第26話 それでいい

 

 花火が何度も炸裂し、人々はそれに魅入る。参道もまた例外ではなく、俺はごった返した参道の中央で花火に暮れずに佇んでいた。

 黙々と沈着に、スマホに目を落としてその時を待つ。するとスマホが振動し、順平から『合図』が来た。


『こっちはいいぞ』


 確認し、瞑目する。小さく嘆息し、俺はゆっくりと神社の方へと歩み出す。

 道中、順平が居た。彼は境内にて真心の籠った優しい眼差しでこちらを見据えていて、俺も横目で返す。目が合うと彼は小さく微笑み──丸眼鏡を外し、ポニーテールを解いた。


「やっぱカッコぇな、あいつ」


 眼前に、イケメンが居た。風が吹けばその艶やかな髪は優雅に靡き、ふと目が合えばその精悍な顔が己の意中を満たす。人間の身でありながら神話のそれのような神々しさを放つその青年は、紛うことなく俺の親友である『南雲順平』だった。


 自然賛美の如く凛々しく佇む彼に、俺は感嘆する。


 俺は、『南雲順平』を知らない。彼がどんな環境で育ち、どんな人々と触れ合い、どんな人生を歩んできたのか、全く知らないのだ。ただ俺達は似たようなトラウマを抱え、それらを共有し、相互利益の為に親友という名の同盟を結んでいるに過ぎないのだから。けれどあいつは今、自身のトラウマと向き合っている。それも他でもない、俺の為だけに。

 ならばその覚悟に、俺もまた応えなければならない。


「ねぇねぇ、あの人すっごいイケメンじゃない?」

「わっ、服装すっごいダッサいけど……イケメンだ」

「すっごい残念なタイプのイケメンだ。……ギャップ萌えじゃん」


 花火であまり聞こえないが、三人組の女子の会話が微かに聞こえてくる。


「ねぇ、ちょっと私声掛けてみようかな」

「えーじゃああたしも!」

「ちょっともうあの二人ったら……まぁ私も行くんですけどねっ」


 一人二人三人と囲みが増えれば、もう後の祭りであった。


「……何かあそこ人多くない?」

「有名人でも来てるのかな?」

「なぁ、ちょっと見てみようぜ」


 次第に順平の周りに人は増えていき、巨大な輪を成す。順平もまたそれに応える。

すると花火で溢れ返る人々の通行整理をしていたであろうお祭り運営の人々もまた集まってきた。


「ちょっと! ここに溜まらないでください! 通行の邪魔になります!」


 お祭り運営の人員が次から次へと順平に割かれていく。

 その隙を見て、俺は神社の隣にある運営本部に向かった。純白の大型テントに包まれた運営本部から、慌ただしくスタッフと思しき人が出てくる。恐らく順平の件だろう。


「…………」


 俺は運営本部の前で立ち止まり、呼吸と心臓の鼓動を整える。


「……しっ」


 意を決し、運営本部の中へと入った。

 運営本部の中は多種多様の機材が並べられていて、薄暗く、外に出向いているのも相まって人気もない。

 俺は端の方でパイプ椅子に座りながら杖を突いて一休みしている老人に歩み寄り、話しかける。


「あの、すみません……。人混みで酔っちゃって……ここで少し休ませてもらう事ってできますか……?」

「え? あぁはいはい、じゃあここに座りなさい」

「はい、ありがとうございます……」


 隣のパイプ椅子に促され、俺は指示通りそこに座る。今一度、俺は凝視して運営本部の中を見渡した。

 周囲には老人の他に中年の男が二人、加えて若い女性と男の子の幼児が一人ずつ。男の子は目尻を赤く染めてすすり泣いており、それを若い女性が傍に付き添って慰めている。きっと迷子なのだろう。


 俺は一通り確認を終え、再度瞑目した。


 ……きっとこれ以上進めば、もう後には戻れないだろうな。


 悟って、今から己が使用としている重大性を理解する。一歩間違えば今まで以上のトラウマになるだろうし、そうじゃなくとも皆に多大な迷惑をかけることになるだろう。……それでも、例え身勝手だとしても、俺は前へ進みたい。進まなくちゃいけないのだ。

 そう決意を固める最中、若い女性が男の子と一緒にマイクの前に立ち、慣れた様子でアナウンスをしだした。


「お客様に迷子のご案内をいたします。青色の服に黒いズボンを着た鈴木優斗君のお母さんお父さん。優斗君が運営本部におりますので──」


 花火に負けず、スピーカーで籠った若い女性の声が神社内に響き渡った。繰り返し、アナウンスがなされる。


「繰り返しご案内いたします──」


 俺は木霊する迷子のアナウンスを聞きながら、気を引き締める。……いざ目の前にすると、冷汗が止まらない。抑えていた鼓動も、高鳴りだす。


 本当に俺は今から……禁忌を犯すんだな……。


 脳裏に最悪の結末が過ぎり、俺は焦点が定まらないまま目を伏せた。理性と衝動がぶつかり合い、呼吸もまた荒くなりだす。

 やがて迷子の放送は終わりを迎え、マイクの電源を落とそうとしたその刹那──俺はパイプ椅子を勢いよく倒して立ち上がった。


「「「「「え……」」」」」


 全員の視線がこちら一点に集まった。俺はそれらの視線に呼応するように、キッと、顔を上げて前を見据える。

 勇敢でありながら蛮勇に、理性的でありながら衝動的に、身体が勝手に動いた。多分この機会を逃せばもう二度とチャンスは訪れないという、本能から成る焦燥感の表れだろう。焦り、慌て、拙く、ぎこちない。……でも、それでいい。

 望むままに、己の赴くままに、俺は一歩を踏み出して若い女性に迫っていく。そして半ば強引にマイクを取った。


「え、は、ちょっ、あなた何してるんですか⁉」

「勝手にすみません。でも、俺も迷子なんです」

「まい、え……」


 困惑する若い女性を横目に、俺は目を閉じ、あの日蹲っていた雀と、今日助けを求めてきた雀をもう一度思い浮かべ、重ねる。

 あぁ懐かしくて……鬱陶しいなと、そう思った。

 俺からしてみれば梅雨の日の雀も今日の雀も、断ち切りたい思い出だ。俺という鬱陶しい存在が、雀という人間を今尚形作っているのなら尚更。だから多分、雀が好きなのは俺じゃない。あいつはお節介で身勝手で傲慢で自意識過剰でヒーロー気取りの偽善者な俺が……きっと好きなんだ。


 自分で思っていて虚しくなる。今にも逃げ出したくなってしまう。けれど──だとしても、それが今雀を救わない理由にはならない。俺の縛られたトラウマなんかで、雀に寂しい思いをさせちゃいけない。だったら今、何をすべきかは決まっているはずだ。


 そうだ、一度惚れさせて救って心を奪ったのなら、責任を持ってもう一回救って惚れさせてやる!


『お前さ、ウザいんだよ』


 必然にしてかかる声と現れる影に、だが俺は怯えずに立ち向かう。後悔がなんだ、トラウマがなんだ、偽善者がなんだ、俺は俺である。戒めなんかに縛られてたまるものか。


 俺はもう、絶対に逃げない。過去からも、現在からも、楓や雀からも──!


 意を決し、武者震いを起こし、俺は開眼してマイクを口に近づけ──確信を得る。


 俺はもう偽善者じゃない、嫌われ者の──悪人なんだと。そして、それでいいのだと。


「突然すみません! 俺には好きな人がいます‼」


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