第10話 チラリズムと絶対領域 前編


「フゥ……、落ち着くぅ……」


 カポーンッと、湯気が充満する風呂場に甲高い音が響き渡る。ポツンッと、汗が頬から顎にかけて伝って湯船に落ちる。

 俺は今、我が家の風呂場の湯船で心身の疲れを癒している真っ最中であった。


「……はぁ、しっかしさっきは酷かったな……」


 ため息を吐き、湯船に視線を落とす。

 例え身体が癒えようとも、心の傷というものはどうしようもなく治らない。それを、俺は身をもって実感する。


 付き合ってもいない相手に抱き着かれる恐怖、彼女の意味不明な言動から成る恐怖、密着する巨大なおっぱいの生暖かい未知なる感触への恐──


「ゴホンッ‼ ゴホンッ‼ そうじゃないだろ⁉」


 恐怖心の内側に内包されていた煩悩が無意識に目を覚ます。やはり、こういうのは思春期男子の性なのだろう。

 俺は湯船に首まで浸かり、一息ついて頭を冷やした。


 まぁ何にせよ、今はあの危機から抜け出せた事に喜ぶべきだよな……。


 そうホッと安堵しようとするが、間髪入れずに脳裏に怒号が轟く。


『はぁ⁉ さっきの全部嘘で、結局お兄ちゃんは女の子たちをはべらせてるって事? さいってー!』


 うっ……耳が痛い……。


 先程告げられた妹ことあむからの言葉とゴミを見るような目を思い出し、俺は頭を抱える。

 あの騒動のあと、管理人に事情を説明する都合上、あむに嘘がバレてしまったのだ。それで現在も口を聞いてくれない状態のままなわけで……、


「はぁ……問題は山積み、か……」


 再度ため息をつき、自責の念に駆られる。

 自業自得とはいえ、どうしてこうなってしまうのか……。

 俺は思考し、全ての元凶を考えた。

 やがて脳裏に浮かんできたのは……密着するおっぱいの生暖かい未知なる──


「──ッ⁉ だからそうじゃないだろ⁉ 確かにあれが全ての元凶だけど!」


 全てはおっぱいから始まり、おっぱいに収束する。俺の性癖が巨乳となった今、どうしたっておっぱいの輪廻からは逃げられなかった。


 ヤバい……マジで終わってる……。


 煩悩一色の頭に呆れ、落胆する。そんな落胆する勢いのままガクッと俺は項垂れて……必然的に『ソレ』が視界に入った。


「…………」


 俺はジト目で『ソレ』を見つめ、顔を強張らせる。

 意識では抗っても身体はどうも正直なようで……まぁ端的に言うと、起床していた。それはもう一切の迷いもなく天を向いて、シャキッと。

 そしてソレが何の要因によって引き起こされたかは、火を見るよりも明らかであった。


「……出るか」


 俺は全てに絶望してそうぼやり、身体を起こして湯船から出る。そのまま湯船の傍に置いてあったタオルで全身の水分を拭き、風呂場から出ようと扉を開けた──瞬間。


「「あ」」


 丁度手を洗おうと洗面所に訪れていた楓と目が合ってしまう。俺と楓はあまりの衝撃から硬直し、しばし見つめ合った。


「「…………」」


 無限に等しいような、気まずい静寂が訪れる。

 ちなみに俺は完全に油断しきってタオルで下半身を隠しておらず、スッポンポンでブラブラ……いや直立状態だ。


 俺は家族以外の異性に初めて全裸を見られただけでなく、直立状態まで丸ごと見られてしまう。その羞恥心から思考が完全に焼き切れてしまって、まともに頭が働かなかった。しかし俺はパニックのあまり一周回って冷静になり、ふと脳裏に浮かんだ言葉を馬鹿正直に口にする。


「なぁ楓、普通こういうのって逆じゃないか?」


 俗に言う二次元では、こういった偶然の事象を『ラッキースケベ』と呼ぶらしい。だが通常の『ラッキースケベ』は逆で、女性が破廉恥な目に遭う事が多いはず。

 つまり俺の問いは、そんな二次元のようにうまくいかないこの状況への言及を意味していた。

 その意図をどうやら楓は一瞬で理解したようで、取り乱さず頷く。


「うん、そうだね。まぁでも……」


 楓は俺の下半身を凝視しながら、微笑む。言葉を続ける。


「『良い』と、私は思うよ」

「ナニを見ながら言ってんだ、ナニを」

「? それは勿論、おちん──」

「──言わんでいい……!」


 俺は食い気味に楓の言葉を塞ぐ。

 特段深い意味があって静止したわけではないが、丸裸の状態でその言葉を言われるのは妙な気恥ずかしさがあった。だから俺は咄嗟に楓の発言を封じたのだが、当の本人はどうもそれに納得いっていないらしい。


「……?」


 楓は信じられないといった様子で目を瞠り、俺を見ていた。


 何だ……? この異様な圧は……。


 楓から鬼気迫るような覇気を感じ、俺は彼女に目を奪われてしまう。


「ど、どうしたんだ……? 急に、黙り込んで……」


 すると楓は動揺を露にしながら、しどろもどろに答えた。


「だって、ケー君は気にならないの……? 自分の彼女が『おちん』のあとに〝ぽ〟を付けるのか、〝こ〟を付けるのか、はたまた〝ちん〟を付けるのか……」

「…………」


 馬鹿なのかな?


