第十九帖 翡翠「欲求不満です」

とある昼下がり、一仕事を終えたわたくし、灰廉が自らの殿舎に戻ろうと廊を渡り、翡翠君の殿舎の前を通りますと

……ふいに上空から、何かが彼女の部屋をめがけて飛んできました。

「な、なんですかこれは……?

 や、矢ではございませぬか!

 もしや、何者かがわたくしか翡翠君の命を狙って……?!

 おや、何か丸いものが結びつけられておりますね、

 ひょっとして異国に聞く、爆弾とやらなのでは……?」

「ち、違いますわ、それはわたくし宛ての矢文っ……」

翡翠君がお止めになる前に、わたくしはその丸いものが包まれた紙を開いてしまいました。

すると、中からは見事な大ぶりの柑子がごろんと飛び出し、


『あなたの象徴たる柑子も今年はそろそろ終わりですね、侘しさを感じます』


という艶めいた文が、紙に

……父上の文字でしたためられておりました!

「ち、ち、ち、父上とどのような御関係なのですか?!」

「い、いえっ、時折このような文のやり取りをするだけで、御渡りなどはございませぬよ!

 金剛帝様の御所など遠すぎて、逢瀬などしたら露見しない方がおかしいではございませぬか!」

「そこは信ずるといたしましても、父上とはいえ、このような感情を持った男性と、文を送り合って愉しむという浮ついた心がおよろしくないのです!」

「なにを申しておるのですか!

 御自分は心が浮つくどころか、毎晩毎晩五名もの女人を取っ替え引っ替えしておられますのに!」

「いえ、わたくしはそれが責務ですから……」

「そうであっても、わたくしからしてみれば、そのぶん灰廉様からの愛情が、そして若さを持て余したこの身体が、お留守になるのが現実ですよ。

 そのぶん、艶めいた文で自らを慰めるぐらい、よいではありませんか。

 帝様とて妃の一人もおらず、寂しい思いをなされているでしょうに」


たしかに、これしきのことで翡翠君を責める資格なぞ、わたくしにはないのかもしれません

……齢十六といえば、色事への欲求に関しては、まさに盛り。

月に五分の一程度では物足りない、と申す者が存在するのも道理かもしれません。

彼女がその手の巻物などを所持し、人目を盗んで眺めていることにも、薄々気がついておりました。

黒曜君と抱擁を交わしている姿をお見かけしたこともございましたが、あれも、歳上であり、妃の中で最もすっきりとした身体を持つ彼女を、わたくしの身代わりとしていたのかもしれません。


し、しかし

……そうとはわかっていても、むくむくと湧き上がるこの独占欲を

……どうすればよいのでしょう。

父上とて、ご自身で翡翠君をわたくしの妃に推薦しておきながら、彼女に粉をかけるなど、わたくしを侮った行為ではありませぬか。

このまま、おし黙っていては男が廃ります。


「ふふっ、ここまで正確に柑子のついた矢文を飛ばせるとは、さすが父上にございますね……

 しかし、先日の賀では黒曜君の流鏑馬失敗事件があり、お見せし損ないましたが、わたくしとて弓矢には覚えがございますよ。

 よろしい、これより大ぶりの柑子を矢にて父上に送りつけ、目にもの見せてさしあげましょう」

わたくしは左手に弓矢を、右手に翡翠君の手を取り、柑子の木へと急ぎました。



「たしかに柑子も終わりの刻でございますね

 ……しかし未だ、頂の付近に大ぶりのものがございますね。

 さあ、翡翠君……

 あなたに相応しい男は誰であるか、ここで示してみせますよっ!」

狙いを定め。

弓をぎゅうと引き、矢を唸らせ


……想いは神に届いたか。

矢は、目当ての柑子の枝を射抜きました。

そして垂直に落下、吸い込まれるようにわたくしの掌へ。


「わあ……!」

翡翠君の瞳が、綺羅星のように輝きました。

「どうですか?

