第23話 やっぱ癖の強い彼女 矢野楓
祭りは参道周辺で行われているせいか、端の境内には人気や明かりが少なく、静穏が広がっている。だから一人で過ごすには、心地よい場所だった。
「…………」
俺は参道から差し込む提灯の微かな明かりに照らされながら、ベンチに座って耽る。
人々が目の前を行き交い、通り過ぎていく。そんな群衆を、流れ行く一人一人を、俺はチラリとつい目で追ってしまう。……もしかしたらあいつが居るかもしれないと、そんな淡い希望を抱きながら。
が、すぐに理性が働く。
「っ、何やってんだ、俺は……」
GWの時、俺は楓に告白した。告白して、恋人同士になった。そしてそれは今も変わらない。……だというのに俺は今、無意識のうちにあいつの事を探してしまっていた。それが許せなくて、やるせない。
突然、ポケットに入っていたスマホが振動する。スマホを取り出して見てみると、順平からメッセージが届いていた。
『境内の方はどうでござるか?』
内容を見て返信する。
『見つからない。連絡も繋がらないし』
俺はフッと、鼻で笑った。
どちらかと言うと、探していないの方が正しいか。
話を逸らすように続けて送る。
『拝殿は?』
二度、スマホが振動する。
『こっちも居ないでござる……』
『石段の方を探しているあむ氏と、参道の方を探している椎名氏も「居ない」と。後は展望台を探している矢野氏だけなのですが……』
俺は妙な間に首を傾げる。
『どうした?』
『それが実は……矢野氏の連絡先を持ってないでござる』
『何でだよ』
『何でも何も、古よりオタクとギャルは相容れない存在同士故……』
『よくもまぁオタクとギャルを対等に語れたな。……まぁ分かった。俺が連絡する』
『助かる』
そこで順平とのやり取りは止まる。
俺は堪らずため息をついた。
「はぁ……何で俺がこんなことを……」
零れそうになる愚痴を必死に抑え、俺は楓へとメッセージを送る。
『そっちの方はどうだ?』
数秒後、振動。
『展望台は居ない』
『分かった』
「…………」
そこでピタリと、メッセージは止まった。
といっても別に必要最低限のやり取りをしただけで、何の問題もない。……でも何故か、気まずかった。
……理由は、分かっている。分かっているのに、どうして俺は……。
楓とのやり取りの画面を開いたまま、俺は身を縮こまして項垂れる。
自分が心底情けない。せっかく楓は俺と付き合ってくれたのに、これでは彼氏として示しがつかないままだ。
俺は咄嗟に脳裏に楓の姿を連想させる。……だがそうする度、嫌でも蘇ってきてしまう。あいつとの、騒がしい日々を。思い返してみれば楓との日々にはいつも隣にあいつが居た。二度目の告白の時も、お泊り会の時も、先程までも……ずっと。あいつはいつも俺と楓の傍に居て、そして俺はそんな日々を何処か楽しんでいる自分が居たんだ。
多分この感情は、そんなかけがいのない日々からくるものなんだろうな……。
でもだからこそそんな自分が許せなくて、やるせない。
俺は考えに耽って悶々としてしまう。
やがて間を置いてスマホが振動する。
「……?」
一通りの連絡も報告も終え、ぼっち故に誰かから連絡がくることはもうないはず。となると家族の誰かかと思い、俺は何の気なしにスマホに目を落とし──瞠った。
「……何だよこれ」
メッセージの相手は……またもや楓だ。しかし問題なのは、そこじゃなかった。
『今から展望台に来て』
そのメッセージは何気なく、素っ気ない。だが目を落とした瞬間、不思議と全身にひんやりとした冷気が走る。
俺はそんな冷気に突き動かされるようにして、ベンチから立ち上がった。
※
「おまたせ、楓」
拝殿の横にある雑木林を抜けた先で、楓は待っていた。
暗闇に染まった空、花火を見ようと集まる人々の中に佇む楓に向け、俺は声を掛ける。
気付いたのか、こちらを振り返って小さく手を振る楓。
「ごめんね、わざわざ来てもらっちゃって」
「いやいや、他でもない彼女からの頼みだし別にいいよ」
