第二十一帖 灰廉「妃は誰一人渡さぬ」
さて、愛しの妃達がここまで御健闘なさっているのに、わたくしひとりが手をこまねいているわけにはいきますまい。
わたくしは目の前の暴漢の首に、肉を噛みちぎってやる勢いで噛みつきました。
「うわあああ! なんだぁこいつ!
信じらんねえべ、ほんに皇太子かぁ?!」
ここで逆上して殴り蹴りなどすれば、そのぶん身体が離れてわたくしから反撃されるのを恐れたのでしょう、暴漢はひたすら堪えました。
なぜ、逃げもせずに、こうも耐え忍ぶのでしょう。
ここを耐え抜いても、もはや当初の欲望を達するのは無理に等しいでしょうに……
意地とは恐ろしいですね。
そして、人数は同じなのに、わたくしひとりに二名もつけたぶん、何かが疎かになっておりますよ……
「……ん?
おっ、おい!
妃がひとり、足りなくねえか?」
「ほ、ほんとだ!
あの小さい女がいねえ!」
「はっはっはっ、あいつ軽薄そうだし、逃げ出したんでねぇか?」
ふふっ。
たしかに彼女は容貌と、男女のことに関しては軽薄なところがございますが、
かといって問題が起こった時にも軽薄だと申すのは、懸命に黒曜君の解毒に努めた翡翠君の姿を知らぬ人間の戯言です……
「誰が小さくて軽くて薄いと?!」
ほら、きちんと帰ってこられ
……おや?
せっかく一度お戻りになったのに、武器をお持ちになったのでもなければ、助けも呼んでいない?
「どこに目がついてらっしゃるんですかぁ?
ほぅら、ここには、こぉんなに大きくて重くて厚いものを持っておりますのにぃ、
知らぬ顔だなんて淋しゅうございますぅ」
翡翠君は妖艶な笑みを浮かべ、御自身の御立派な山脈を、両の腕でゆるりと押し上げました
……わたくしを取り押さえている二名は、ついそちらに目をやり、だらしなく頬を緩め
……彼女はその隙を見逃しませんでした。
そのいやらしい眼に、掌をなすりつけ……?
「ぎぃやあああ!
いだだだだ!」
暴漢は前後同時に眼を押さえてのたうち回りました。
「なっ、何をなさったのですか?!」
「ふっふっふっ」
翡翠君は更に高らかに胸を張り、何やら朱く塗られた掌をこちらに差し出しました。
「例の手製の厄除け御守りの中身は
……唐辛子なのです!」
「あーー!! 道理で朱色なのですね!
そして、物理的に厄除けのお役に立つとは
……お見それしました!」
「わたくしは人を呼んでまいりますので、灰廉様、あとはよろしくお願いいたしますね」
「お任せください!」
さて……
まずは、唐辛子が効いているうちに、この二名をなんとかしなくては。
とはいえ、わたくしは襲われてはいませんし、下手に頭や心臓を殴って後遺症でも残っては、さすがに気の毒が過ぎるでしょう。
これぐらいにしときますか……
「お、お、お、お許しください!
あっ、脚折らないでーーっ!」
「うーん、しかし、また暴れられては困りますからねえ」
「わ、わ、わ、わかった!
帯! 帯で手足縛ってくれっ!
抵抗したらその時は脚折っていいから!
御前ら全員、それでいいな?!」
六名全員が頷いたので、わたくしたちは彼らの着物の帯で、二名ずつを背中合わせにしてそれぞれの手足を縛りつけました。
わたくしが齧った暴漢は首が鮮血で真っ赤、
瑠璃君が叩いた暴漢は頬が腫れ上がり、
紅玉君が殴った暴漢はたんこぶができ、
黒曜君が押さえつけていた暴漢に至っては、窒息寸前と思しき、真っ赤な水風船のような形相と化しておりました。
「これでよくよくわかりましたでしょう?
わたくしの妃たちは一人残らず、皇族にその血を残すべき、いい女、なのです。
生物として優れているのです。
あなたがた程度の男には、誰一人として譲りませんよ」
「わ、わかっただよぅ……
灰廉様ばかり
率直に報告すると、妃たちが素肌をあまさず暴漢に見られてしまったこと、襲われかけたことが、世間に明るみに出てしまいます。
それは、とりわけ紅玉君にとっては、耐え難きことでしょう。
そこで、表向きは番兵たちは酔って浴場で暴れて転んだり溺れたり噛みつきあったりしていたところを見つかり、不敬罪として縛り上げた、ということにして彼らを投獄し、
刑務作業として、過酷で誰も行きたがらずに人手不足が深刻な、鉱山掘りのお仕事に行っていただくことにいたしました。
「わたくしの息がかかっている、鉱山掘りの親方様には、事情をお話ししておきますからね?
まともに働かなかったり、逃げ出したり、裸を見たなどと吹聴したりなどすれば、刑を重くしますよ?」
「はっ、はい……」
しかし……
今度からはわたくしと、妃の誰かが登用試験に顔を出すことといたしましょう。
いえ……
それ以前に、身内に内心、多く居る妃をよこせと、妬まれつつ侮られてしまったわたくし自身が問題かもしれません。
ただでさえわたくしは、後宮制度を近年で唯一受け入れた男という、疎ましがられやすい境遇なのです。
身内にも民にも愛され敬われるべく、精進せねば……
「さて……」
珊瑚君が紅玉君を見遣りました。
「さすがに、こんな晩にまで夜伽の気分にはなりませんよね、お互いに。
灰廉様は、今晩は紅玉君についてさしあげてくださいな」
たしかに彼女は、明らかに最も精神的に参ってしまっているようでした。
「わかりました、ありがたくそのようにさせていただきます」
「灰廉様あああ」
布団の中でふたりきりになるや否や、紅玉君は、わたくしの胸に顔を埋め、堰を切ったように泣き出しました。
「灰廉様以外の男に、素肌など見せたくありませんでしたのに、よりによってあんな男達にいいいい
……わたくし、汚れてしまいました……」
「罪人の被害者を汚れたなどと言う人間は、愚かな上に、性根が捻じ曲がっているのですから、相手になぞしないことです。
他の妃たちを見てごらんなさい、それを理解しているから、毅然としておられるではないですか」
「そう……ですね……
わたくし……弱いのでしょうか……」
「いえ……
ひどい話ですが、そう思われるのは少し嬉しくもありますよ
……唯一わたくしを真っ当に愛しているあなただけが、そのような感情になるのでしょうから……」
「灰廉様……」
まことに……
この方はよくぞ、五人の妃を愛するのは皇族存続のための義務、などと言いつつ、内心では全員に惹かれている、わたくしのごとき男に、このような真っ直ぐな愛情を向けてくださるものです
……そう思うと更に愛おしくなり、紅玉君を今一度きつく抱きしめました。
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