 これでも父上への未練が残りますかな?」

「いえ……!」

翡翠君は、出会った頃と同じように歓びを全身に漲らせた様子で

……わたくしに勢いよく抱きついてきました。

逸る心音と、のぼせあがった頬が、独占欲、自己顕示欲、勝利欲、欲求という欲求を満たしました。

「ふふふふ、よろしい……

 父上にもはっきりと、矢文のお返事をせねばなりますまい」


『父上。

 翡翠君への恋の矢を放つことで、より大きな果実を得ることができる、彼女への想い深き男は、わたくしにございます』


ことり、という音がして、矢は父上のお部屋の前の廊下に落ちました。

「ところで、これまでもこちらからお返事はしていたのでしょう?

 翡翠君がご自身で矢を射られたので?」

「いえ、黒曜君が。

 あの方、あの時はきっと御緊張で失敗なされただけで、本当に御上手ですよ」

「なるほど。

 しかし、お二人は実に親しくなられたのですね」

「ふふっ、百人一首で同軍になったのがきっかけ、ですかね」

翡翠君は悪戯いたずらっぽく微笑みました。

この方は、あけっぴろげなようでいて、未だに秘密を隠していそうで

……そこがまたなんとも探求欲をそそります。


それから一刻の後、父上からお返事の矢文が戻ってまいりました。

ことさらに小さき柑子を包んだ懐紙には、


『灰廉。

 つい先刻までこのように小さかった御前も、わたくしの背中を超えていったのだな。

 翡翠君と仲睦まじく過ごし、大きな果実を得るがよい』


と、力強き文字で記されておりました。

ふふふ……!

父上もわたくしの勝ちを認めたのです!

潔きことは美しきかな。

わたくしは翡翠君の肩を抱き、視線を絡めて頷き合い

……彼女のかねてからの欲求と、今回のことでわたくしに湧き上がり、たったひとつ今の今まで残った欲求を互いに満たし合うべく、

未だ夕暮れというのに部屋の奥に引きこもり、御簾みすを下ろしました。



ふう……

自身で苦労してもぎ取った果実の方が甘く感じられる、というやつでしょうか。

雄として優秀なのね、という眼差しを浴び、そんなあなたがもっと欲しい、とばかりに全身全霊で求められているが故でしょうか。

黒曜君とはじめて交わった時以来の、優越感、勝ち取った快感を覚えました。

自然界の、異性を巡る争いに勝った動物たちは、この気分を味わっているのでしょうか?


しかし……

いかに制度で行動を制御できても、人の心までは縛れないということを、痛感いたしました。

このような状況なのに、妃たちにはわたくしだけを見ていて欲しいと虫のいいことを思うなら、気配り、魅力の誇示、そして相手を満たし続けることを、忘れてはいけないのです。

身が引き締まる思いがしました。


「ふぅ……

 灰廉様が、いつ、どなたとなされるかの予定がみっちり決まっている中で、時に衝動のままにいたしますと、こうも全身が燃え上がるとは

 ……ありがとうございます」

「いやいや、お礼を言われるとは、翡翠君は本当にお好きなんですね」

「だって、今晩は瑠璃君に御渡りになる御予定ですよね?

 わたくしがこれだけの熱量をいただいてしまった後で、大丈夫なのですか?」


あー、瑠璃君……

よりにもよって、わたくしの元気がなかったら、自身に魅力がなくなったのかと傷つきそうで、こちらも頑張っているのですから灰廉様もお勤めを果たしてくださいまし、と仰りそうな……

まあ、その張り詰めた性格こそが、あの隙のない美を生み出しているわけですが……

活気と愛らしさの塊のような翡翠君とは違う彼女の魅力を思うと、大丈夫な気しかしませんが……


「そうですね、一応、強壮に効きそうな薬草をいただいておきましょうか」

「御任せください!

 牛蒡ごぼう、クコの実、鹿茸ろくじょうなどがおすすめですよ!」

「最後のは聞き覚えがありませんね……?」

「鹿の角です!」

「そ、そのようなものが効くのですね……

 もはや『薬草』ですらないではありませんか……」

「その効能があるならば、なんでも集めて参りますよ〜」


怖いもの飲みたさで鹿茸を調合していただいたところ、甘辛くてあたたかな味がし

……どれほど効いたのかはわかりませぬが、瑠璃君との夜を大いに愉しむことができました。

翡翠君、なんという末恐ろしいお方……

否、ある意味で皇室存続の大戦力です!

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