「そっか、じゃあちょっとついてきて」
「?」
そう言って楓は踵を返して歩き出す。
何というか……素っ気ない、そう感じた。
けれど置いてかれるわけにもいかず、俺は後を追う。
ついていくと楓は更に展望台の雑木林に入り、もはや道ですらない道を歩んでいく。完全に人気もなくなり、虫の音だけが響き渡る暗闇。そんな中を進んでいくと、やがて雑木林を抜け、広々とした光景が目の前に映し出された。
「わぁ……凄いなここ」
眼前には規制線の一つもない崖があり、その先には月夜に照らされ微かに煌く広大の海と、数々の星々が見下ろしてくる薄暗い空。
海と空の境界が分からないその純黒の光景に、俺は感嘆を漏らす。同時に、どうして楓がここに連れてきたのかを理解した。
この祭りでは山から花火を見るのがセオリーとされており、基本的に人々は見やすくて近い展望台に集まる。つまりここはそんな展望台の端、人が一切立ち入らない雑木林を挟んだ臨界──即ち、ここは絶好の花火見スポットということなのだ。
「ね、いいでしょここ、花火がよく見れそうで。雀ちゃんを探してる時に見つけたの」
「へぇー凄いな。……それで、何か用か?」
崖っぷちに立っていた楓がゆっくりと振り返る。薄暗くてよく顔は見えなかったが、少しだけ口角が上がっているように見えた。
「……それじゃ、単刀直入に言うね」
改まって、告げる。
「ケー君、私と一緒に花火を見ようよ」
最初、意味が分からなかった。
……え? は? 花火? 一体、何を言ってるんだ……?
今は雀を探す時間で、皆雀が心配で仕方ないというのに。
戸惑いつつ、俺は問う。
「……ここで?」
「そう」
「……二人っきりで?」
「うん」
「……何で今?」
「今だからこそ」
俺は苦笑する。
「……理解できないな」
「何で?」
まるで俺の方がおかしいかのように逆に問われ、憤然に答えた。
「そりゃ皆で綾乃さんを探している時に二人っきりで花火なんて──」
「──悪いの?」
「え」
予期せぬ反論に、俺は面食らう。
楓は一度たりとも視線を逸らさず、今もこちらを真摯な眼差しで見つめている。
それがあまりにも確然としているものだから、俺は直視できずに視線を外す。
「いやまぁ……悪いと、思う」
一瞬、答えるのに言い淀んでしまった。
その隙に付け入るかのように、楓は俺に一歩踏み出す。
「そっか。でも私達って恋人同士だし、遠慮する必要ないよ?」
「……恋人同士だからって、何をしても許されるわけじゃない」
「フフッ、恋人同士でイケないことって良いよね」
楓の微笑む姿を見て、話にならないと思った。けれどこれもいつも通り、いつも通りなのだ。否定し続ければ……問題ない。
「……やっぱり理解できないな」
「そうなんだね」
苦笑を浮かべた、視線を逸らしながらの否定。
そんな明らかに動揺を来した俺の姿に、楓は見透かしたようにほくそ笑む。
その笑みが怖くて、その笑みが理解できなくて、俺は後ずさりそうになる。それでも踏み止まり、身を強張らせて問い続けた。
「なぁ楓、一体君にとって綾乃さんはどういう人間なんだ?」
俺の問いに楓は視線を落とし、しばし黙考する。やがて口を開き、追想するかの如く語りだす。
「……そうだね、思うままに言うなら……親友であり、恋敵であり、彼女同士であり、同じ
「! じゃあ何で──」
「──言ったでしょ、だからこそだって」
「……は? 意味、分かんねぇよ……」
怒りよりも先に当惑が勝り、俺は俯かせて狼狽する。
それでも、楓は淡々と言葉を連ねていく。募らせた想いを吐露する、甘酸っぱい告白のそれのように。
「親友だから、恋敵だから、彼女同士だから、同じ人を愛したから……私はこうするの。……全て、君と雀ちゃんの為なんだよ?」
「俺と、綾乃さんの為……?」
俺はハッと、顔を上げる。視界に楓が映り込む。
楓は……恥ずかしそうに頬を赤らめていた。恋する乙女のようだった。……どうしてそんな顔ができるのかと思った。
