第25話 これがいい

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。


 そうやって反芻して記憶を巡らす度、俺は後悔の念に苛まれる。駆けながら、苛まれる。


「……っ、はぁ……はぁ……」


 参道の雑踏の中を無理やり走っているせいか、無駄に体力は消耗し、フラフラとなってしまう。覚束ない足取りのせいで、よく誰かと肩をぶつけてしまう。その度、俺に向かって怒号が上がる。その怒号からも俺は無様に逃げ続ける。

 そうして走って、駆けて、逃げて──ふと、背後から悪魔のような声が聞こえた。


『お前さ、ウザいよ』


「ッ⁉」


 弾かれるように振り返る。が、そこには誰も居ない。……実際には。

 眼前に、あの時の男子生徒の影があった。その影はゆらゆらと陽炎の如く揺れていて、ずっとこちらを見据えている。

 それが薄気味悪くて、俺は咄嗟に一歩後ずさって身構えた。

 ……って、何やってんだ俺。アレはただの幻覚だろ、それよりも今は──『今は』?


『今』、俺は一体何をすべきなのだろう。……いや、俺にすべき事なんて何もないんだ。……過去からも逃げ、今という現在からも逃げ、あまつさえ楓や綾乃さんからも俺は逃げ出した──こんな俺なんかに。

 俺は罪悪感と後悔の渦呑み込まれ、胸の痛みを堪える為に噛み締め、項垂れる。自然と、あの影からも視線を外す。

 しかしその程度の事で、あの影は俺を逃してはくれるはずもなく──


『──お節介な独善者』


 ふと、影からそんな言葉を掛けられた。


「……それぐらい、分かってる……」


 鼓動を早くして、答える。だが──


『──自意識過剰な偽君子』


 ついで、影からそんな言葉を掛けられた。


「……そんなの、俺が一番よく知ってる……ッ」


 身の震えを抑え、答える。だが──


『──ヒーロー気取りの偽善者』


 続いて、影からそんな言葉を掛けられた。


「……ッ、そんぐらい、死ぬほど痛感してんだよッ……」


 呼吸を荒くして、答える。だが──


『──


 また、そんな言葉を掛けられた。


「ッ! だから分かってるって言ってんだろッッッ‼」


 振り払いたくて、俺は慌てて声を荒げた。

しかし喧騒の中とはいえ突発的に飛び出した怒号は一瞬で周囲の視線を集中させ、どよめかせる。


「え、独り言……?」

「ヤッバ……」

「こわっ……離れようぜ……」


 俺は我に返ってすぐさま周囲を見渡したが、その時にはもう既に遅かった。


「あ、いやっ、その……」


 アタフタとしながら言い繕う言葉を探すが、浴びせられる冷ややかな視線に俺は硬直してしまう。次第に人も離れていき、ヒソヒソと陰口らしき会話も聞こえてきた。……それらの視線と陰口から、俺は過去に降りかかった悪夢を脳裏で連想させてしまう。


「……っ!」


 俺は蘇ったトラウマによる苦しさに耐え切れず、躓いて転びかけながらも走り出す。結局、また逃げ出してしまった。


 あぁ……そうか……。


 駆けていく中で、俺は己の定めを悟る。これはきっと……『原罪』なのだと。

 過去は消えない。同時に、過去は変えられない。故に、過ちもまた拭えない。未来にしか進むことが出来ない人間は、ずっとその過ちという過去に蝕まれ続けなければならないのだ。

 そう信じ込むと、不思議とこの現状を受け入れられた。苦しみから、ほんの少しだけ楽になれた気がした。


 諦念と言えばそれまでだが、これでいい……これでいいのだ。


「はぁっ……! はぁっ……!」


 俺は意味もなければ果てもなく、とにかくがむしゃらに走り続ける。限界も忘れ、速度もどんどん上げていく。ここは自分が居るべき場所じゃない──そう言い聞かせ、次から次へと群衆を破竹の勢いで抜いていく。


 そうだ、……


 目的、使命、意志、その全てを押し殺し、俺は自身の存在すらも否定する。そうする事で己の生きる意味すらも忘却し、文字通り……息を殺すことが出来た。


 そう、これこそが……俺が負うべき『原罪』なん、だ……。


 短時間の過度な走り込みよって酸素が枯渇し、息切れから眩暈が起こる。思考も断絶的となり、まともに働かなくなる。


 苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しいッ‼


 でも、これで……やっ、と──

 そう、意識が途絶えそうな時だった。

 ──ポケットの中身が振動したのは。


「はぁ! はぁ! はぁ! はぁ! はぁ! はぁ! ……っ、誰だよこんな時に……」


 俺は息が絶え絶えになりながらも膝に手をつき、意識を振り絞ってポケットからスマホを取り出す。画面には動画とメッセージが一通ずつ送られてきている。送り主はあむからだ。

 俺は画面を押し、動画とメッセージを開いて──


「……え」


 ──唖然とした。


『あやのさんいた! とりいのとこ!』


 そんなメッセージと共に送られてきた動画には、顔は映っていないが紅色に紅桜の模様が描かれた着物を着た少女──恐らく雀と、黒い半袖にジーンズを履いた見知らぬ中年男性が映っている。中年男性はその少女の手を引いている様子だった。


