第9話 俺はNTRヒロインかもしれない 後編


「そう、実は俺……いや、俺たちは──『オトナ』の関係なんだ」

「え?」「ケン君⁉」「は……?」


 各々驚愕し、瞠目。

 楓は疑問の声を漏らし、雀は吃驚して振り返り、あむは赤面して火照る。

 俺はそんな三人を一瞥して、不敵な笑みのまますぐに言葉を連ねた。


「いやぁついに言ってしまったなぁ。誰にも話した事ないやつ言っちゃったなぁ」

「う、嘘でしょ……? お兄ちゃんに限って、そんな……」

「あむよ……、人は見かけによらないものだぞ。意外とオトナの関係の一つや二つ、あるものなんだ」

「い、いやいや……冗談、ですよね……?」


 あむは楓と雀に寛喜的な双眸を向ける。

 それに対し、楓は俺の意志を察して視線を逸らす。雀はパニックになって赤面し、顔を伏せる。


 よしっ、ここまでは予想通り……! あとは、あむに多様性を認めさせるだけ……!


 兄として聊かクズ過ぎるような気もするが、この際そんなのどうだっていい。

 俺は自身の貞操よりも、今だけは社会的地位を選ぶ。


「フフフッ、アハハッ、まだ子供のあむにはちょっと早かったかなぁ?」

「……ッ、つ、つまり……あんな事やこんな事も……?」

「あぁ勿論。あーんな事やこーんな事もオトナの関係なら、ね?」

「はわわわわわわっっっ……⁉」


 俺はキザな態度でウィンクし、あむは俺の話を赤面しながら聞き入って甲高い鳴き声を上げた。

 そんな馬鹿な兄妹を呆れた目で遠巻きに見つめる、楓と雀。

 その二人の視線がチクチクと俺の背中を刺すが、構わずに続けた。


「ま、まぁそういうわけだから、あむは大人しくしてるんだぞ?」

「う、うん……分かった……」


 あぁ……、我ながら完璧だ……。


 半ば本当の事とはいえ、ここまで平気で嘘をつける自分自身に俺は畏怖の念を感じてしまう。

 まぁでも、あとは楓と雀に適当な言い訳をして誤魔化したらこの危機は乗り越えられる──と、そう俺は思っていた。


「そ! その……!」


 あむが、声を絞り出すまでは。


「⁉ ど、どうした……?」


 俺は言葉を返す。

 すると、あむは羞恥心からなのか、顔を尋常じゃないほど真っ赤に染めて俺に問うた。


「ぐ、具体的に、ど、どういう事を、しているの……?」

「へ……?」


 ふとした子供の飽くなき探求心が、俺の完璧な計画を破綻させる。


 ま、マズい……、そんなの答えられないぞ……。


 楓や雀と口裏合わせしていない以上、適当に嘘をつけばボロが出るのは明白だ。

 であればここは誤魔化すしか……。


「そ、そんなの教えられるわけないだろ。オトナの関係って言うのは、秘密だからオトナの関係なのであって……」

「あ、あたしもう中三だよ……? お兄ちゃんと一つしか違わないけど……」


 あむに袖を掴まれ、涙目で見上げられる。

 初々しい妹からの願いに、俺はどうすればいいかと言葉に悩む。

 だがここは兄として、妹の為にも誤魔化し通す。


「ご、ごめんな……? 流石にそこまで具体的となると、楓や雀に悪いかもしれないし……」


 俺はそれっぽい言い訳を連ね、あむと目線を合わせて優しくその頭を撫でる。

 あむはそれを聞くと顔を俯かせ、小さく頷く。どうやら納得してくれたようだ。


「……分かった、迷惑になるならもう──」

「──ううん! そんな事ないよ、あむっち!」


 あむが言葉を繰り出すのに合わせて、雀の否定が重なる。

 俺は何事かと急いで視線を雀にやると、手に汗握るような迫真の表情が映り込む。


 あ、終わった。


 俺には理解できた。その顔が、どのような感情が伴ったものなのかを。だからこそ『終わった』なのだ。


