第24話 恐怖


 今、私の前には二人の男女が居る。

 二人は私の見知った人達で、なにやら話し合いをしていて少々騒々しかった。だが私の知っているあの二人なら、この騒がしさはいつものことで何の問題もない。ただ一つ、異様だと感じたのは……女の方だ。


 ひっそりと覗き見をすれば、女は皮肉に笑い、男は怖気づいて彼女の笑みに呑まれていく。

 聞き耳を立てて謹聴すれば、その信じ難い会話内容に当の私すらも目を瞠って驚愕する。

 すると、男の方が走り出した。いや……逃げ出した。

 女は一人取り残され、それでも依然として去っていく男を見据えてニヒルに笑っていた。

 それが許せなくて、異常なほどの嫌悪感に襲われる。

 私は我慢できず、前へ一歩を踏み出し、語気を強めて言った。


「貴方、一体どういうつもりかしら?」

「あ、椎名先輩、奇遇ですね」

「……白々しい」


 先程までの嫌悪感丸出しの笑みを引っ込め、当たり障りのない返事をする矢野さん。

 私は怒りに身を任せ、けれど冷静に会話する。


「貴方達が話し合っていた事、私は最初から聞いていたのよ。それを踏まえた上で再度訊かせてもらうわ。……一体、どういうつもりかしら?」


 冷静に、冷酷に、冷徹に、問う。

 対して矢野さんは表情を変えず、しかし口調だけ低くして返答する。


「風紀委員長でもあろうお方が盗み聞きなんて、酷いですね」

「あら、親友を平気で天秤に掛ける貴方ほどではないわ。それに勘違いしているようなら申し訳ないけれど、私はあくまでも仲裁の為にこの場に出たの。別に説教がしたいわけじゃないわ」

「そうですか。であれば問題ありませんね。ケー君は、私の愛しのケー君は……悲劇に見舞われる全ての人々を救ってくれるので……」


 狂信的だと感じた。気味悪く火照るその顔も、おっとりとしたその口調も全て。


 さっきから何なの……気持ち悪い……。


 私は気味悪さと苛立ちのあまり右手を振って払いのけ、叫ぶ。


「根拠もなしに何を──!」

「──根拠ならあります」

「っ……!」


 うっとりとしていたのが一変、面と向かった迷いのない断言に私はつい口を噤む。

 私は動揺を隠す為、すぐに腕を組んで構えた。


「……へぇ、一体何かしら?」


 おちょくるように、私は問う。


 が、矢野さんはたじろぐ様子を見せず、寧ろ微笑んで熱烈に述べてきた。


「フフッ、それは勿論……ケー君だからです!」

「…………は?」


 一瞬、時が止まった。刹那、ヒヤリと空気が変わった。頭から先まで、意味が分からなかった。……ただ一つ、自身が矢野さんの恐怖に呑まれ始めたという事以外は。

 矢野さんは恍惚の眼差しを動揺する私に向け、言葉を連ねていった。


「そう、ケー君はいつだって凄いんです! いつも素っ気なさそうだけど実はよく気を遣ってくれるところとか、寂しい時はいつも隣に居てくれるところとか、ノリが良いから一緒に居て楽しいところとか、初々しくて可愛いところとか、よく無理して背伸びしちゃって愛らしいところとか……とにかく、本当は、本当は感情豊かで人の為だったらなんだって出来ちゃう──友達想いで優しい人なんです」

「…………」


 根拠もなければ意味さえも成さない、ただの感想の羅列に私は茫然としてしまう。だがそのままだと矢野さんに吞まれそうな気がして、私は絞り出すように声を出した。


「……何よそれ、ただの……貴方の感想じゃない」


 網羅の感想に、安直な感想で返す。

 そうして私は正気を取り戻し、冷静になり──呆れた。

 内には煮え返るような怒りもなく、打ちひしがれるような悲壮感もなく、ただただ無情で殺風景な砂漠のようなものが広がっている。

 私は目的も伝えたかった事も忘れ、若干引き気味に問うた。


「……たったそれだけの理由で、国枝さんにあんな無理を強いたのかしら?」


 視界の先、見覚えのあるニヒルな笑みが浮かぶ。


「はい、だってぇ……好きな人にはついつい意地悪したくなっちゃうじゃないですかぁ……。ちょっとした照れ隠し……的な? フフッ……」

「照れ隠し、ね……」


 無意識に乾いた笑みが零れた。


 ハハッ……こいつヤバ……。


 眼前の少女の全てが分からなくて、私はあっけに取られてそう思う。すると何故だか肩の力が抜けて気が楽になってきて、今なら風紀委員長という肩書も忘れて何でも出来るような気がしてきた。

そんな幼気な衝動に駆られ、私は今まで見たこともないような悪辣な笑みを浮かべて、告げる。そして──


「ハハ……やっぱり貴方、『最低な女』ね」


 ──空をヒュ~と駆け上っていく灯のような小さな尾が達し、炸裂し、咲く。

矢野さんを背後にして打ち上がった花火は、私と矢野さんをこれでもかと映し出す。

そんな色とりどりな花火を背にする矢野さんの顔は逆光なってあまりよく見えない。……でも何となく、どんな顔をしているのかは想像に難くなかった。


「フフッ……誉め言葉として受け取っておきます」


 次の瞬間、またしても虚空に花火が咲く。

 案の定、虚空を彩る様々な花火で矢野さんの顔はよく見えない。けれど薄闇となった視界の先で、微かにだが……彼女の口角がひっそりと上がっているような気がした。

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