第二十二帖 翡翠「濡れたので暖め合います」
「灰廉様」
風呂場事件の数日後、黒曜君にお声をかけられました。
「わたくし、翡翠君が御守りを綺麗にお縫いになっているのをお見かけしまして、珊瑚君の拉麺屋よろしく、皇室御用達の香袋を作って販売してはどうかと思いましたの。
ほら、
灰廉様と、わたくしたち妃五名をそれぞれ当てはめると、ちょうどよい数になりましょう?」
「とてもよいご提案ですね!」
早速、翡翠君もお呼びして商品立案に取り組みました。
春の
紅色ゆえに紅玉君。
夏の
桃色ゆえに珊瑚君。
秋の
侍従は女性で言う女房なので、そちら出身の翡翠君。
秋冬の
菊のような艶やかさの瑠璃君。
秋冬の
思慮深さを感じるのでわたくし。
と、お二人が仰ってくださいました。
冬と祝い事の
黒色ゆえに黒曜君。
「うーん、お香と布はすべて揃っているわけではございませんねえ。
どこから調達いたしましょうか」
と、わたくしが申しますと、黒曜君が、
「川下に両方揃う名店がございましてよ」
と申され、書庫から都市図を持ってきてくださりました。
「まさに川を下れば直線距離にございますねえ!」
翡翠君が感嘆の声を上げました。
短距離で、まずは試作品をということなのでそこまで大量の布や香木を買うわけでもなし、極度に重くなるような買い物でもございませんので、小船に用心棒代わりの船頭さんと計4名で乗り込むことといたしました。
翡翠君がちゃっかりとわたくしの隣を陣取ったので、遠慮深い黒曜君は船頭さん側にお座りになられました。
「ああ、葉桜が美しいですねえ。
もう少し早ければ……
いえ、来年になったら、花見のためにこの道に船を浮かべたいものです」
黒曜君がうっとりと川沿いの景色を眺めます。
「皇居寄りには楓の木が立ち並んでおりましたしね。
紅葉狩りも楽しみにございますよ」
その黒曜君の黒髪に桜の花弁が一枚、はらりと乗った艶姿を眺めながらわたくしが申しますと、
「あら、桜や楓よりも、灰廉様の方が更にお美しゅうございますわ」
「翡翠君……」
彼女の甘い言葉と上目遣いに絆されていると、気付けば一羽の
季節の変遷を感じていると、
ボタッ!
なんと子規は、小舟の、真ん中よりややわたくしと翡翠君の方に向けて、粗相を落としました!
「ひえっ!」
幸いにも直撃こそしなかったものの、わたくしどもは思わず、小舟の端まで後ずさりをしました。
「こらっ!
なんたる無礼な鳥でしょう!」
船頭さんが追い払ってくださったのは良いのですが、後ずさりをしすぎた影響で
……小舟の重心が傾き、わたくしと翡翠君の背中は川に着水しました。
着物がみるみるうちに水を吸い、重ね着のぶんの重みを増していきます。
「こ、こんなものを着ていては、夏でもあるまいし風邪をひいてしまいます!
濡れた衣は脱ぎましょう!」
翡翠君が本当に一枚一枚脱ぎ出し、身体の線が少しずつ露になっていく姿を
……こんな時に何を考えているのかと思いつつも、自身も衣服を脱ぎながらさりげなく目で追ってしまう、わたくしは悲しい生き物です。
「しかし……
当然のことながら、薄着は薄着で寒うございますねえ……
でもまあ、半分以上来てしまったのですから、着物は向こうで調達することにいたしまして、暖を取り合いましょう!」
翡翠君が抱きついてきました。
「な、なっ……」
泡を食ったわたくしの耳元で、翡翠君が甘く囁きました。
「船頭さんに、肌着が透けている姿を見せ続けるわけにもいかないでしょう?」
た、たしかに船頭さんの方も気まずそうにしておられるのでこれが最適でしょうし、わたくしたちは、これ以上の密着を夜な夜な過ごしてきた仲ではありますが
……た、太陽の下、彼と黒曜君に見つめられている中でこのようなことを……!
そ、その上
……これ以上の密着を夜な夜な、なんてことに思考が及んでしまったので
……上半身の豊かで柔らかな感覚が、いけないと思えば思うほど却って気に掛かり、脳内を桃色に支配し……
ひょ、ひょ、表情に出してはなりません
……必死に口角を引き締めました。
「ふふっ、冷たくすました顔をなさっていても、わたくしには熱い本音が下の方より、しっかりと伝わってきておりますよ、
灰廉様、お若いですねえ」
溶けるような囁きに全身が震えました。
とはいえ、さすがに船上で何かに及ぶほどには理性が飛ぶことはないまま
(黒曜君の、といいますか、ひとの冷たい視線をありがたいと思ったことなど、はじめてですよ……)、
お香、反物、そして着物が揃うお店に辿り着いて事なきを得ました。
「おかげさまで、お互い様々な意味であたたかくなりましたねえ」
翡翠君、なぜ、ほくそ笑みつつ少しばかり残念そうになさっているのですか……
とんだ蠱惑の好き者です。
このような方が香木を選ぶ眼力と、縫い物の腕には長けているのですから、人間とは不思議なものです。
かくして、着物に似た美しい刺繍の、小ぶりで可愛らしい香袋が完成しました。
商品そのものは王道ですが、それぞれ皇族を当てはめるという独自の趣向が刺さったのか、飛ぶように売れて即座に大量生産を実現、大いに財政は潤いました。
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