て、一帯だけが不自然な死の静寂に包まれている。


「原因は何だ……。病気か? それとも、水脈に何か異常でも……」


 アキラが専門家を集めて調査をさせたが、原因は一向に分からなかった。木々に病気の痕跡はなく、水質にも異常は見られない。

 打つ手がないまま時間だけが過ぎ、森の枯れる範囲は日に日に広がっていった。

 アキラが屋敷の執務室で頭を抱えていると、そっと部屋に入ってきたカイが、お茶を彼の机に置いた。

 最近のカイは、アキラが仕事に集中していると、こうして黙って世話を焼いてくれるようになっていた。


「ありがとう、カイ」


 アキラが力なく礼を言うと、カイはしばらくその場を動かず、窓の外に広がる問題の森をじっと見つめていた。

 やがて、彼はぽつりと呟いた。


「……あの森から、嫌な匂いがする」

「え?」


 アキラが顔を上げると、カイは眉をひそめ、空色の瞳を鋭く細めていた。


「匂い……? どんな匂いだ?」

「魔力の匂い。でも、普通のじゃない。澱んでて、冷たくて……気持ち悪い匂い」


 獣人であるカイの五感は、人間よりもはるかに鋭敏だ。特に、自然界の微細な変化や、魔力の流れには敏感だった。

 人間には感知できない何かを、カイは感じ取っているのかもしれない。

 アキラは、椅子から立ち上がった。専門家の調査でも分からなかった原因。だが、カイのこの感覚は、あるいは真実を突いているのかもしれない。

 書庫で古代魔法の文献を見つけ出したのも、彼の鋭い嗅覚だった。


「カイ、君のその感覚を信じる。……俺と一緒に、森を調査しに来てくれないか?」


 アキラの言葉に、カイは少し驚いたように目を見開いた。


「俺が……?」

「ああ。君の力が必要なんだ。もちろん、危険かもしれないから、無理強いはしない。だが……」


 アキラはカイの目をまっすぐに見て言った。


「君が一緒なら、心強い」


 その言葉には、何の計算も裏もなかった。アキラは本心から、カイを頼りにしていた。

 その想いが伝わったのか、カイはしばらく黙って考え込んだ後、こくりと小さくうなずいた。


 翌朝、アキラとカイは二人きりで森へと向かった。

 大事にしたくなかったのと、カイが人目を嫌うことを考慮してのことだった。

 それは、二人にとって初めての本格的な共同作業であり、ささやかな冒険の始まりだった。

 森の入り口に立っただけでも、その異様さは明らかだった。健康な木々が茂るエリアと、枯れたエリアの境界線がくっきりと分かれている。

 枯れたエリアに足を踏み入れた瞬間、空気がひやりと冷たくなったのを感じた。


「……こっちだ」


 カイは地面に鼻を近づけたり、空気の匂いを嗅いだりしながら、澱んだ魔力の匂いを頼りに森の奥へと進んでいく。

 その姿は、獲物を追うしなやかな獣のようだった。アキラは、そんなカイの背中を、少しだけ頼もしく思いながら後をついていった。

 進むにつれて、澱んだ空気はますます濃くなっていく。木々は黒く変色し、不気味なほどにねじ曲がっている。

 まるで、この森全体が苦しんで呻いているかのようだった。

 三十分ほど歩いただろうか。カイが、ぴたりと足を止めた。

 彼の視線の先には、岩肌がむき出しになった、小さな崖があった。そして、その崖の中腹に、ぽっかりと口を開けた洞窟があった。


「……ここからだ。一番強い匂いがする」


 洞窟の入り口からは、瘴気とも呼べるような、見るからに不吉な紫色の靄が薄く立ち上っていた。

 アキラでさえ、肌が粟立つのを感じる。素人が面白半分で立ち入っていい場所ではないことは明らかだった。


「カイ、ここまでだ。引き返そう」


 アキラは危険を察知し、カイの腕を掴んだ。


「これ以上はまずい。一度屋敷に戻って、きちんとした装備と人員を整えてから出直すべきだ」


 しかし、カイはアキラの手を振り払った。そして、今まで見せたことのないような、強い意志を宿した瞳でアキラを見つめ返した。


「俺が行く。アキラはここにいて」

「なっ……何を言ってるんだ! 一人で行かせるわけないだろう!」

「俺は、獣人だ。人間より、こういうのには強い。それに……」


 カイは一度言葉を切り、俯いた。


「……アキラに、危ないこと、させたくない」


 その言葉に、アキラは息をのんだ。

 カイが、俺を心配してくれている。自分の身を挺してでも、俺を守ろうとしてくれている。

 屋敷に来たばかりの頃、心を閉ざし、誰のことも信じていなかった彼の口から、そんな言葉が出てくるなんて。

 アキラの胸は、嬉しさと、そしてカイを一人で行かせるわけにはいかないという強い想いでいっぱいになった。

 アキラはカイの肩を強く掴んだ。


「ダメだ。絶対に許さない」


 その声は、自分でも驚くほど、強く、厳しい響きを帯びていた。カイが驚いて顔を上げる。


「君の気遣いは嬉しい。……だが、俺は君を危険な目に遭わせるために、ここまで連れてきたんじゃない」


 アキラは、カイの空色の瞳をまっすぐに見つめ、はっきりと言った。


「二人で行くんだ。俺は領主として、この森の問題から逃げるわけにはいかない。そして、君を一人にはさせない。……絶対にだ」


 アキラの揺るぎない決意に、カイは何も言えなくなった。ただ、大きく見開かれた瞳が、戸惑うように揺れている。


「わかったな、カイ?」


 アキラが念を押すように言うと、カイはしばらくして、観念したように小さく、こくりとうなずいた。


「……よし」


 アキラは、懐から小さな魔石を取り出し、呪文を唱えた。魔石が淡い光を放ち、二人の周囲を照らし出す。


「行こう、カイ。俺が必ず君を守る」


 アキラはそう言うと、カイの手を強く握った。

 カイは一瞬驚いたように手を引こうとしたが、アキラが離さなかったので、諦めてそのままにさせた。

 繋がれた手は、少し冷たく、小さく震えているように感じられた。

 二人は、手を繋いだまま、不気味な瘴気を放つ洞窟の中へと、一歩を踏み出した。

 それは、二人の絆が試される、新たな試練の始まりだった。

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