「あむっち! 気になるよね⁉ 気になっちゃうよね⁉」

「あ、あむっ、ち……?」

「そう! あむっち! てか気になるんだよね⁉ 私たちの事!」

「ま、まぁ……気になりますけど……」


 ギロリと、雀の野生の眼光が俺に向く。


「らしいよ、ケン君。あむっちもこう言ってるんだし、私たちの事話そうよ! いや何だったら目の前で披露しようよ!」

「⁉ そんなの冗談じゃ──!」


 咄嗟に否定しようとしたが、これでは俺が嘘をついていた事があむにバレてしまう。

『オトナの関係』という設定を守った上で否定しなくてはいけないこの状況に、俺は歯噛みした。


「し、しないから! 妹の前でそんな事……!」

「でもでも! それを望んでいるんだよ⁉ あむっちが!」


 雀が双眸を輝かせ、逃がさまいと俺に詰め寄ってくる。

 俺は相変わらずの雀のイカれ具合に完全に気圧され、仰け反る。

 やがて雀は身体が密着しそうなほど近づけてきて、その巨大な二つの双丘を分かりやすく見せつけてきた。


 ……ッ⁉ こいつ、わざと……!


 告白してきた時とは比べ物にならない積極的な雀に、俺は艱難辛苦を強いられる。


 クッ……、これが楓の合意を得た力か……。


 己が正義となれば人間誰しも残酷になれるとはよく言うが、まさかここまでとは思わなかった。

 俺は瞬時に視線を双丘から逸らす。


「ふざけるな……! 普通タイミングってもんがあるだろ……!」

「大丈夫! 今がそのタイミングだから!」

「妹の目の前で兄を襲うタイミングがあるかよ⁉」

「そういうのも多様性だよ! ケン君‼」

「んなわけあるかっ‼」


 雀は多様性を口実に目と鼻の先まで接近し、密着。一瞬ではあるものの、その豊潤な双丘を俺の胸部に押し付けてきた。


「──⁉」


 マシュマロを超越した弾力が、俺の理性を襲う。

 俺は即座に仰け反った体勢から後ずさり、玄関の扉に背中を付け、逃げる。しかし玄関は袋小路で逃げ場などありはしない。

 それでも俺は諦めず、迫りくる誘惑から逃れようともがき続け──


「……ん?」


 ──身を横に投げて雀を避けようとした瞬間、ガシッと、右腕を何者かに掴まれる。

 俺は恐る恐る右腕の方に顔を向け、確認。……そこには、真顔で俺を見上げながら右腕に抱き着いてくる楓の姿があった。


「……楓さん? どうして俺の腕に抱き着いているのかな?」


 ぎこちなく、俺は問う。

 楓はその問いに微笑みを浮かべ、見上げて言った。


「私、ケー君には幸せになってほしいの」

「にしては言葉と行動が伴ってないよ? 寧ろ矛盾してるよ?」

「ううん、ケー君は気付いていないだけ。……人類の欲望が織りなしてきた、本当の悦楽が交じり合う神秘を──」

「いやマジで何言ってんの……?」


 遠い目をして何やら壮大な事を口にする楓に、困惑して硬直する。


 何だ……? 新手の詐欺かなんかか……?


 自分の彼女が悪徳商法にハマったみたいな衝撃から俺は危機を感じ、楓をすぐさま引き剥がそうとする。だが、ガッチリと腕を絡められていてうまい事抜け出せなかった。

 そうこうしている内に、雀は俺の眼前にまでやってくる。そして大きく腕を広げ、豪語。


「さぁケン君! うちに身を委ねて……!」


 大きく広げられた腕は抱擁せんと俺目掛けて突っ込み、全身をぐるっと囲い込む。そうなるとやはり雀の巨大な双丘は俺の胸部に当たってしまう。


 っ⁉ や、ヤバい……! これ……!


 告白してきた時と比べ、明らかに俺の理性を刈り取らんとする故意的な動き。


 間違いない……、雀は自分の武器を完全に理解してやがる……っ!


