第20話 負けヒロイン

 

 海と雲の狭間にある地平線は薄暮に染まり、淡い橙色が広がっている。

 夕暮れ。

 俺達一行はビーチを後にし、俺と順平と椎名先輩は最寄り駅前に集まっていた。そこへ、三人の人影が迫ってくる。


「あ、ケン君! おっまたー!」

「お待たせ、ケー君」

「ねぇなんかあたしの浴衣の帯キツいんだけど」


 三人とは雀、楓、あむの事であった。そして三人はあむの発言から察せる通り、浴衣を着ている。


「どうどう? うちの浴衣姿。今度はちゃんと言えるかな~?」


 雀の浴衣は紅色を背後にして紅桜の模様で彩られており、雀自身が持つ自信満々な様子と嚙み合って華やかな印象を博していた。


 そんな揶揄いの笑みを浮かべて上目遣いをしてくる雀に、俺は気恥ずかしくなって目を逸らそうとする……が、ビーチでの一件を思い出して踏み止まる。


 えっと、こういう時は確か……!


 次には喉を振り絞り、声を張った。


「可愛い……ぞ!」


 そう、断言する。勿論本音だ。

 だがそうするとことで、やきもちを焼いて頬を膨らませる者が一人。


「……私は?」


 少々可愛い子ぶった仕草で、楓が俺の服の裾を引っ張る。


 楓の浴衣は群青色一色に様々な種類の紫陽花あじさいが描かれており、夕暮れ空も相まって何処か美しさと儚さを内包していた。加えて昼間の時と同様に長髪を三つ編み纏めている。


 俺はそんな楓の浴衣姿に見惚れ、つい思いの丈をぶつけてしまう。


「! 楓! 綺麗だ! めっちゃ綺麗で可愛い!」

「あ、うん……ありがとう……」


 初々しく照れる楓。可愛い。


「ちょっと~かえっちだけ忖度酷くな~い?」


 横から不平不満を漏らす雀。可愛くない。

 俺は雀に反論する。


「だって仕方ないだろ、俺の率直な感想なんだからさ」

「も~! そんな事言わずに女の子は平等に褒めなきゃ!」

「それもうただ綾乃さんが褒められたいだけでしょ」


 俺は呆れて雀にジト目を向ける。

 その間にもあむは帯ばかりを気にしていて、困り果てた様子でしどろもどりしていた。


「うぅ……お兄ちゃんこれなんとかしてぇ……」

「んん? おう、兄に任せろ」


 そうして帯に手を掛けると、嫌でもあむの浴衣が目に入ってしまう。


 あむの浴衣は純黒を中心にして複数の白線が惹かれた鮮やかな模様をしており、更にフリルの付いたミニスカートがあむらしいあどけなさを強調している。


 端的に言って、可愛い、と思った。

 だからか変に動揺してしまい、盗み聞きの一件もあってか帯を調整する手もぎこちなくなってしまう。


「っ! はい! 終わり! できた!」

「えっ全然キツいままなんだけど?」

「悪いな、浴衣の知識は全くないんだ」

「よくそれで自信満々に引き受けたね」

「まっ男ならそういう時もあるもんさ」

「誤魔化しかた下手過ぎない?」


 あむの辛辣な言動に、俺は目を逸らして無視を決め込む。

 そんな俺と周囲のやり取りを見ていた順平が、やれやれといった風に声を掛けてきた。


「いやぁ自我の強い女子達に言い寄られては癖の強い妹の面倒を見る、賢人氏は大変ですなぁ」

「傍観者を気取ってるところ悪いがお前もそっち側だからな」

「ほんと、全くだわ。揃いも揃って羽目を外しちゃって、自分達が高校生だと自覚はあるのかしら」

「ふうきいいんちょー、後輩達の旅行にこっそりついてくるのもどうかと思いまーす」


 順平と椎名先輩の謎の絡み方を、俺は適切に対処する。

 すると椎名先輩は開き直ったか、周囲を見渡して指揮をしだした。本当に白々しい。


「ということで皆さんも集まったことですし、行きましょうか! 『夏祭り』へ!」

「「「「「おー!」」」」」


 旅行終盤。

 薄暮が群青に飲み込まれ、街明かりが点灯し始めて俺達を照らしだす頃。

 全員の息が合い、全員の意志が合わさってかけがいのない青春が始まる──はずだった。


 一人、スマホに深紅の瞳を落とし、陰翳とした電柱の下で項垂れていなければ。

俺はそんな少女を横目に見て、不思議と、既視感を覚えた。……〝可哀そう〟と。


       ※


 夏祭りは海岸の傍の一回り大きな山の上にある神社周辺で行われており、昼頃から開催されているのも相まって山は灯のような明かりで埋め尽くされては既に老若男女が行き交っていた。