『誰だ、君は』


 あむが会話の途中で動画を回したのか、動画が再生された途端に音声が始まる。中年男性の声だ。


『……あ、いえ、うちはただ綾乃さんに用があって……』


 男性を前にし、あむの怯んだ声。


『なるほどそうか、君は雀の連れの子か。「娘」がすまなかったな。……だが、これは「家族」の問題なんだ。部外者である君には関係ない』

『! あ、ちょっと……!』


 そう言って、強引に少女の腕を引っ張る中年男性──いや、雀の父親。

 そのまま二人は離れていき、動画に二人の身体全体が映り込む。明瞭となり、着物を着た少女が雀であることが確認できた。

 同時に、あむと順平と椎名先輩のメッセージの通知が次から次へと流れ始める。


 あいつ……だから警察沙汰嫌ってたのか。


 俺はそんな事を浮かべながら流れていく通知を呆然と見つめ……視線を外す。


 ……まぁでも、俺にはもう関係のない事か……。


 見つかったとて、わざわざ追いかける気にはならなかった。一度、楓と雀から逃げた俺にそんな資格などないのだから。


 俺はとぼとぼと歩き始める。呼吸をゆっくりと整えていく。そうしている間にもスマホは幾度となく振動し、通知が止まない。それが気になって仕方がなく、俺は我慢できずに再度画面を見て──動画の続きが目に入る。

 動画には既に遠く離れた雀とその父親の背中が小さく映っていて、今にも喧騒に飲まれそうであった。

 連れていかれる雀を見つめ、俺は悟る。これでもう……あの騒々しい日々も終わる、と。そう、悟ったはずなのに──雀は喧騒に呑まれる寸前、振り返った。


「……え」


 その顔は悲しげながらも決して俯いてはおらず、寧ろ手の届かない『何か』を必死に望んでいるような、何故か既視感のある表情をしている。

 先程の悲壮感具合が嘘みたいなそのまっすぐにこちらを覗くような深紅の眼差しに、俺は唖然となった。


「何だよ、その顔……」


 不思議と胸がゾワゾワする。散々自分を卑下しておいて、どういうつもりだと疑念が走る。雑念が入り交じって訳が分からない。自分の感情も思考も、雀自身も……。

 苦しみ、悩み、俺は艱難辛苦に至る。……それでも、拭い切れないほどの既視感がそこにはあった。


 あぁもう……何だ、一体何なんだ……この胸のざわめきは……。


 俺は翻弄されながらも、画面に映る雀を凝視する。

 すると雀は──儚く、震えながら、哀愁を漂わせ、開口した。


『タ、ス、ケ、テ』


 声は喧騒に搔き消され、決して届いてはこない。けれども口の動きを見たその瞬間、俺は不覚にも〝可哀そうなど〟と、思った。


 え、〝可哀そう〟……? なんで今更そんな感情が──いや、そうか。


 唐突に覗いた深紅の瞳が、小さな口ぶりが、いつかの梅雨の日の少女と合致する。

 俺は腑に落ち、嘆息した。不思議と口角も上がってしまう。


「ハハッ……そっか、そうだったんだな……、通りで見覚えがあるわけだ」


 だとすれば……このままで良いはずがない!


 俺は今まで困っている人が居ればその都度手を差し伸べ、救ってみせた。だがそれが結果的に余計に人を苦しめ、嫌われる羽目となり、俺は人助けがトラウマとなってしまった。しかし生まれつき根底に根付いた癖とは案外拭え切れないもので……ある梅雨の日、俺は迷子になっていた一人の少女を救った──いや、救ってしまった。

 そしてその少女が今、この場に居て、あの時と同じようにまた助けを求めている。けれど──


「楓……」


 ──脳裏に、先程突き付けられた選択と楓の姿が浮かんでくる。そうだ、もうあの時の俺はここには居ない。あの時と同じ思いは、もう二度としたくない……。あの悲劇の日、去っていく男子生徒の背中を見て、俺はそう決めたんだ。

 スマホを握る手に力が入る。高鳴る胸の鼓動をもう片方の手で掴み、確かに感じた。


 俺は、あの日を悲劇だと思っている。でもだったら何で──


「──何で、俺は悔しがってんだよ……ッ!」


 顔を歪めた。涙が零れた。感情を吐露した。歯を噛み締めた。……全部、俺の本音だ。

 俺はあの悲劇の日がトラウマで、今でも心を蝕まれている。……それでもそれ以上に、高鳴る胸の鼓動が、全身を帯びる熱が、駆られる感情の衝動が──『救え』と、閉ざされた胸の扉を叩いてきているのだ。そしてその衝撃は徐々に強まっていき、やがて閉ざされた胸の扉という名のトラウマを抉じ開け──飽和した。


「……決めた」


 俺は独り言ち、起き上がる。スマホを淡々と操作し、順平に電話を掛けた。二度着信したところで、順平は電話に出る。


『賢人氏! 賢人氏! 一体何処に居るでござるか⁉ 今すぐ鳥居に向かい──!』


 順平が電話越しに慌てふためく。

 耳を劈くようなその威勢に、俺は動じず、ひっそりとその名を呼ぶ。


「順平……」

『……? ど、どうしたでござるか……?』

「俺は……もう逃げないぞ。だからどうか、お前の力を貸してほしい」


 電話越しでも分かる、順平の息を呑む音。


『……なるほど、分かりましたぞ。であれば、僕も一肌脱ぐしかないでござるな』

「え、いや、別にそこまでは……」

『何を言うか! 親友の色恋を後押しするのもまた親友の務めですぞ!』

「色恋って……、まぁでもそうか……そうだよな」


 呆れつつも、俺は微笑む。そのまま息を大きく吸って、吐く。


「よしっ、決まりだ──」


 仰ぎ、決意する。


「──それじゃあ……始めるぞ」


 瞬き、空が色とりどりな花火で彩られる。それらはまるで祝福するかの如く……俺を照らしていた。

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