 不慣れだった数日前が嘘かのような手際に、度肝を抜かれた。俺はそんな恋する乙女の積極的なアピールに呑まれそうになり、抵抗する。が、背後は玄関の扉で塞がれていて逃げ場がなく、横も同様に楓によって身動きが取れない。

 俺は為す術なく、そのおっぱいを堪能するしかなかった。

 まさに、巨乳の再来である。


「クッ……! あむ……!」


 もうこの際、嘘とかどうだっていい。

 俺はあむに助けを求め、手を伸ばす。しかし──


「──あむぅうううううう⁉」


 あむは鼻血をドバドバと流しながら、身体をヒクヒクと痙攣させて仰向けにぶっ倒れていた。

 どうやらあむには男女の密着だけでも刺激が強いらしい。


 いや、耐性なさすぎだろ⁉


 兄として妹の性に対する耐性が心配になる一方、唯一の頼みの綱が切れていた事に俺は難儀する。が、性による快楽は力の入った身体をほぐし、感覚を更に研ぎ澄ました。

 結果……、


 このおっぱい、気持ちえぇぇぇ……。


 ムギュゥゥゥッッッと密着するおっぱいによって、何とは言わないが俺の下半身に熱が籠る。

 ……まぁ仕方ない事だろう。こうも密着してしまえば、普通の健全な男子なら反応せざるを得ない。つまりこれは生理現象で、俺の身体が健康である事を示唆しているのだ。

 うんそうだ、そうに決まってる。だからこれは何もおかしくは──


「──いやおかしいだろ⁉」

「うわ、ケン君がおかしくなっちゃった……」

「怖いよ……ケー君……」

「いやいや、おかしいのは綾乃さんだし、怖いのは楓だよ?」


 俺は正気に戻って、通常運転でツッコむ。

 だが楓と雀はお互いにきょとんとした目で見つめ合い、まるで無邪気な子供を相手にしているかのように微笑んだ。


「フフッ……、かーわいいっ」

「よーしよし……、良い子良い子だよ……」


 ……こいつら、ふざけてるのか……?


 驚愕を通り越し、絶句する。

 俺は荒唐無稽な彼女たちの言動を聞いて同じ人間とは思えず、言葉は通じないものとして説得を断念。

 そうして絶望と困惑が綯い交ぜとなる中で、玄関の扉を背凭れにして腰を下ろす。そのまま天井を仰ぎ、照明を見据えた。


 その間にも身体は二人に貪られており、さながらバイオハザードのようで……本当に救いようがない。


 お願いです、父さん、母さん……、どうか……一思いに殺してください……。


 出来損ないの息子でごめんなさいと、女の子に負けちゃってごめんなさいと、俺は続けて懺悔する。

 するとふと、思った。


 惨めで愚鈍な自分は、もしや『NTR(ネトラレ)ヒロイン』なのではないかと……。


 勿論、そういったものに憧れた変態とかではない。ちゃんと根拠だってある。

 その一──自身の貞操を穢して社会的地位を守ろうとした。まぁ、俺だ。

 その二──その一を口実に言い包められ、強引にされてしまう。うん、俺だ。

 その三──結局性欲に溺れ、複数人に貪られてしまう。あぁ、これも俺だ。


 ……いやなっさけな、俺……。


 男の尊厳は何処へやら。分かってはいたが、本当に冗談にならないぐらい俯瞰して見た自分はダザかった。

 俺は悟った顔で天井の証明を見上げ、呟く。


「なぁ、例えば自分の彼氏が『NTRヒロイン』属性だったら……どうする?」


 楓と雀は服を脱がしていた手をピタリと止める。二人はゆっくりと顔を上げ、不思議そうな目で俺を見た。


「……ケン君、本当にどうしちゃ──」

「──答えてよぉ‼」

「ヒッ……⁉」


 叫び、俺は必死に返答を求めた。

 その切羽詰まった様子に、雀は動揺する。楓と雀は視線を彷徨わせ、素直に答えた。


「えっと……、NTRるのは嫌かなぁ……」

「全員幸せなら、私は大丈夫。でも、ほとんどはそうじゃないから……」

「そっか……良かった……」

「「……?」」


 楓と雀は首を捻り、困惑する。

 まぁ無理もないだろう。突然尋ねたかと思えば安堵するなど、支離滅裂なのは事実だ。


 けれど俺は変人に成り下がっても、二人の返答を通じて答えを得た。そしてその答えによると、どうやら俺は『NTRヒロイン』ではなく、健全な『主人公』に成りたいらしい。……ならば、すべき事は一つ。

 俺は息を吸い、肺に酸素を一気に溜め──絶叫。


「助けてくださぁああああああい‼ 襲われてまぁああああああす‼」

「ちょ⁉ ケン君⁉」

「あ」


 暴風や土砂降りで包まれるマンションに、一瞬だけ全ての雑音を搔き消すように俺の絶叫が木霊する。

 その後、駆け付けた管理人によって俺の貞操は一命を取り留めるのだった。

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