 俺達はそんな山の麓、つまりは石段の目の前でその山を見上げる。


「……しっかし、よく今日祭りがあるって分かってたよな。リサーチ完璧じゃん、楓」

「うん、それにこのお祭り、沖合にある離島から花火が打ち上がるの」

「おお、つまり離島から打ち上がる花火をこの大きな山から見ると。いやはや豪勢ですなぁ」

「ええ、そうね。ここなら一味違う花火を味わえそうだわ」

「いや椎名先輩……もうナチュラルに楽しもうとしてるじゃないですか……」

「あら、失敬ね。私はこう見えてもしっかりと貴方達の監視を──」

「お、ちょっと調べてみたらこの祭り、『純潔王子と孤狼のナイショゴト』とのコラボをしてるらしいですぞ」

「──こうしてはいられないわ。急ぎましょう今すぐに……って、国枝さんが言ってるわ」

「⁉」


 推し作品を聞いた途端に取り乱したかと思えば、すぐさま冷静になってBLオタクの称号を俺に擦り付けてくる椎名先輩。

 ハッキリ言って、クズである。人でなしである。……とは言ったものの、椎名先輩との同盟関係を隠す為には便乗する他ない。

 周囲から物珍しそうな視線を浴びながら、俺はなんとか言葉を紡いでいく。


「えっとぉ……実は俺……BLに興味がありまして……」


 引き攣った笑みがキツい。我ながら見てられない。

 順平はそんな俺を見て歩み寄ってきて、ガシッと肩を掴んできた。


「賢人氏……」

「な、なんだよ……」


 順平は低い声音のまま、神妙な面持ちで丸眼鏡を光らせる。

 その異様な雰囲気に吞み込まれ、俺はゴクリと息を呑む。


 ……順平の奴、揶揄ってくるんじゃ……。


 順平の事だからと嫌な思い出が想起し、俺は身構えた。

 やがて順平は振り絞るように、吐露する。


「どうか、僕の初めてだけは……」

「食わねぇよ⁉」


 斜め四十五度の予想外の返答に、俺は仰天してツッコむ。そのまま引き結んでいた緊張も解れ、肩を落とす。


「ったく、順平は俺をなんだと思ってるんだ……」

「薄情な女たらし、ですな」

「以下同文、ね」

「以下同文、だと思う」

「君達人の心あるの?」


 順平と椎名先輩と楓と俺のスムーズな会話のキャッチボールを横に、畏まっていた雀が割り込んでくる。


「……その、ごめん。うちちょっとトイレ行ってくる。待たせると悪いから先行っといて」

「そう、分かったわ」

「ですがこの夜道の中を女の子一人は酷というもの。ということで薄情な女たらしこと賢人氏、付きそうでござるよ」

「えぇ……まぁ別にいいけどさ」


 BLから逃れるなら何でもいいと、俺は潔く承諾。

 雀は……今も深紅の瞳をスマホに落とし、何処か心ここにあらずと言った様子だった。


「…………」


 俺は目を眇め、浮かない表情の雀を横目に見る。……先程感じた既視感は、未だ不明瞭なままに。

 