楓は胸に右手を当て、キュッと右手を引き締める。
「そう、私はケー君が大好き。その次位に雀ちゃんも好き。つまりこれはそんな二人に対する愛故の行動なの」
「……そんなの、おかしいぞ」
とにかく、否定したかった。
「かもね」
こんなの、認めたくなった。
「じゃあ何でこんな事……」
でも、それでも、楓は──
「……ごめんね。私、止められないの」
──もう片方の手を俺に伸ばし、ときめかせて……豪語。
「さぁ、欲望の赴くままに選んで。私と花火を見るか、雀ちゃんを追いかけるか──」
眩しい光を発する楓は、美しかった。
だから俺はそのあまりの眩しさを直視できず、俯いて身震いしてしまう。
声も身体も震わせて、恐る恐る問うた。
「……楓はさ、俺にどうなってほしいんだ?」
「幸せになってほしい」
曇り一つない、眩しすぎる返答。
その無垢な光に当てられて激情を逆なでされるが、動じない。
「……じゃあその選択を迫るのが、俺の幸せだって言うのか?」
「うん」
楓は純情に微笑み、陳ずる。
「だって二人の彼女から言い寄られて、そんな二人の彼女と恋をして、最終的にはどちらかを選ばないといけないっていう禁断の選択を迫られるって……幸せなことじゃない?」
恋する乙女こと楓は夢を見ているようで、その身勝手な幸せに瞳を輝かせる。
俺は楓の楽観的な思考に堪らず口を出す。
「……そんなの綾乃さんを利用しただけの理想の押し付けだよ」
楓は物怖じせず頷く。次には目を細めて、
「うん、そうだね。……でも私知ってるよ。ケー君は雀ちゃんに言い寄られて満更でもなかったって」
「……っ、そ、それは……」
覚えがあって言い淀む俺に、楓は一笑して更に一歩踏み出してくる。
「ケー君は正直な男の子だからね。まぁそういうところが好きなんだけど」
楓はまたしても微笑み、続いてニヒルな笑みを浮かべた。
「というか雀ちゃん、あの感じを見るに多分……この機会を逃したら私達の前から居なくなるんじゃない?」
楓の意味深な笑みとその言葉に、俺の背筋にゾクッと悪寒が走った。
……っ、このまま楓の思い通りになってたまるか……!
そう決心し、俺は歯噛みをして怯まずに声を荒げる。しかし──
「わ、分かってるなら何で──!」
「──決まってるじゃん、その方が面白いからだよ」
「……は?」
──食い気味に、楓は俺の言葉を劈いた。
そしてそれを合図に、俺の全てが瓦解する。
「おも、しろい……? お前、何を言って……」
理解できない『何か』から逃れようと、俺はそこで始めて後ずさった。
けれども楓は俺を愛でるかのように、優しい微笑みを浮かべながら一歩、また一歩とゆっくり歩み寄ってくる。
「だってほら、恋には障害が付き物でしょ? その障害を乗り越えて初めて、本当の意味での恋人同士になれると私は思うの」
俺は咄嗟に否定したかったが、絶句して言葉が出ない。もう俺の目には……楓が化け物のような『何か』にしか見えていなかった。
楓はそんな怖気づく俺に、徐に両手を伸ばす。そのまま火照った顔でうっとりと首を傾げ、蠱惑的で魅惑的な、秋波を送るような目でこちらを見据え、開口する。
「それに私、困ってるケー君の顔……大大大好物だからぁ……」
愛情が爆発し、歯止めが利かなくなった楓を見て、俺は
「……狂ってる」
「そう、私はケー君を狂おしいほどに愛してる……」
「……っ」
無意識に出た霞んだ雑言は楓には一切効かず、寧ろ彼女の愛情を引き立てるばかり。
俺は絶望からやるせなさに駆られ、呼吸が荒くなり、目の焦点が合わなくなる。
クソッ……こんなの、こんな事って……。
信じられない現実から逃避したくて、今すぐ全てを投げ出したくて、俺はパニックを来す。やがてその混乱は限界に達し、俺は現実から、選択から、楓から、あっけなく、情けなく、惨めったらしく……逃げ出した。
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