 零れそうになった辛辣な言葉を、俺は必死に堪える。そして咳払いをして一拍置き、表面上は穏やかな笑みを浮かべて語弊が無いようにハキハキと返答した。


「ごめん、すっごいどうでもい──」

「──ちなみに正解したら今日の私の下着が何なのか教えるよ?」

「すっごい興味ある。めちゃくちゃ興味ある。俺の下半身だってそう言ってる」

「気持ち悪いね、ケー君。でも、嬉しい……」


 俺と楓は嬉々として各々の欲望の赴くまま、脊髄で会話する。

 思考が焼き切れて脳死の俺は下半身の効果も相まって、少しでも性欲を刺激されるとそれに流されてしまうような危うい状態であった。故に彼女の下着ともなれば、食いつかないわけがない。


 健全な思春期男子はたった今、従順な獣と化した。

 楓は鼻息を荒くする俺を見据えて、提案する。


「……そんなに私の下着が知りたいなら、クイズなしで教えるけど?」


 楓はそう訊きながら、チラリと制服のスカートを捲る。

 露となった色白のか細い太ももが、視界に映った。


「……っ!」


 楓の華奢な太ももが欲を刺激する。

 だが俺は踏みとどまり、理性を保った。


 そう、俺は紳士であり──賢者。常に叡知を求め続ける、ロマンに満ちた男なのだ。


 叡知を求め、Hに至る。その道筋に、等価交換など不要。

 俺は達観し、凛々しい顔で楓を見据えた。


「いや、遠慮するよ。無条件で知った下着なんか、見せパンと同じで無価値だからね。……やはり、チラリズムこそが至高なんだよ」

「ケー君が変態みたいな事言ってる……」


 楓は若干引き気味に後退する。


 何でだ、普通何気ない仕草からチラリと覗かせる下着に「ドキッ⁉」とするもんだろ。


 楓の反応が理解できない俺は、その引き具合に困惑する。無論、そこに自分がおかしいという考えはない。

 俺は後ずさる楓を追い、肩をガシッと掴む。


「楓! 君なら分かるだろ⁉ 何気ない瞬間に見せる、奥ゆかしいチラリズムが!」

「全裸で言われても説得力ないよ」

「大丈夫! 全裸には全裸の良さがあるから!」

「今度は露出狂みたいな事言ってる……」


 楓は抵抗せず、慣れた様子で受け流す。

 俺はそれでも楓を放さず、果敢にチラリズムを熱弁し続けた。


「とにかく! チラリズムの良さを知らないなんて人生損してるよ! せっかくだし俺が教えてあげるからさ!」


 楓を揺さぶり、何度もチラリズムを説く俺。

 しかし楓は顔を俯かせていて、消極的な態度であった。

 楓が不貞腐った口調で呟く。


「でも……そのチラリズムのせいで私の下着には興味ないんでしょ……?」

「⁉ そ、それは……」


 思い返してみれば、確かに俺はチラリズムを理由に楓の下着の提案を拒否していた。己の欲望が先行するあまり、無意識のうちに彼女を傷つけてしまっていたのだ。


 俺は、何て事を……。


 自身の失態を呪い、絶望する。そして願った、やり直しを。

 俺は楓の肩を放す。項垂れて、ゆっくりと謝罪を述べた。


「……ごめん楓。俺の不手際で、君を悲しませてしまった……」

「…………」


 楓は何も言ってはくれない。

 だとしても、許される事がないとしても、俺は諦めずに縋る思いで頭を下げた。


「……でも、こんな俺でもまだ信用してくれるなら……お願いします。どうか俺に……ぽこちんを答えさせてください……っ」


 俺は膝をつき、土下座の態勢を取って、願う。ぽこちんクイズという名のチャンスを手にする為に……。


「…………」

「…………」


 直立のまま全裸で土下座する俺と、それを見定めるような目つきで見下ろす楓。


 ……一応言っておくが、ふざけているわけではない。


 決して『浮気がバレて問い詰められている彼氏の図』だとか、『ドM彼氏が彼女にどうしてもと情けなく懇願する図』だとか、『NTRても身体は正直に反応する彼氏君の図』だとかではないのだ。……ただ、それらに近しい惨めな絵面というだけで。


 彼女との縁を守ろうとして男の尊厳を失った俺は、それでも大真面目に土下座をして誠意を見せ続ける。

 するとその想いが届いたのか、楓はしばしの沈黙ののちに開口してくれた。


「……うん、良いよ」


 楓は承諾する。

 俺はバッと顔を上げ、楓の手を取った。


「ありがとう! 本当にありがとう! 楓!」

「う、うん……、どう、いたしまして……?」


 感極まって感情が溢れ、感謝の言葉が濁流の如く流れ出る。

 楓はそれに混乱して取り乱し、焦って言葉選びを間違えてしまう。可愛い。

 やがて俺と楓はお互いに見つめ合い、通じ合った。


「……それじゃあ、いくよ?」

「あぁ、ドンとこい!」

「「せーっの!」」


 発声を合わせ、放つ。


「おちん──」

「お兄ちゃんさっきからうるさ、」

「──ぽッ‼」


 が、最悪のタイミングで洗面所の扉が開いた。

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