       ※


「……綾乃さんのあの表情、絶対何か悩み事があるやつだよな、アレ……」


 森林で覆われた閉鎖的で薄暗い公園の公衆トイレにて、俺はベンチに座って独り言つ。そして木の葉から覗かせる月を見上げて、思う。


 まぁアレに勘付いたのは、それだけじゃないけど……。


 祭りの喧騒から少々離れたその場所は人の気配が一切なく、虫の音で溢れかえっている。……だからか、否応なしに聞こえてきてしまうのだ。咽び泣くそれが。

 俺はどうしたものかと頭を掻く。


 ……流石にアレを無視はできないし、相談ぐらいは……。


 そこまで思考を巡らせたところで、雀が平然とした顔で公衆トイレから出てきた。


「……お、ちゃんと出たか?」

「出たかって、トイレから出てきた女の子にそれは失礼でしょー?」

「違うって……俺が言ってるのは、ソレの事だ」

「え……」


 俺は雀の顔を指で差す。

 当惑する雀。

 構わず、続ける。


「綾乃さん、トイレで泣いてただろ。ほら顔、拭い切れてないぞ。というかちょっと声聞こえてたし」


 俺はありのまま自分の知る限りの情報を伝え、真っ向から勝負を仕掛けた。

 そんな踏み込んだ俺に、雀は一瞬顔を俯かせ、にへらと笑う。


「……ケー君は、心配してくれるんだね」

「そりゃそうだろ、だって──」


 泣いてる女の子を放っては置けない、とは言えなくて、


『お前さ、ウザいよ』


 脳裏に過ぎる戒め過去の記憶に、言葉が詰まった。

 雀は言葉を止めた俺に首を傾げて語り掛けてくる。


「──だって、何?」

「……いや、なんでも。それよりも早く行こう、皆が待ってる」


 誤魔化すように、はたまた逃げるように俺はベンチから立ち上がって足早に雀を横切った。

 そんな俺に倣ってか、背後から雀の踵を返す靴音が聞こえる。しかし、肝心の足音は聞こえてこない。


「ねぇケン君」

「何だよ」


 呼び止められ、振り向かずに返答する。

 次の瞬間、雀は俺からでも分かるほどの大きな深呼吸し──


「うち、ケン君がだぁーいすきっ‼」

「…………」


 ──虫の音に満ちていた公園に、大胆な告白を響かせる。


 ……、とは言わなんだな。


 だが俺は動揺することなく振り返り、淡々とその告白を受け入れた。返事は決まっている。


「悪いが、答えは変わらないぞ」

「うん、分かってる。それでも今伝えなきゃいけないと思ったから、伝えた」

「そうか」

「…………」

「…………」


 思いの外淡白に会話が終わり、静寂が広がり、虫の音が再度満ちる。


「もし……」

「?」


 ふと、顔を俯かせたまま沈むような声色で雀が呟いた。

 俺はその妙な空気に呑まれ、目を細める。

 雀は決心がついたのか、ゆっくりと言葉を連ねていく。


「……もし、ここから二人で抜け出そうって言ったら、ケン君は一緒に抜け出してくれる?」


 その問いは、今の彼女の全てを表しているようだった。まるでそうあってほしいという、願い事のような。

 俺はそれを即座に察知し、だからこそ慎重に思考して答える。


「うーん……その時の状況と事情による」

「何その堅苦しい返答」

「馬鹿言え、大事なことだわ」


 神妙な面持ちは崩さずに、けれど俺と雀は微かに和む。

 すると雀は改まった様子で背後で腕を組んでぎこちなく微笑み、決意を固めた表情で顔を上げた。


「じゃあさ……うちこっそり祭りから抜け出して石段の下で待ってる!」

「は……? お前、何を──」

「──だから! ……もしケン君がうちを選んでくれるなら……迎えに、来てよ……」

「…………」


 何処か寂しげで、空虚で、虚しいだけのソレは勢いに身を任せた無謀な願いで──故に、次第に声音は震え、尻すぼみしていった。

 それでも願ってしまうのは、恋する乙女の性……だからなのだろうか。

 雀は自身の失言を自覚したのか、顔をハッとさせ、乾いた笑みを浮かべてたじろぐ。


「……って、アハハ……うち今日は親友として遊びに来たのに、悪い子だ……」


 自身を卑下する声はたどたどしく、その姿からは明らかに哀愁のようなものを漂わせていて、見るに堪えない。だというのに彼女は、儚くとも、苦しそうでも……笑っていた。

 俺はその雀の笑みを見て、視線を逸らす。だって雀は──


「あぁ~あ、うち……『最低な女』だなぁ」

「…………」


 ──その願いを、その結末を望んでいるのだから。

 俺はソレを否定も肯定もせず、ただただ視線を逸らして項垂れる。その時、朧気ながらも見えた気がした。視界の端、月明かりに照らされて灯の如く輝く……一粒の雨が。

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